聖ニコラウスの後継者
「うわー、絶景っ!」
雅楽京子は目の前に広がる水平線を眺めた。ここは観光地として人気のエリア。海岸線から山に続く細い道。初夏の陽がアスファルトに照り付ける。パンプス越しに、地面の熱が伝わってきた。
紺色のスーツの上着を小脇に抱え、ブラウスの襟元に指を入れて風を通した。額に汗がにじむ。化粧が崩れないよう、ハンカチで軽く押さえた。
目的の家は、行き止まりに建っていた。外壁は潮風にさらされ、木製の窓枠は何度も塗り直した痕跡がある。白い壁はあちこち黒ずんでいた。
雅楽は家の前で足を止めると、バッグから電報を取り出した。宛先は「四月一日 恵」、表札には「四月一日」とあった。ここだ。
読み方を間違えると心証が悪い。最新の注意が必要。
四月一日から連想するのはエイプリルフール。しかし、エイプリルフールが日本に伝わったのは大正時代。これではない。
日本の学校や会社の新学期、新年度は四月に始まる。しかし、四月一日に始業式や入学式はない。とすると、入社式だろうか?
迷った雅楽はスマートフォンを取り出し、「四月一日 名字」と入力して検索した。読み方は「わたぬき」、「旧暦の四月一日に冬用の綿入れ着物から綿を抜いて薄手の着物に着替えたことから」と説明されていた。
予想は見事に外れた。やはり、名字の由来は奥が深い。雅楽は「なるほどね」と手を叩いた。
“カシャ”
自らが難読名字の雅楽は、表札と一緒に記念撮影した。これぞ、難読名字のコラボレーション。いい写真が撮れた。
さて、玄関先に長時間止まっていたら、不審者だと怪しまれる。雅楽は用件を済ませることにした。
“ピンポーン”
呼び鈴を押してすぐに、「はーい」と女性が玄関口に現れた。
「電報です。ワタヌキ メグミさんですか?」
「はい」
雅楽は電報を差し出した。差出人の名前を見ると、恵の眉が吊り上がった。
受け取りを拒否されると面倒だ。「それでは、これで」と雅楽が立ち去ろうとすると、「うちじゃありません」と恵は電報を付き返した。
これは骨が折れるかもしれない。雅楽は恵に警戒されないように、愛想笑いを浮かべた。
「いえ、あなた宛ての電報です」
「夫は半年前に亡くなりました。宗教の勧誘ですか?」
恵の語気が強くなった。
毎回、事情を説明するのに時間が掛かる。差出人の「四月一日 大輔」は故人。詐欺だと騒ぐ人、宗教の勧誘だと警戒する人、受取りを拒否する人、警察に電話されたことも一度や二度ではない。電報を受取った5人に1人は、恵のような反応をする。
「いえ。私はただの配達員です。この電報は亡くなったご主人からのメッセージです。昨日依頼がありました」
恵は腕を組み、「死人が電報を出すわけがないでしょ」と雅楽を睨みつけた。
「中を見ていただければ、本物かどうかお分かりいただけるはずです」
雅楽は苦笑いを浮かべて、電報を差し出した。
「夫からじゃなかったら、警察に電話しますからね」
恵は電報をひったくると、乱暴に封筒を破った。
電報はあの世から雅楽の実家の神社に送られてくる。故人のメッセージを代書人がタイプして電報を作っているらしい。長いメッセージだと、代書人がタイプミスする可能性があるから、メッセージは100文字以内だ。10秒もあれば読み終わる。
恵は素早く目を通すと、「せめて、へそくりの場所を教えなさいよ」とため息をついた。どうやら、揉め事は回避できたようだ。
雅楽が立ち去ろうとしたら、「ねえ、あなたは子供のころ、サンタクロースを信じていた?」と恵の声がした。
きっと、亡くなった夫のメッセージに関係することなのだろう。電報の中身が分からない雅楽は、愛想笑いした。
「いえ。うちは社家、神社の家系なので、他教の行事には疎くて。サンタクロースを知ったのは、中学生でした」
「へえ、日本人なのに珍しいわね。うちの娘、友里っていうんだけど、は信じていてね。毎年、サンタさんに手紙を書いているのよ」
ぼんやりと電報を見た恵の口元が、自然にゆるんだ。
**
「この手紙、郵便局に出しておいてね」
恵は夫の大輔にハガキを渡した。フィンランドのサンタクロース中央郵便局に送れる専用ハガキ。このハガキを送ると、翌年の夏、サンタクロースから手紙が届く。
締切間近であれば恵が郵便局に持っていくが、まだ一週間以上ある。急ぐ必要はないから、ハガキの投函を夫にお願いした。
娘の友里は、毎年サンタクロースに手紙を書いていた。友里は小学4年生。そろそろ真実を伝えるべきなのだろう。恵は悩ましかった。
「今年こそ、友里に伝えるべきかな?」
「どうだろうね」と大輔は頭をかいた。無責任な大輔の態度に、恵はため息をついた。
サンタクロースはいない。友里が真実を知る日は、必ず来る。友達から聞くかもしれないし、近所の人から聞くかもしれない。
親には子に真実を伝える責任がある。他の誰かから聞く前に、恵と大輔は友里に真実を伝える責任があった。
今年も友里は楽しそうに手紙を書いていた。嘘をつき続ける後ろめたさ、真実を伝えて友里を失望させてしまう罪悪感、幸せな時間を奪う怖さ。いろんな負の感情が恵を襲った。
お隣の佐藤さんは、息子が小学3年生のときに伝えたそうだ。「知っていたよ」と息子は言ったらしい。親がサンタクロースだと知っていたけれど、息子は気づかないふりをした。小学3年生なのに、両親への気遣いができた息子。恵は佐藤さんが羨ましかった。
「友里に言ったら、もう戻れないんだよね」
大輔は黙って手紙を見つめた。「そうだね」と恵は長いため息をついた。
「子供が11歳になったら、親がサンタクロースの役目を引き継ぐ、ってことにしない?」
大輔はこめかみに手を当てて言った。10歳まではサンタクロースがプレゼントをくれる。11歳からは、両親がプレゼントを渡す。大輔が考えた苦肉の策だ。嘘だけれど、悪くない嘘。そんな嘘ならつき続けてもいい。
「そうね。友里は10歳だから、今年はサンタさんに手紙を送ってもいいよね?」
「うん。サンタクロースから返信がきたら、友里に伝えよう」
これで一件落着。張っていた恵の肩がふっと落ちた。
**
「サンタさんからの返信は8月に届くの。来月ね。きっと、冬はサンタさんが忙しいから、夏にサマーカードを送ってくるのよ」
恵はぼんやりと電報を見つめた。サマーカードが届けば、娘の友里に真実を伝える。これが亡くなった夫との約束だ。
雅楽は適当な言葉がみつからず、愛想笑いを浮かべた。
「サマーカードをやきもきしながら待っていたの。届いてほしくないけれど、届かないと友里にサンタさんのことを言えないでしょ」
「そうですね」
「それなのに、あの人ったら……このメッセージを見てよ」
恵は電報を雅楽に差し出した。
『サンタクロースへの手紙は、本棚の「八つ墓村」に挟んである』
電報に目をやった雅楽は、「あらっ」と吹き出した。
サマーカードが届かなかったら、友里に真実を伝えるきっかけを失う。心配した大輔は電報で恵に伝えようとした。
「いい旦那さんですね」
「でも、聖ニコラウス(サンタクロース)の後継者としては失格よ」
恵は長いため息をついた。
―了―




