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『鍋ひとつで、王国を美味しく救ってしまった件』

作者: くろめがね
掲載日:2026/02/01

この物語は、

強さを誇る話でも、賢さを競う話でもありません。


お腹が空いている人に、

温かいものを出す。

それだけの話です。


匂いが、先に届く物語になればいいなと思って書きました。

どうぞ、鍋のそばへ。


 最初に気づいたのは、空気だった。


 冷たくて、乾いていて、

 胸いっぱいに吸い込んでも、どこか足りない空気。


 ――ああ、これ。


 私は、知らない天井を見上げながら、そう思った。


「……ちゃんと食べてない匂いだ」


 焦げでもない。

 腐りでもない。

 ただ、お腹が空いたまま生きている人が集まった場所の匂い。


 ゆっくり体を起こすと、石造りの広間の床に、鎧を着た男たちが座り込んでいた。

 兵士だと分かる前に、もっと分かりやすいことがあった。


 顔色が、みんな同じだった。


 血の気が薄くて、唇が乾いて、

 目の奥に、疲れが溜まっている。


 お腹を押さえている人。

 壁にもたれて、目を閉じている人。


 動けないわけじゃない。

 動く理由が、もう残っていない顔だった。


「……ご飯、食べてる?」


 口から出た言葉に、自分で少し驚いた。

 でも、料理人だったころの癖は、こんなときに先に出る。


「食ってるさ。朝も昼も」


 返事をした兵士は、胸を張ろうとして、途中でやめた。


 鍋が目に入る。

 中身を覗いた瞬間、胃の奥がきゅっと縮んだ。


 煮え切らない肉。

 灰色に変わった野菜。

 塩の匂いだけが、重く沈んでいる。


 ――これは、弱っている人のご飯じゃない。


「……ちょっと、鍋、借りてもいい?」


 誰も止めなかった。

 止めるほどの力が、もう残っていなかったのだと思う。


 私は鍋を抱えて、外の水場へ行き、中身を静かに捨てた。

 もう一度、水を張る。


 骨を入れる。

 使えそうな野菜を、形を残したまま入れる。


 火を弱める。

 ゆーっくり、ゆっくり。


 ぐらぐら煮立たせない。

 ただ、温める。


 最初は、水の匂いだった。

 少しして、空気が、ほんのり甘くなる。


 それは、匂いというより、

 **「あ、今、空気がやわらいだ」**という感覚に近かった。


 鍋の底で、野菜と骨が、静かに手をつなぎ始める。


 ゆっくり、ゆっくり、かき混ぜる。


 木べらが鍋底をなぞる音が、

 この広間で、いちばん優しい音になった。


「……なんだ、その匂い」


 誰かが、ぽつりと呟いた。


 兵士の一人が、顔を上げる。

 鼻を、ひくりと動かす。


 もう一度、深く息を吸う。


 ふぅわっと、

 野菜を煮込んだ、美味しい匂いが広がっていた。


「スープ。お腹に優しいやつ」


 説明は、それで十分だった。


 塩を、ひとつまみ。

 ほんの少し。


 刻んだ野菜を入れると、

 湯気が、やわらかく立ち上った。


 その瞬間、空気が変わった。


 乾いていた匂いが、後ろに下がる。

 代わりに、胸の奥を、そっと撫でるような匂いが満ちる。


 誰も喋らない。

 ただ、鼻を鳴らす音が、あちこちから聞こえた。


 兵士は、匙を受け取ると、

 一口、口に運ぶ前に、目を閉じた。


 ふう、と息を吐く。


 それから、何も言わずに、もう一口。


 その夜、兵士たちは、久しぶりに眠った。

 寝息の匂いが、少しだけ、軽くなった。



 次の日、子どもが来た。


 兵士の家族だという。

 小さな体で、固いパンを見つめている。


「……噛める?」


 聞くと、首が、小さく横に振られた。


「じゃあ、こっち」


 私は鍋を火にかける。

 昨日のスープを温め直す。


 穀物を入れて、

 ゆーっくり、ゆっくり。


 煮える音は、ほとんどしない。

 ただ、湯気が、ふわりと立つ。


 甘くて、やさしい匂い。


 子どもは、恐る恐る匙を口に運び、

 次の瞬間、目を丸くした。


「……あったかい」


 それだけ言って、

 黙々と食べる。


 匙が止まらない。


 その隣で、親が、顔を覆った。


「……こんなご飯、初めてです」


 私は首をかしげる。


「子どもなんだから、

 柔らかいほうがいいでしょ」


 胸の奥で、何かが、すとんと落ちた。


 ――お腹が空いてる人に、食べさせる。

 それだけなのに。


「ア◯パ◯マンのみが、この世で正義だよね」


 ぽろっと出た言葉に、周りが静まる。


 意味は分からなくても、

 匂いと一緒に、気持ちは伝わったらしい。



 数日後、空気が変わった。


 鎧ではない、

 布と香油の匂いをまとった男が来た。


 貴族だ。


 鍋を覗き、眉をひそめる。


「これで、兵が元気になったと?」


「なりましたけど」


 私は、保存していた煮込みを出す。

 塩と酢で、静かに守った料理。


 蓋を開けた瞬間、

 貴族は、言葉を失った。


 匂いを吸い、

 目を伏せる。


 戦争の話。

 飢饉の話。

 国の危機。


 私は、半分も聞いていなかった。


「台所と、食材があればいいです」


 それだけ答えた。



 鍋は、今日も火にかかっている。


 特別な料理じゃない。

 いつものご飯。


 温かくて、

 匂いが立って、

 お腹にたまるだけのもの。


 それでも、人は立ち上がる。

 笑って、耐えて、明日を迎える。


「……聖女だ」


 誰かが言った。


 私は、鍋を

 ゆーっくり、ゆっくりかき混ぜながら、首を振る。


「違うよ。今の私は、ア◯パ◯マン。」


 湯気の向こうで、人が笑う。

 お腹が鳴る音が、重なる。


「今日の夕飯、何にしようかな」


 鍋ひとつで、王国を救ってしまったらしい。

 でも、まだ、そんな実感はない。


 だって――

 お腹が空いてる人に、

 温かいものを出すのは。


 ただ、それだけのことだから。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


料理は、魔法じゃありません。

でも、空腹を満たすと、人は少しだけ強くなります。

眠れて、笑えて、また明日を迎えられる。


この話の主人公が信じている正義は、たぶんとても単純です。


――ア◯パ◯マンのみが、この世で正義。


もし、読後に

「なんだか温かいものが食べたくなった」

と思っていただけたなら、嬉しいです。

連載用のネタですので、その内連載に使いたいです。

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