7.ベロニカのお願い
ロトゥスは今日もすごい人混みだった。
フードを深く被り、人の間を縫うように歩いていく。
複数の調味料と、アレクに頼まれた魔物の素材はすでに購入した。
もう買うものはなかったはず、今朝の会話を思い出しながら歩いていると、端にカラフルな店が見えた。
一瞬だけ立ち止まると、後ろから人に押されて、店の前で転んでしまう。「大丈夫ですか?!」と聞き馴染みのある声が上から降ってきた。
見上げると、ベロニカが心配そうな顔で見つめていた。立ち上がり、ローブについた砂ぼこりを払う。彼女は手を合わせながら嬉しそうに言った。
「リディアさんじゃないですか! 来てくれたんですね!」
たまたまカラフルな店構えが目についただけだが、口には出さず、こくりと頷いた。茶色の瞳は爛々と輝いている。街へ来た時、何度かベロニカに話しかけられていたが、実際に店を見るのは初めてだった。
ちらりと店先に目線を移せば、様々なものが売られていた。
真っ先に目についたのは何かの巨大な牙や角。床に乱雑に並べてある。
隣にはテーブルがあり、アクセサリー類が売られていた。どうやら魔物の素材を加工しているようだ。
アクセサリーと一緒に刺繍が入ったハンカチも並べられている。花や月など、様々なモチーフが施されていた。他にも色とりどりのクッションやカバンも乱雑に置いてある。
ジャンルが混沌としていて何とも言えずにいると、ベロニカは商品の説明を嬉しそうにし始めた。
「この牙や角は主人のトニーが狩ってくれたものです! 形が悪いものは、長女がペンダントやイアリングにしてるんです。それとこのハンカチ! 前にも説明しましたが、次女が縫ったんです。上手でしょう?」
まくしたてるように説明され、ズイッとハンカチを差し出される。布に施された刺繍を見て、こくりと頷いた。
城にいた頃はフレイユからの指示で、派手なドレスを身につけることもあった。ドレス全体に宝石が縫い付けられており、葉や花をモチーフにした刺繍が描かれていた。
注目を集めることに特化したデザインばかり見ていたので、手元のハンカチのデザインは新鮮に映った。あまり見ない小ぶりな花のモチーフや、複数の糸を組み合わせた色使いが興味深くてまじまじと眺める。模様に夢中になっていると、褐色の男性がベロニカに話しかけた。
『これ、いくら?』
『100ベニーですよ!』
『もう少しまけてくれない?』
サンゼレシア王国より南にある国の言葉だった。
親交がある国のため、私も習得していた。ずいぶん遠くの国から来ているのだと思うと同時に、流暢に他言語を話すベロニカに驚く。交渉の末、まける代わりに、いくつかの商品と一緒に売ることができたらしい。ベロニカは満足そうな顔で笑った。
「他国の言語を喋れるのですね」
「ロトゥスって観光目的で、他国から来る人も多いんで! 聞いているうちに覚えちゃいました」
国としては危険地域の「魔の森」だが、世界的に見ると珍しい魔物が出没する場所でもある。
薬の素材や、冒険者の服や武器など、様々な用途を求めて来ているのだろうと察した。行き交う人々を眺める。髪型、肌の色、言語、服装……どれか一つとっても様々だ。
不思議な気持ちになる。
城にいた頃は、同じような人としか顔を合わせなかった。サンゼレシア王国の言語を喋り、清潔な衣類を身に纏い、私の機嫌を伺うように手を揉む貴族しか知らなかった。私にとって民とは、紙の上での数字でしかなかった。
(こんなに、たくさんの人がいるのね)
ぼうっと見つめていると、ベロニカから声をかけられる。私は茶色の瞳を見つめ返し、意を決して言った。
「あの、隣で見ててもいいですか」
「え?」
「邪魔はしないので……」
小声で付け加えると、ベロニカは花開いたように笑顔になった。
「もちろん! あ、こちらどうぞ!」とハギレをつなぎ合わせたクッションを、シートの上に置いてくれた。ぺこりと頭を下げ、フードを深く被り、膝を抱えて座る。
それから店にはたくさんの人が訪れた。
踊り子のような格好をした女性や、顔が傷だらけの老人、ハンカチを母にねだる子供もいた
ベロニカは誰に対しても対等だった。笑顔で明るく迎え入れる。
ガタイの良い男性に「安くしろ」と言われても、一歩も引かずに生き生きと交渉していた。
客の勢いが落ち着いた頃、彼女に問う。
「大変じゃ、ないですか? いろんな人が来るので」
「そりゃ〜〜〜〜すご〜〜く大変です! 女だからって明らかに下に見てくる奴もいるし、伝わんないと思ってんのか他言語でボロクソ言ってくる客もいるし、命かけて魔物を狩ったのに平気で『高すぎる』とか文句言う客もいるし」
ぶつぶつと愚痴るベロニカ。色々溜まっているのだろう。
「魔物が、いなければ……」
私の相槌に、しゃべり続けていた唇がピタリと止まった。そして考えるように腕を組み、首をひねる。
「それは、そうなんですけど」
まさか肯定以外の言葉が返されると思わなくて、私は大きく瞬きをした。
「危険ですし、命を落とすこともあります。でも魔物がいなければ、生きていけない部分もあります」
「生きて、いけない」
「魔物の素材はお金になるし、部位によっては食料にもなります。共生ってやつですね!」
「共生」
そんな価値観があるとは思わなかった。
「魔物」は排除されて当然の存在。そう信じて疑わなかった。
しかしベロニカは、魔物がなくてはならない存在だと言う。私の内側に大きな風が吹いた気がした。
再び、店に客が来る。
男性2人組の客だった。長袖のチュニックの上に、革のベストを着ている。大きな布製の鞄を斜め掛けしており、書籍や書類がちらりと見えた。身のこなしからして商人だろうか。
彼らの交渉をぼんやりと聞きながら、ベロニカの言葉を反復していた。
商品が6割ほど売れた後、彼女は店じまいをし始めた。
太陽は頂上から少し傾いたくらいで、暗くなるまでにはあと数時間はある。
「もう、店じまいするのですか」
「えっと、その」
珍しく言い淀み、目を泳がせた。そして私の近くに来て、耳元で囁く。
「実は、リディアさんにお願いがあって」