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4.デイビットの幸福


リディアの元婚約者デイビット視点です。




 


 自分が「傀儡の王子」と呼ばれていたことを、デイビット・グランダールは知っていた。


 サンゼレシア王国の第一王子候補として挙がっていた彼は、幼い頃から大人の指示に従って生きてきた。国の情勢を頭に叩き込まれ、剣術や魔術も訓練させられた。社交パーティにも出席し、貴族との繋がりを深めることを求められた。


 デイビットには様々な才能があったが、不幸だったのは、趣味のチェス以外1つとして楽しめるものがなかったことだ。


 好きでもないことを強要され、忙しなく過ぎる毎日に彼は疲れ果てていた。

 数分刻みで組み込まれるスケジュール。知識量が足りないと言われ、夜中まで見張られながらペンを走らせた。時には心配してくれるメイドや執事もいたが、いつの間にか消えていた。

「立派な国王になるために」という言葉は、デイビットにとって骨の髄まで染み込んでいた言葉だった。


 5歳の時、婚約者のリディア・ルーンベルトに出会った。

 ルビーのような赤い瞳、ゆるいカーブを描く金色の髪、薄紅色の唇からは気品ある挨拶が発せられる。きれいな人だと、目を奪われた。一緒に過ごす日々の中で、彼女の瞳がガラス玉みたいだと気づくのに時間はかからなかった。


「がらんどうの姫」と彼女が陰で言われているのを聞き、「自分と、同じだ」と感じた。


 デイビットとリディアには、意志を持ち人々を導くリーダー的な役割は求められてなかった。求められたのは、国内で強い権力を持つ王族や貴族たちに従順であること。それだけだった。しかし知識を持たぬ愚か者が国王と王妃になれば、他国から見下される可能性がある。国の体裁を保つためにも、彼らには徹底的に知識や魔術を叩き込んだ。


 幼い頃から弱音を吐くことも、表情を素直に出すことも許されなかった。押しつぶされそうな重圧に、眠れぬ夜を何度も過ごしてきた。

 デイビットは自分だけの苦しみだと思っていた。

 しかしリディアの瞳を見て、自分だけではないと心が救われる心地になった。周りからのプレッシャーは重く、苦しみに溺れることもあったが、リディアとなら手を取り合って生きていけるかもしれない。


 しかし彼は、そのことを伝えることはなかった。王族としての振る舞い方、魔術の使い方や剣のさばき方なら分かっただろう。だが、たった一人の婚約者とどのように接すればいいのかは見当もつかなかった。

 それはリディアも同様だった。常に優しく微笑み、優秀だったが、デイビットに対して、何か言うことは決してなかった。



「お疲れさまです、デイビット様」



 なまめかしい声に、デイビットは気分が高揚するのがわかった。

 机の上には大量の書類。それぞれの領地を治める貴族からの報告書だった。

 報告書の横に置かれたコーヒーの香りが、鼻腔をくすぐる。一口飲んで、目の前にいる女性ーーカリス・サラティアに微笑んだ。


 腰まで伸びた豊かな銀髪。銀髪がなびくたびに、精霊たちがダンスするかのごとく、光が散らばり目が離せなくなった。

 そしてエメラルドの瞳。自分と同じ色の瞳という事実に、幸福で胸が溢れる。

 彼女の透き通った瞳に、自分の姿が映っていた。何度でも映してほしかった。捉えてほしかった。

 まるで麻薬のようだった。彼女と話すと、気分は高まるが、ひどく喉が乾く心地にもなる。もっともっと、子供のように強請ってしまいたくなる。


 カリスと出会ったのは、3年前だった。


 その日もデイビットは、社交パーティに参加させられていた。

 取り繕った笑みを浮かべる貴族たちに、デイビットは1人で対応する。隣に妻であるリディアの姿はなかった。


 彼女は王太子妃になってから、一度もパーティに参加をしたことがなかった。「社交性がないため」と教育係から理由は聞いていたが、本当の理由は違うとみな知っていた。

 リディアの魔術展開を見て、王宮魔術師が興奮する様子を思い出す。彼女が王太子妃に即位してから「王国最強の魔術師」と囁かれることが多くなった。


 期待と脅威を滲ませたまなざしを、リディアに向ける王族と貴族たち。


 王国側は考える。

 万が一、王国に反する集団との繋がりを得てしまえば、太刀打ちできない可能性がある。


 貴族側は考える。

 一部の貴族と懇意にし、力をつけられたら厄介なことになる。だったら王国側で囲っていた方がまだマシだ。


 澱のような思惑が渦巻き、リディアは社交界から爪弾きにされた。リディアの不参加に異を唱える者はいなかった。


 彼女が魔術師として名声が高まると同時に、デイビットと比較する声も聞こえてきた。比較されるたびに、「リディア様は精霊魔法を使えないですし」「デイビット様はどちらも使えますもの」という貴族からの励ましが聞こえてきた。最初は鬱陶しいと感じたその言葉が、今ではーー心の拠り所になっている。


 リディアを「唯一の理解者」だと思っていた。その印象が、歪に形を変えてきた頃だった。



「デイビット様、少しお話しませんか?」



 ひっきりなしに貴族に話しかけられ、連日の疲れも相まって、逃げるように用意された休憩部屋に向かった。扉の前にいる護衛に声をかけ、部屋に入り、バルコニーに出る。人混みで火照った体に、夜風が気持ち良い。

 数分だけ、と目を閉じ、体を休ませてた時だった。


 あどけない声が聞こえ、ハッと隣を見ると、大きな瞳がこちらを見つめていた。

 護衛は? なぜ自分の隣に? 彼女は誰だ?

 次々と浮かぶ疑問に答えるように、彼女はふふふと笑う。



「デイビット様とお話したくて……ちょっとだけ魔法をかけちゃいました」



 人差し指でくるりと空を撫でる。


 王族の護衛に魔術や魔法をかけるなど、反逆と捉えられてもいい行為だ。

 しかしデイビットは目の前の女性に釘つけになり、非難する言葉は頭の中から消え失せてしまった。


 彼女は美しかった。


 しかし幼い頃からリディアが傍にいた彼にとって、容姿の美しさは魅力とはならなかった。

 彼がもっとも目を引いたのは、自信があふれた魅惑的なオーラだった。



「カリス・サラティアと申します」

「サラティア家……ユーグリスを治めてる……」

「流石ですわ」



 子供のように微笑むカリス。

 ころころと変わる表情も彼の目には、とても新鮮に映った。サンゼレシア王国の上位貴族であるサラティア家を知らない王族などいない。知っていることに褒め言葉をもらっても何も嬉しくないはずだった。しかしデイビットの心臓は高鳴るばかりだ。


 それから数分ほど、彼女と話をした。

 ユーグリスの名産品の話や、カリスが精霊魔法を得意とすること、そして父親が自分の婚約者を見つけるために奮闘していること。



「イヤになっちゃう」

「それは、大変だね」

「……優しいんですね」



 声を潜めて、ずいっと顔を近づけた。

 星屑を散りばめたような瞳。その輝きは無限の可能性を秘めているように思えた。

 ごくりと喉を鳴らすと、彼女は切なそうに顔を少し歪ませた。



「デイビット様だったら良かったのに……なんて」



 どういう意味かと問う前に、彼女はくるりと背を向けた。

 顔だけ振り返り「また会ってください」とだけ言い、部屋から出て行ってしまった。

 彼の心には今まで、触れれば壊れてしまいそうな美しい花が一輪咲いているだけだった。

 隣に、大きな花が咲きはじめる。時折切なさを伴いながらも、咲き誇っていく。


 それからカリスとの秘密の逢瀬がはじまった。


 王子であるデイビットがパーティを抜け出せるのは、せいぜい数分だった。

 彼女との逢瀬は、彼に甘い傷跡を残していった。常に存在を主張する痛みのように、彼女と会っていない時も、彼の心を疼かせた。月に数度のパーティで、数分しか会うことしかできない。この距離がたまらなくもどかしかった。


 まれに城の中でもすれ違うこともあった。

 周りの目があるため話しかけることは当然しないが、つい彼女を追ってしまう自分がいた。するとカリスは、流し目でそっと合図を送ってくれる。秘密を共有するかのように。周囲に関係が露呈するかもしれないというスリルさえも、今の彼にとっては媚薬のようだった。


 カリスを自身の妻にしたいと考えるようになるまで、時間はかからなかった。


 いつものようにバルコニーでの逢瀬を楽しんでいる時、「また父から縁談の話があって……」と彼女は口を尖らせる。

 彼女は結婚する気がなさそうだが、それも時間の問題だろう。上位貴族が子孫を残さない道など、あるわけがない。カリスの隣に知らぬ男が立っていることを想像する。体の中が沸騰するように熱くなり、怒りでどうにかなってしまいそうだった。


 普段だったら慰めの言葉が出ていただろう。しかし今日は違った。



「君が妻だったら、よかったのに」



 そう言った後の彼女の表情を、デイビットは一生忘れないだろう。


 目を見開き、エメラルドの瞳がきらきらと輝いた。頰が上気し、真っ赤なルージュが施された唇が美しい弧を描く。

 デイビットの心の中では、2輪の花が咲いていた。しかし彼女の表情を見て、今にも折れそうな儚い花はポキリと折れ、花びらは散り、枯れてしまった。そして残った大輪の花が、誇らしげに咲いた。



「夢みたい」



 嬉し涙をにじませ、カリスは自分の体に飛び込んできた。

 やわらかで、あたたかい感触。幸福とはきっと、彼女の形をしているのだろう。


 そして2人は見つめ合い、星空の下、そっと口づけを交わした。


 儚く散ってしまった花を、デイビットは怒りに身を任せながら、ぐりぐりと踏み潰した。

 神格化されている精霊魔法が使えない。リディア・ルーンベルトは王太子妃にふさわしくない。「がらんどうの姫」と呼ばれる王太子妃など、民から恐れられるだけだ。リディア・ルーンベルトは王太子妃にふさわしくない。考えれば考えるほど王太子妃にふさわしくない存在なくせに、その地位にのうのうと座っている彼女が憎い。


(どうすればリディアを排除できる?)


 ルーンベルト家の派閥の影響力は大きい。自分の一存で婚約破棄などできない。

 カリスの方が王太子妃としてふさわしいのに。歯ぎしりすれば、カリスは自分の気持ちを汲んだように、様々なアドバイスを授けてくれた。


 ユーグリスに腕の良い魔道具師がいるらしい。魔力暴走に悩む者のために作って欲しいと頼めば、疑われることもないだろう。リディアの膨大な魔力さえ抑制してしまえば、ただの女だ。

 あとはリディアの力を恐れる集団があるらしい。「私が間に入り、コンタクトを取りますわ」と微笑んだ。

 カリスが妻になる未来が見えて、高揚する。やはり彼女は自分が望むものをすべて提供してくれるーー


 そして全ての準備が終わり、作戦を決行する日が来た。


 リディアにペンダントをかけた時、デイビットは微笑んでいた。

 それが彼女に見せる初めての、心からの笑顔だった。




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