8.誰かを守るため
「なんですか?」と聞けば、きょろきょろと周りを見渡す。
「……ここではちょっと。街の外れでもいいですか?」
「魔物が危険です」
「リディアさんが一緒なら大丈夫って、アレクさん言ってました!」
元気よく答えるベロニカ。
私は息を飲んだ。アレクに魔術を見せたことは何度かあったが、そこまで評価してくれていたのかと驚いた。胸のあたりがくすぐったい。感じたことがない心地に、まばたきを繰り返す。
ベロニカは慣れた手つきであっという間に店じまいを終わらせると、「こちらです!」と片手を上げた。赤茶色の三つ編みが揺れるのを見ながら、後ろをついていく。
連れてこられたのは、街から歩いて10分ほどの場所だった。
木々が茂る森を歩くと、急に視界が開けた。そこには広場があり、雑草や野花が絨毯のように密集して生えていた。ぽつぽつと切り株があるので、開拓しようとした場所なのかもしれない。
ベロニカは私に向き合い、両手を合わせて言った。
「リディアさんに、魔術を教えて欲しくて!」
「え?」
予想外のお願いに、声が口から飛び出した。
目の前の彼女を見るが、体からは魔力を感じない。それを伝えるより先に、ベロニカは首からかけていた木製のペンダントを外した。
すると、ゆっくりと彼女の体に魔力が巡りはじめた。ベロニカは微笑む。
「実は私、魔力持ちで」
「驚きました」
「その顔でですか……?」
本当に驚いていたのだが、無表情すぎて聞き返されてしまった。
昔から魔力持ちは重宝されていたため、貴族籍を与えられることがほとんどだ。
ただし中には平民でもごく稀に発現する者もいる。遠い血縁に魔力持ちがいた、突然変異……理由は明らかになっていない。
「私が18歳の頃、魔力が発現しました。熱が出て苦しんでいるところを、アレクさんが診てくれたんです。その時に渡されたのが、このペンダントでした」
皮の紐に、木製でできたリング型の飾りがついている。
「これを着けていれば、魔力を隠せる。王都で暮らしたくなければ、常に着けるようにと」
「なぜ、王都で暮らさないのですか」
聞かずにはいられなかった。
王国で重宝される魔力持ち。もし王都で暮らすようになれば、暮らしは一転するだろう。
ロトゥスのように盗みが頻発し、不衛生な場所で暮らさなくてもいい。賃金も数倍以上にあがるだろうし、豊かな生活が望めるはずだ。私は言葉を続ける。
「王都で働くことができれば、手厚く迎えられます」
「それは、幸せなことですかね?」
ベロニカの無垢な瞳に、私は声を詰まらせてしまう。
あたたかな布団で眠ることができ、食べるものに困ることはない。きらびやかな宝石を身につけることができ、高度な教育を受けることができる。メイドに身の回りの世話を任せ、いたるところに豪華な調度品が飾られた家に住むことができる。
ロトゥスでの生活を思えば、天と地の差だ。そう分かっていたはずなのに、私は頷くことができなかった。黙ってしまった私を見て、ベロニカは言う。
「リディアさんが言うことはわかります。
村八分にされて来た人、家から勘当されて来た人、手足が不自由で定職に就けず稼げなくなった人……この街には様々な人が流れてきました。ロトゥスの想像以上に貧しい生活に、自ら命を絶つ人も多かった」
「それでも、ここで暮らしたいのですか」
「……はい」
変な間があった。
真意を探ろうとするが、目の前の瞳は、明るい光を内包しているだけだった。
首を傾げつつも、私は次に浮かんだ疑問をぶつけた。
「なぜ魔術を、習得したいのですか」
王都で働きたくないと思っているなら、魔術を訓練する意味はないはずだ。
店主として、母親として、常に忙しそうに動き回っているベロニカのことだ。さらに今は妊娠している。時間的にも、体力的にも、魔術を習得するメリットはないように思えた。
私の問いに、彼女は胸の前で指を組んだ。
「みんなを……守れるようになりたいんです」
そんな彼女の姿を見て、私は目を見張った。
(みんなを、守る)
心臓がちりちりと鈍い痛みを訴えた。
私にとって魔術訓練をする理由は、国のためだった。魔物退治をするため、次期王妃としての存在感を示すため、並べられた理由に頷き、私は言われたとおりに詠唱していた。それらはフレイユから養殖された理由であって、自ら見つけた理由ではない。
魔力が巡る手のひらを見つめる。
──この力を、自分の意志で使ったことがあっただろうか。
今まで一度も抱いたことがない疑問がわいてくる。
「一生、魔術なんか使わないでいようと決めてたんですけど。最近なんか物騒だし」
「物騒?」
「そうなんです。森の中で盗賊が現れたとか、見たことがない異国の人が増えたとか」
「盗賊……」
はじめてロトゥスを訪れた帰り道、突然現れた盗賊を思い出す。
街の住人は、森に果物や木の実を採りに行ったり、腕に覚えがある者は獣や魔物を狩ることもあるそうだ。比較的安全な場所を選んでいるだろうが、危険な目に遭わないとは言い切れない。魔術を覚えていれば安心材料の一つにはなるだろう。
彼女の言葉に納得し、最後の質問をぶつけた。
「なぜ、私なのですか?」
「なんとなく、です!」
「なんとなく……」
「あ、適当とかじゃないですよ! こう、私の直感が告げてるんです! リディアさんは教えるのが上手そうだーって」
今日を含めて数回しか会ったことがないのに、何故そう思うのだろうか。疑問は浮かんだが、口には出さないでおいた。私の頭にアレクの姿が浮かぶ。
「アレクさんの方が適任ではないでしょうか」
「え、アレクさん? 無理無理無理! 怖いですもん、正直!」
片手を思いっきり横に振る。
飾り気なしの感想に、思わずうっすらと笑みがこぼれる。するとベロニカは嬉しそうに笑った。そして私の手をとり、力強く言った。
「ヒマな時だけでいいし、お礼も必ずします! 私の先生になってください!」
「先生」と言う言葉で浮かんだのは、教育係のフレイユの姿だった。胸が苦しくなる。
しかし表情には出さぬよう、「わかり、ました」と頷いた。