第一話「隣のクラスメイト、ただいま入居中」
新作です
父さんが単身赴任に出ることになった。海外勤務。しばらくは帰ってこないらしい。
それだけなら「ひとり暮らし最高!」って喜ぶところだが、世の中そう甘くはなかった。
なぜなら、うちには母さんがいない。
俺が小学生の頃に病気で亡くなって以来、ずっと父と二人暮らしだ。
だから父さんが家を空けるとなれば、俺が完全に一人で生活することになる。
「高校生にひとり暮らしは早い。心配だ」
――出発前、父さんはそう言って首を縦に振らなかった。
仕送りもするし生活費も渡すと言っても、最後まで「心配」の一点張りだ。
結果。
「今日からお世話になります、篠崎くん」
玄関に立っていたのは、同じクラスの藤咲澪だった。
さらりとしたセミロングの黒髪に、制服の上から腰に巻いたカーディガン。クラスでは頭脳明晰、クールビューティとして有名な――そう、よりによって“高嶺の花”。
「……は?」
声が裏返った。
聞けばこうだ。
澪の父親も単身赴任で家を空けがち。母親は実家の祖父母を手伝いに地方へ。
つまり澪自身もこの町に“ひとり取り残される”予定だった。
そこでウチの父と藤咲家が相談し合い、「お互い不在なら隣同士で預け合えばいい」という妙案に至ったらしい。
「単身赴任の間、うちの母から頼まれてね。お隣同士だし、こっちの方が安心だろうって」
澪は淡々と言いながら靴を脱ぎ、するりと家に上がり込む。
おい、マジかよ。よりによって藤咲。クラスでも視線を集める存在だぞ。それが俺の家で暮らすとか、同居とか……。
――いやいやいや、落ち着け篠崎湊。冷静になれ。これはただの「居候」。深く考える必要はない。
引っ越し作業は意外とあっさり終わった。
澪が持ってきたのは衣服、勉強道具、そして――段ボールに詰められたやけに重たい箱。
「なに入ってんだ、それ?」
「……本よ」
「ふうん」
だが、チラリと覗いたとき、中から見えたのは“黒いゲーム機のパッケージ”。
俺の目はごまかせない。が、あえてツッコまずにおいた。
夜。
俺たちは向かい合って食卓を囲んでいた。母さんがいない代わりに、父さんが残していったレシピ通りに俺が作り置きを温める。
慣れているつもりでも、誰かと一緒に食べるのは随分と久しぶりだった。
引っ越し作業も終わり、夜。
俺たちは向かい合って食卓を囲んでいた。
今夜のメニューは俺が作った肉じゃがと味噌汁、それから冷蔵庫にあった漬物。
「いただきます」
「いただきます」
澪は箸を動かし、ぱくりと口に運ぶ。
そして小さく目を丸くした。
「……これ、湊が作ったの?」
「ああ。うち、母さんいないからさ。父さんももう単身赴任中だし、飯は自分で用意しないと」
「へえ……意外」
「なんだよ意外って」
「クラスじゃ、そういうの全然見せないから。頭いいだけで、生活能力なさそうに見えた」
「失礼な。俺だってやればできるんだよ」
ちょっとムッとして言い返したけど、澪はふっと笑みを漏らす。
その顔は、クラスで見せる完璧な笑顔とは少し違って、どこか柔らかかった。
「でも、美味しいよ。少し甘めなの、私好き」
「お、おう」
なんだろう。
ただの夕食なのに、やけに気恥ずかしい。
母さんがいなくなってからというもの、誰かと食卓を囲むこと自体がほとんどなかったからだろうか。
「……意外だな」
「なにが?」
「いや、クラスじゃそういう顔しないから」
一瞬だけ澪が箸を止めた。けれど次の瞬間には、何事もなかったかのように口へ運んでいる。
「……学校と家は、別物でしょ」
「まあ、そうかもな」
その言葉を聞いて、俺は心のどこかで妙に納得していた。
夜十時。
風呂を済ませて自室に戻ろうとすると、廊下の先で澪と鉢合わせた。
ドライヤーで乾かした髪から、ほのかにシャンプーの匂いが漂う。
「……じゃあ、おやすみ」
「あ、ああ。おやすみ」
気まずい沈黙が続いた。お互い、何か言いたげなのに言えない。
結局そのまま各自の部屋へ引っ込む。
布団に潜り込み、俺は天井を見上げながら思った。
母さんがいない家に、父さんもいなくなって。
代わりに隣人の藤咲がやってきて。
今日から、クラスの“高嶺の花”と同居生活。
……これから、どうなるんだろうな。
静まり返ったはずの家の中で、かすかに電子音が響いた。
ピコンッ。
ゲーム機の起動音。
――やっぱり、さっきの段ボールは“本”じゃなかったらしい。
「(……あいつ、夜な夜なゲームとかやってんのかよ。明日学校あるぜ…)」
俺は小さくため息をついて目を閉じた。
こうして、俺と藤咲澪の“同居生活”が始まったのだった。
さぁ、どうなる!湊!
次回「学校の態様」