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3.王妃は働く

 

 私を助けた男は「アレク」と名乗った。

 彼は毎日、食事を持ってきた。私は何も言わずに、出された食事を食べた。


 麻や綿でできた服を持ってくることもあった。

 シャツを着るのは初めてだったが、平民たちの装いを思い出しながら服を着替えた。


 お湯が張られた桶とタオルを持ってくることもあった。タオルで体を拭けと指示される。

 私は言われた通りに服を脱ぎ、タオルを絞り、体を清めた。


 一日の大半をベッドの上で過ごし、窓の外に広がる森を見つめていた。「魔の森」は鬱蒼とし、光が一切入らない場所だと思っていた。しかし昼間は日当たりがよく、太陽の光に目を細めることもあった。


 反対に、私の心は深く、暗い場所にあった。

 デイビットに殺されかけた事実は、悪夢として現れ、溺れるような苦しみを私に与えた。

 私が自ら命を絶つ方法はいくつもあった。火で身を焦がすことも、自身の周りの空気をなくして窒息することも、雷を落とすことも、私にとっては造作もないことだった。

 それでも私は人形のように生き続けた。


「貴方が死のうとするたび、傷つくメイドが増えていくことでしょう」


 フレイユの言葉は鎖のように、この世界に私を縛りつけた。


 アレクは何も言わずに私の世話をし続けた。なぜ自分を助けたのか、なぜ生かし続けるのか、私も問うことはなかった。食事を食べ、服を着替え、体を清め、窓の外を眺める。同じような毎日が淡々と過ぎていく。


 ーーそして、1ヶ月が経った。


 ある日の朝、アレクはいつものように朝食を持ってきた。私が食べ終わると、再び彼は部屋にやってきた。手には箒と雑巾、水が入ったバケツを持っている。



「そろそろ働いてもらう」

「働く……」

「不満か?」



 私の言葉に、不機嫌そうに聞き返す。


「わかりません」と言う私の言葉を遮るようにして、「放り出すぞ」と睨まれてしまったので、押し黙るしかなかった。手に持っていた掃除道具を渡される。



「まず部屋の掃除、終わったら声をかけてくれ」



 しかし昼過ぎになっても私は部屋から出ることがなかった。


 アレクは訝しむ様子で部屋に入ってきた。私は箒を持ったまま立ち尽くしていた。「何をしている」と問われ、「掃除とは、どうやるのですか」と返答する。そんな私を見て、アレクは乱雑に頭を掻いた。


 掃除の仕方を教えられ、1時間後に再び彼はやってきた。

 暖炉の灰は残り、部屋の隅にはホコリが積もっていたが、「まぁ死にはしないか」と言い、私を外へ連れ出した。

 私にとっては1ヶ月ぶりの外出である。排泄以外ではベッドの上から動かなかったため、関節がうまく動かない。ぎこちない歩き方で、アレクの背中を追いかける。


 古ぼけた扉を開き、外に出る。風が吹き、乾いた本のような匂いがした。冬の匂いだった。

 今日は雲ひとつない晴天で、一瞬ここが「魔の森」だと忘れてしまいそうになる。

 振り向いて小屋の外観を見れば、外壁は年季が入っており、修繕のためか何箇所か木材が打ち付けてあった。



「こっちだ」



 声をかけられ、アレクの後ろ姿を追う。部屋の中だと白く見えた髪の毛が、太陽の下だと銀色に輝いて見えた。

 連れて行かれたのは小屋の裏手にある畑だった。耕された畑に4種類ほどの野菜が植えられている。



「お前さんも魔力持ちだろう。ここに水をやってくれ」



 彼の言葉に少し驚く。

 魔力持ちでなければ、相手の魔力を感知できない。

 ペンダントの効力を気づいた時から薄々感じていたが、彼も魔力持ちらしい。


 私はこくりと頷き、魔法陣を頭の中で描き、短く詠唱した。

 するとバケツをひっくり返したような水が畑と、アレクに降り注いだ。



「……」

「水です」

「……もう少し弱く……」



 髪から水を滴らせながら、アレクは呟いた。


 その日から私は働いた。

 毎日、部屋の掃除を行い、畑に水をやった。畑から野菜を収穫し、料理をした。

 はじめの頃の料理は散々だった。

 最大火力の魔術を展開し、火柱をあげ、跡が天井に焦げ付いた。「小屋を燃やす気か」と叱られた。

「野菜を切れ」と言われたので、力いっぱい包丁で野菜を叩いた。にんじんの破片が勢いよく壁に衝突し、トマトの汁が飛び散って私の服を汚した。

 煮込んだはずの具材は固すぎて噛めないこともあったし、煮込みすぎて消えることもあった。

 味の調整が分からず、瓶いっぱいの塩を入れた時は怒鳴られた。



「……お前さん、今までどうやって暮らしてきたんだ?」

「……」



 呆れながら言われ、私はうつむいた。

 魔術の詠唱や、隙のない微笑み方、貴族マナーなどは何度も実践してきた。

 ただ掃除や料理などは、メイドがやることで、自分が行うものではなかった。

 部屋は常に手入れが行き届いているものだったし、料理は時間になれば机に並べられているものだった。


 小屋に来てからは、初めての経験ばかりだった。


 アレクの言い方は決して優しいものではなかったが、フレイユのように手をあげたり、何か罰を下したりすることはなかった。

 私が失敗しても、めんどくさそうに髪を掻きながらも、助言してくれる。

 手を傷だらけにし、顔に泥汚れをつけながら、私は少しずつ上達していった。


 そして、私が小屋に来てから2ヶ月が経った。

 キッチンにあるテーブルで向かい合うように対峙し、2人でスープをすする。



「まぁ、及第点か」



 ぶっきらぼうだが、どこか優しげな口調。

 私の胸に小さな火が宿り、馴染みのない感情にまばたきをした。



 *



「魔術より精霊魔法の方が良くないか?」



 畑に弱い雨を降らせている私を見て、アレクは言った。


 魔術と違い、精霊の力を借りる精霊魔法は、自身の魔力を使わなくて済む。

 魔力は個人差もあるが有限だ。精霊が多い自然に近い場所では、精霊魔法を使うことが基本とされている。それでも私が精霊魔法を使わない理由があった。



「私は、精霊魔法が使えないので」

「使えない?」

「はい」



 王国で最強の魔術師として名を馳せていた私だが、精霊魔法は一切使えなかった。

 人々の生活に寄り添ってきた精霊たちの力を借りるため、精霊使いの方が神格化されやすい。反対に魔術は、魔法陣の回路の構成や古代文字の使用など、複雑な部分が多く、敬遠される傾向にある。


 次期王妃として、私も精霊魔法を使えるよう訓練された。しかし練習を重ねても使えることはなく、何度も非難された。

 反対に、魔術は訓練すればするほど、威力が高まり、能力が向上した。フレイユの教え通り、手のたこが潰れ血が滲むまで魔方陣を描き、喉が枯れるまで詠唱を唱え続けた。16歳になる頃には「王国最強の魔術使い」とまで呼ばれるようになった。


 一部では恐怖の対象として見られているのは知っていたが、精霊魔法が扱えぬ以上、魔術の腕を磨く道しか残されていなかった。



「理由は分かっているのか?」

「いいえ。私の呼びかけに、精霊たちは答えてくれないのです」



 私は指先を見つめる。

 精霊使いによると、精霊たちはそこら中に「いる」と言う。

 わずかな光が見える、気配を感じると大半の人は言うが、中には精霊の姿を捉える人もいる。

 しかし私は見えるどころか、感じることもない。



「私は、精霊使いとしての才能がないと言われました」

「……誰に言われたんだ?」

「フレイユ先生に」

「例の教育係か」



 苦々しげにアレクは言う。フレイユに会ったことがないはずなのに、なぜそんな目の敵のような言い方をするのかが分からなかった。



 *



「出かけるぞ」

「今、ですか?」



 今日の晩御飯はにんじんと芋のスープと、薄切りのパンだった。特に会話もなく食事を終え、皿を片づけていた時だった。後ろから声をかけられ、布巾で器を拭く手を止める。

 キッチンにある小窓の外を眺めると、暗闇が広がっていた。



「そこまで遠出はしない」



 詳しくは説明されず、「それを着ておけ」とマントを椅子にかけられる。皿を食器棚に戻し、マントを羽織る。首回りは琥珀色のファーがついており、濃紺の厚手の布が足首まで覆った。同じようなデザインのマントを、アレクも羽織る。彼のマントは黒く、足の付け根あたりまでを覆っていた。


 小屋を出て、森の中を歩いていく。夜空に爪で引っ掻いたような薄い月が出ていた。

 光源としては期待できず、森の中は暗闇で覆われていた。「遠出はしない」と言った彼の言葉通り、10分ほどで目的地にたどり着いた。


 目の前にあったのは、小さな泉だった。


 周りには泉を隠すかのように、雑草が茂っている。連れてきてもらわなければ、気づかなかっただろう。

「ここに何が」と問おうとアレクを見上げた瞬間、「静かに」とでも言うようにアレクの人差し指が唇に充てられていた。おとなしく言葉を発さずに待っていると、泉からふわりと光が舞った。


 最初は、一粒の光だった。

 それが、二粒、三粒と増え……数えきれないほどの光が漂う。恐ろしいほど闇で包まれていた空間が、今はまばゆい光を放っている。



「精霊たちだ」



 小声で正体を言うアレクに驚く。

 今まで見たことがなく、これからも見られないだろうと思っていた精霊たち。

「なぜ見ることができるのか」と疑問が掠めたが、目の前の光景にかき消されてしまった。

 沈黙を貫き、ただ光彩を放つ精霊たち。ささやかな淡い光を、ひとえに光らせている。

 光の中をよく見ると、透明な羽を持つ子供のような精霊がいた。初めて見る姿に、何か熱いものが突き上がる。


 精霊たちは楽しそうに手をつなぎ、額をくっつけ合いながら、くすくす笑っている。

 彼らは月へ出かけるように舞い上がると、消えた。泉は再び暗闇に包まれてしまう。一瞬のような永遠のような時間だった。

 呆然としている私に、アレクは「帰るぞ」と踵を返す。


 静かな夜だった。遠くの方で鳥たちが、時折思い出したように鳴いていた。しばらく無言で歩いていたが、マントのはためきを見ながら、問う。



「本当に、精霊たちなのですか」

「あぁ」

「なぜ私に見えたのでしょう」



 先ほどまで抱いていた疑問をぶつける。

 するとアレクは立ち止まり、振り向いた。ふくろうの鳴く声が遠くでこだまする。

 彼は「マントだ」と呟き、説明を加えた。



「これは人間の匂いを消す」



 精霊たちは繊細だ。

 人に慣れている精霊たちならまだしも、脅威が多い「魔の森」に住みつく精霊たちだ。普段と違う匂いがすれば、決して現れないだろう。

 なるほど、と頷いていると、アレクから問われる。



「精霊たちが見えたのだろう?」

「は、はい」

「どんな姿だった?」

「羽を持った、髪の長い子供のような精霊でした」

「そこまで見えていたのか」



 アレクの灰色の目がわずかに開く。



「精霊の姿を認識できる人間は稀だ」

「このマントを着ていても、ですか?」

「あぁ。


 ……お前さんは精霊使いにもなれる」



 断言する彼と、驚きのあまり声を失う私。フレイユの授業を思い出す。


「精霊たちはあなたが気に入らないのでしょう」

「あなたの前には決して現れませんよ」


 精霊を呼び出す呪文を呟き、空振りで終わる。

 そのたびに冷たく言い放たれ、いつしか呪文を唱えることさえなくなってしまった。自分は精霊たちに嫌われる存在だと、認識していたからだ。


 森に冷たい風が吹く。飛ばされぬようマントをしっかりと押さえた。

 風の音が止んだころ、アレクは厳しい口調で言う。



「自分の才を、誰かの言葉で決めるな」

「はい」



 返事をして、目をまたたかせる。

 フレイユの教えに、今までは機械的に、言われたこと全てに頷いていた。しかし今の私の返事は、明らかに違っていた。胸の内に叱責がするりと入り込み、心から発する肯定だった。


 アレクは早足で小屋へと向かう。私も急いでその背中を追った。



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