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第4話:隣国の春、聖女の微笑み

 国境を越え、隣国であるサフィア公国に辿り着いたエルゼを待っていたのは、白銀の世界とは無縁の、柔らかな木漏れ日と緑の香りだった。


「お待ちしておりました、エルゼ・フォン・クロムウェル様。……そのお怪我、すぐに専門の治癒魔導師を」


 出迎えたのは、公国の宰相だった。彼はエルゼが差し出した、包帯だらけで黒ずんだ指先を一目見るなり、痛ましく顔を歪めて絶句した。それは一国の貴婦人の手とは到底思えない、過酷な労働と重度の凍傷が刻まれた「犠牲」の証だったからだ。


 エルゼは、公国が用意した最高級の療養施設に案内された。そこはレンブラント邸のような、命を拒絶する石造りの冷たさは微塵もない。建材自体が呼吸をしているかのような、穏やかで自然な温室だった。


「……暖かい。魔法で無理やり作り出した熱ではない、本当の春の匂いがします」


 エルゼは、差し出されたふかふかのソファに深く身を沈め、五年分、いや人生のすべてを吐き出すかのような長い溜息をついた。ここでは、誰かのために自分の血を魔法に変える必要はない。自分のために焚かれる暖炉があり、自分のために淹れられた温かいスープがある。ただそこにいるだけで、誰かに喜ばれる。その当たり前の事実に、彼女の頬を涙が伝った。


 数日後、体力を回復させたエルゼは、公国の広大な庭園を散策していた。彼女が枯れかけた一輪のバラに、癒え始めた指先でそっと触れる。すると、彼女の内側に大切に閉じ込めていた「自分を愛するための温もり」が、静かに花へと伝わっていった。


「ああ、なんて素晴らしい。エルゼ様、貴女の力は単なる熱源などではない。生命そのものを慈しみ、呼び覚ます至高の魔力だ。あんな極寒の地で、暖房代わりに浪費していい才能ではなかった」


 宰相の言葉に、エルゼは初めて、芯まで凍りついていた心が溶けていくのを感じた。

 自分を「冷たい」と呼ぶ者は、ここには一人もいない。彼女が歩けば花は開き、彼女が微笑めば人々の表情は和らぐ。


 一方、その頃。エルゼを正式に「国賓」として迎えたサフィア公国側は、彼女から奪い取られた五年間の価値を即座に算定していた。


「あのような至宝を『冷たい女』と蔑み、あまつさえ吹雪の中へ放り出すとは。レンブラント伯爵は、自ら国の心臓を抉り出し、捨てたも同然だな」


 エルゼは、窓の外に広がる青い空を見上げた。遠く北の空には、未だに厚い暗雲が立ち込め、雪が降り続いているのが見える。あの日、自分が背負っていた重苦しい絶望と孤独が、今はもう、届かないほど遠い場所にある。


「……さようなら、ヴィクトール様。私は、私のために咲くことにしました」


 彼女は、自分を温めるためだけに淹れられたハーブティーを一口含み、小さく、けれど確かに微笑んだ。その微笑みは、どの季節の花よりも鮮やかに、新しい場所で芽吹き始めていた。

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