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竜と人が暮らすアステリア王国の物語

竜医見習いの少女は、人間ぎらいの老竜を診ることになりました

作者: みき
掲載日:2026/08/26

 アステリア王国には、竜を診る医者がいる。


 人を診る医者とは少しちがう。


 大きな体。


 固いうろこ。


 人とはちがう骨や内ぞう。


 そして何より、竜は自分の気持ちをはっきり持っている。


 だから竜医には、薬の知しきだけではなく、竜と話す力も必要だった。


 ミナ・レイルは、その竜医を目指していた。


 十九歳。


 王都セレスティアの竜診療所で働き始めて二年。


 まだ正式な竜医ではない。


 薬を作り、道具を運び、先生の手伝いをする見習いだった。


 そんなミナに、初めて一人で仕事が任されたのは、ある春の朝だった。


「ミナ。今日は一人で行ってもらう」


 先生のロアンが言った。


「……一人で?」


「ああ」


 ミナは持っていた薬びんを落としかけた。


「先生は?」


「別の急な仕事が入った。北門の近くで飛竜がけがをしたらしい」


「それなら私もそっちへ――」


「お前はこっちだ」


 ロアンは一枚の紙を差し出した。


 そこには依頼の内容が書かれていた。


 王都から少し離れた丘。


 古い石の塔。


 そこに住む一頭の老竜。


 ここ数日、食事をほとんど取っていない。


「食よく不しんですね」


「ああ」


「それなら、たぶん口の中か、お腹の調子か……」


「見ればわかる」


 ロアンは簡単に言った。


「ただし、一つ問題がある」


「何ですか?」


「その竜は、人間がきらいだ」


 ミナは黙った。


「……帰ってきてもいいですか」


「まだ行ってもいないだろ」


     


 老竜の名前はベルガ。


 年はおよそ六百歳。


 大竜の中でもかなり年を取った個体だった。


 昔は王国の北で暮らしていたが、今は王都の外れにある古い見張り塔を住みかにしている。


 人をおそうことはない。


 けれど、人に近づかれるのは大きらい。


 特に医者がきらい。


「どうして医者がきらいなんですか?」


 出発前、ミナが聞くと、ロアンは少し考えた。


「昔、薬を飲ませようとした竜医を池に投げた」


「……」


「その前は、診察道具を全部かみくだいた」


「先生」


「何だ」


「本当に私が行くんですか」


「大丈夫だ」


「その大丈夫は、何をもって大丈夫なんですか」


「お前は軽いから、投げられても遠くまでは飛ばない」


「安心できません!」


 けれど結局、ミナは行くことになった。


 薬箱を背負い、王都の西門を出る。


 街道を一時間ほど歩いた先に、古い石の塔が見えた。


「……大きい」


 塔の横に、さらに大きな影があった。


 灰色の竜。


 ベルガだ。


 横になって目を閉じている。


 ミナは少し離れたところで立ち止まった。


「ベルガさん」


 返事はない。


「竜診療所から来ました」


 大きな金色の目が開いた。


『帰れ』


 低い声だった。


「でも」


『帰れ』


「食事を取っていないと聞きました」


『腹が減っていないだけだ』


「三日も?」


『竜は三日くらい食べなくても死なぬ』


「それはそうですけど」


 ミナは少しずつ近づいた。


 ベルガが頭を持ち上げる。


『それ以上来るな』


 ミナは止まった。


「診るだけです」


『嫌だ』


「口を開けてもらうだけでも」


『嫌だ』


「お腹をさわるだけでも」


『嫌だ』


「……全部嫌なんですね」


『そう言っている』


 ミナはため息をついた。


 無理に近づけば、本当に投げられるかもしれない。


 だから少し離れた草の上に座った。


『何をしている』


「待ちます」


『何を』


「診せてもらえるまで」


『帰れ』


「先生に、ちゃんと診てこいと言われました」


『お前たち人間は、言われたことしかできぬのか』


「そんなことはありません」


『なら帰れ』


「それはできません」


 ベルガは大きく息をはいた。


     


 一時間たった。


 ミナはまだ座っていた。


 ベルガもまだ横になっていた。


 何も起きない。


「……暇ですね」


『帰ればよい』


「それはできません」


『なら黙っていろ』


 しばらくして、ミナは持ってきた昼食を出した。


 黒パンとチーズ。


 それを見たベルガが少しだけ顔を動かした。


「食べますか?」


『いらぬ』


「そうですか」


 ミナは一人で食べた。


 食べ終わっても、ベルガは何も食べようとしない。


 塔の近くには、村人が置いていったらしい肉や果物がある。


 どれも手つかずだった。


「本当にお腹が減っていないんですか」


『しつこい』


「仕事ですから」


『人間は面倒だ』


「竜もけっこう面倒ですよ」


 ベルガが目を細めた。


『よく言うな』


「二年も竜の診療所にいますから」


『まだ子どもだろう』


「十九歳です」


『子どもだ』


「六百歳と比べないでください」


 ミナは少しむっとした。


 すると、ベルガが鼻を鳴らした。


 笑ったようにも見えた。


     


 午後になった。


 ミナは少し気になることに気づいた。


 ベルガは時々、口の右側を動かしている。


 何かが気になるように、舌を動かしている。


「ベルガさん」


『何だ』


「歯が痛いんじゃないですか」


 ベルガの目が止まった。


 ミナはすぐわかった。


「やっぱり」


『違う』


「今、顔に出ました」


『竜の顔を読むな』


「仕事です」


『違うと言っている』


「じゃあ口を見せてください」


『嫌だ』


「見せられない理由があるんですか」


『……』


「痛いんですね」


『痛くない』


「じゃあ開けられますよね」


『お前は本当にしつこいな』


「先生にもよく言われます」


 ベルガは長い間、ミナを見ていた。


 やがて、あきらめたように大きな口を開けた。


「ありがとうございます」


 ミナはゆっくり近づいた。


 竜の口の中を見るのは慣れている。


 でも、六百歳の大竜となると迫力がちがう。


 一本の歯だけでも、ミナの腕ほどあった。


「右側ですね」


 灯りの魔法石を使い、奥を見る。


「あ」


『何だ』


「動かないでください」


『何がある』


「たぶん、これです」


 奥の歯の間に、黒い物がはさまっていた。


 細く、固い。


「骨ですね」


『骨?』


「何か食べた時に、細い骨が歯ぐきに刺さったみたいです」


『……』


「これ、かなり痛かったでしょう」


『別に』


「強がらなくていいですよ」


『強がってなどいない』


 ミナは薬箱から長い道具を取り出した。


「取ります」


『待て』


「何ですか」


『痛いか』


 その声が、少しだけ小さかった。


 ミナは笑いそうになった。


 でも笑わなかった。


「少しだけ」


『やめる』


「だめです」


『では帰れ』


「もっと痛くなりますよ」


『……』


「すぐ終わります」


 ベルガはしばらく迷ったあと、もう一度口を開けた。


「動かないでくださいね」


 ミナは道具で骨をつかんだ。


 深く刺さっている。


「いきますよ」


『早くしろ』


「はい」


 一気に引いた。


 ベルガのしっぽが地面をたたいた。


 大きな音がした。


「取れました!」


 ミナの手には、指一本分ほどの細い骨があった。


『……終わったか』


「終わりました」


 傷に薬をぬる。


「今日は固い物を食べないでください」


『竜に何を食べろというのだ』


「やわらかい肉とか」


『そんな物では腹がふくれぬ』


「だからって大きな骨ごとかじらないでください」


『あれはうまかった』


「また刺さりますよ」


『次は気をつける』


「もう次の話をしてる……」


     


 少しして。


 ベルガは、村人が置いていった肉を食べ始めた。


 最初は少しだけ。


 それから、もう一口。


 さらにもう一口。


「食べられるじゃないですか」


『うるさい』


「三日食べてなかったんですよね」


『うるさい』


「お腹すいてたんじゃないですか」


『うるさいと言っている』


 ミナは笑った。


 これで仕事は終わりだ。


 道具を片づけ、薬箱を背負う。


「では帰ります」


『そうか』


「二日くらいしたら、もう一度だれかが見に来ます」


『来なくてよい』


「決まりです」


『面倒だな』


「人間は面倒なんでしょう?」


『そうだ』


 ミナは歩き出した。


 すると後ろから声がした。


『待て』


 振り返る。


「何ですか?」


『次も、お前が来るのか』


 ミナは少し驚いた。


「たぶん先生が来ると思います」


『あの男は嫌だ』


「先生、何かしたんですか?」


『薬が苦い』


「薬はだいたい苦いです」


『では、お前が来い』


 ミナは目を丸くした。


「私でいいんですか?」


『他よりはましだ』


「それ、ほめてます?」


『さあな』


 ベルガはまた肉を食べ始めた。


 ミナは少し笑った。


「じゃあ、また来ます」


『勝手にしろ』


     


 診療所へ戻るころには、日が少し傾いていた。


 ロアンは先に帰っていた。


「どうだった」


「歯ぐきに骨が刺さっていました」


「取れたか」


「はい」


「そうか」


 先生はそれだけ言った。


「……先生」


「何だ」


「ベルガさん、思ったより普通でした」


「普通?」


「ちょっと意地っ張りですけど」


 ロアンは笑った。


「池に投げられなかったか」


「投げられませんでした」


「なら上出来だ」


「あと、次も私に来てほしいって」


 ロアンの手が止まった。


「ベルガが?」


「はい」


「本当に?」


「『他よりはまし』だそうです」


 ロアンはしばらく黙ったあと、大きく笑った。


「それはずいぶん気に入られたな」


「ほめられた感じはしませんけど」


「竜は人間とちがう。『また来い』と言われたなら十分だ」


 ミナは少しだけうれしくなった。


 まだ見習い。


 知らないことも多い。


 失敗することもある。


 それでも今日、初めて一人で一頭の竜を診た。


 そして、その竜はまた来てもいいと言ってくれた。


「先生」


「何だ」


「次の往診も、私が行っていいですか」


「もちろんだ」


 ミナは笑った。


 アステリア王国では、人と竜が共に暮らしている。


 けれど、一緒に暮らすためには、互いを知ろうとする人が必要だ。


 病気になった竜を診る者。


 傷ついた竜を助ける者。


 言葉にならない痛みに気づく者。


 そんな仕事も、この国にはある。


 二日後。


 ミナが古い塔へ向かうと、ベルガは入口の前で待っていた。


「こんにちは」


『遅い』


「時間通りです」


『竜を待たせるな』


「患者さんはわがままですね」


『何か言ったか』


「何でもありません」


 ミナは笑いながら薬箱を開いた。


 今日もまた、竜と人が暮らす王国のどこかで、小さな診察が始まる。

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