25.あの時の絶望が
コスフォルト国はサンゼレシア王国から陸地で繋がった隣国である。彼の狙いは簡単に想像できた。どちらもブロン海に接しているため、領海を広げたいのだろう。鉄鉱石などの資源を狙っているのかもしれない。しかし大きな問題が1つある。
「コスフォルト国とは不可侵の同盟を組んでいたはずですが」
「あぁ、だから攻める大義名分があれば良い」
「……大義名分?」
「たとえば、魔の森近くの村が焼き払われた報復……とかな」
息をひゅっと飲み込んだ。
「浄化作戦」を聞いた時からずっと、理由を考えていた。国内の治安維持、民族の統一など理由はいくつか浮かんでいたが、どれも断定するには情報が少なすぎた。そして今、デイビットは私が考えた理由の中で一番最悪なシナリオを口にした。
(ロトゥスを、戦争を起こす火種にするため……)
彼からしたらロトゥスの人々は、紙の上の数字でしかない。
常に魔物の脅威に晒され、スリも喧嘩も多く、貧困者が流れ着く街。
コスフォルト国の侵攻が成功すれば、国を横断するように存在する魔の森は不要になる。
それならばロトゥスを燃やしても構わないという判断だろう。
しかし、自分は知っている。たくましく生きているロトゥスの人々のことを。
決して生きやすいとは言えない街で、彼らは工夫をし、笑い、悲しみ、生きていた。
そして思い出す。
家族を守りたいと言ったトニーのことを。
絶えない笑い声を響かせた子供達のことを。
楽しそうに魔道具を作り続けるタンダのことを。
輝く未来を夢見てお腹をなでるベロニカのことを。
そして、最後に思い出したのは──
今の話を聞いても、周りの貴族からは何の反応もない。驚く様子もないところを見ると、もう周知の事実なのだろう。沈黙を貫く自分。肯定だと判断したのか、彼はさらに衝撃的なことを告げた。
「そこで、だ。コスフォルト国に攻める魔術師軍隊の第一線隊長に、君を任命したい」
ホール全体の雰囲気が変わった。見なくてもわかる。周りの貴族たちは冷笑を浮かべている。死に突進していく部隊長に対する、あざ笑うような視線を感じる。
ハイヒールの尖った爪先を睨むように見つめた。自分がどんな表情を浮かべているか分からない。熱い血液が、体全体を巡っていた。ふつふつと煮えたぎり、心臓が爆発してしまいそうだった。ただ不思議と頭の中はやけに冷静だった。
私は顔を、ゆっくりと上げた。
雰囲気が変わったのを察したのだろう。デイビットの顔がわずかに硬直した。
瞬間、広場の床に、巨大な魔法陣が広がった。そしてガラスが割れるような鋭い音とともに、氷が出現し、全員の足元を拘束した。ホール全体の温度が冷え、頰に冷気が刺さった。火照った体に心地よい。
叫び声が王の間に広がる。
「なっ、これは、どういうことだ!!」
デイビットの叫びがこだまする。
慌てふためく彼とは反対に、隣にいるカリスは冷静だ。まっすぐにこちらを睨んでいる。
彼女は小さく詠唱すると、火の精霊が現れ、デイビットと自分の足元の氷を溶かした。「あぁ……!」と感動の声をあげ、デイビットは私を再び睨んだ。
「いくら王国最強の魔術師とはいえ、ここは王城内。精霊魔法が使えぬお前に勝ち目はない」
王城には巨大な庭園がある。
そこには魔力が張り巡らせており、精霊が住みやすい環境をつくりあげている。魔の森などに住む精霊は危険が多いため、隠れるように生き、人間の前には滅多に現れない。しかし城の精霊は生まれた時から庭園で過ごすことが多く、天敵である魔物もいないため、自由に飛び回っている。
王城に住む精霊は子孫を何百年も残し続け、王城の庭園には多くの精霊たちが住んでいた。
そのため王城近くで精霊魔法を使うと、威力が発揮しやすい。
さらに周りは魔力持ちの貴族ばかりだ。何人かはすでに足元の氷を溶かし、こちらを睨んでいる。いくら魔術の威力が強くても、魔力切れになればただの人だ。私が魔力切れになるのを待つか、もしくは力で抑えこもうという魂胆かもしれない。
デイビットは指差し、勝ち誇ったように言葉を続ける。
「リディア・ルーンベルトよ。ひれ伏せ! そうすれば命だけは助けて……」
こちらを威圧するような物言いが萎み、ホールをきょろきょろと見渡した。「なんだこれは……」と目の前の景色に呆然としている。
王の間にはちらちらと雪が降っていた。
貴族たちも、カリスも、状況が把握できず、困惑した表情であたりを見渡している。
「氷雪の精霊よ──」
私の呼びかけに応えるように、猛吹雪が王の間に吹き荒れた。
貴族たちの叫び声は、吹雪の音にかき消されてしまう。デイビットとカリス、そして私の周りは雪は降らず、特殊なベールに包まれていた。顔面蒼白になったカリスが、震える声で言う。
「な、なぜ、精霊魔法を使えるの」
「おい! フレイユ! どこだ!!」
デイビットが、名前を叫ぶ。
すると、猛吹雪の中から1つの人影が見えた。デイビットのベールの中に飛び込むように入り、四つん這いになりながら呼吸を整える。ゼェゼェと呼吸を繰り返す、かつての教育係。
私に厳しい王妃教育を施したその女は、血走った目でこちらを見つめた。幼い頃なら怯え、謝罪を繰り返すことしかできなかっただろう。
メガネは割れ、白髪が混じった髪は乱れ、シワが刻まれた顔を歪ませた。あんなに恐れていた存在だったはずなのに、今の私にはただの老婆にしか見えなかった。
「アイツは精霊魔法が使えなかったはずだろう?!」
「はい、そのはずです! 十年以上、教育していましたが使えたことは一度もなく……!」
自分の報告は嘘ではないと必死に弁明するフレイユ。「信じてください!」とひたすらに懇願する姿は、ひどく情けない。
私は過去の自分を思い出し、悲しみに包まれた。
自分はなぜ、この人を恐れ、ひたすらに忠実でい続けたのか。自分のことなのに、まるで理解ができなかった。
「お話は終わりましたか?」
フレイユの弁明を遮るようにいえば、3人は顔面蒼白になった。
指を鳴らせば、猛吹雪が止んだ。呼吸もままならなかった貴族たちが、その場で手をついて何度も息を吸う。うめき声がそこら中から聞こえる。
「カ、カリス……! 君の精霊魔法でアイツを……!」
「馬鹿言わないでよ! 魔術さえ強いのに、精霊魔法も使えるなんて……!」
甲高い声で叫びながら、首を何度も横に振る。
「アンタが何とかしなさいよ!」と先程までのおしとやかな印象はどこへ行ったのか、強い言葉でデイビットを罵っている。豹変した王妃を絶望した顔で見て、追い込まれたと悟ったらしい。震えた声でこちらを見た。
「ま、待て、リディア、何が望みだ」
「まずコスフォルト国への侵攻を直ちに中止してください」
「わ、わかった」
「次に」
「まだあるのか?!」
「『ロトゥスには手を出さない』と誓ってもらいましょう」
こくこくと頷くデイビット。
そして何か得体の知れないものを見つめるような目をしたフレイユに視線を移す。カエルを踏み潰したような音が、喉の奥から漏れている。
その醜い姿に、何の感情も声に乗せずに呼びかけた。
「フレイユ先生」
「な、なんでしょう」
「幼い頃から、私に言ってましたね。『分かるまで何度も口に出せ』と」
私は大きく手を広げた。そして怯えた瞳でこちらを見つめてくる貴族に告げた。
「ここにいる皆様にはロトゥスには手を出さないと何度も誓ってもらいましょう。この雪が止むまで」
「なっ」
「皆様の誠意をお見せください」
もう一度、ホールの床に巨大な魔法陣を描く。
空からは細かな雪が降り注いだ。ヒィッと悲鳴があちこちから上がる。
「さらにデイビット様にはこちらを」
コツコツと歩を進めて近づけば、彼は後ずさりをする。
しゃがんで目線を合わせ、にっこりと微笑めば、デイビットは美しい容姿をぐにゃりと歪ませた。そして、彼の首にペンダントをかけた。
「ルビーのペンダントのお返しです」
ロトゥスの店で買ったペンダントだった。彼の瞳に合わせて、緑の石がはめ込まれている。
自分に渡したペンダントの効力を思い出したのか、顔から血の気がなくなり真っ白になっている。
「外してはいけませんよ? ずっと見ていますから」
緑の石をそっと撫でると、彼は声にならない音を口から出した。
貴族たちが「ロトゥスには、金輪際、手を出しません!」「リディア様、ご慈悲を!」と手を組んで何度も唱えている。私は立ち上がり、阿鼻叫喚の王の間の中で、ちらちらと降る雪を見つめた。デイビットに襲われ、魔の森に倒れていたときの記憶が蘇る。雪に触れるように手を伸ばし、私は祈った。
(あの時の痛みが、)
(あの時の冷たさが、)
(あの時の絶望が、)
(少しでも彼らに伝わりますように)
ヒールを鳴らしながら、扉へと向かう。
分厚い扉が後ろで閉まると、声が一切聞こえなくなった。人1人いない長い長い廊下を見つめ、息を吐く。腕に冷気を感じ、窓の外を見れば、雪が降り始めていた。
廊下を歩き、歩き、少しずつ歩調が速くなっていく。ヒールの音の間隔が短くなっていく。
──気づけば走り出していた。
城から飛び出て、広大な庭をひたすら走った。雪が本格的に降り始めていた。王の間で何が起きたのか知らない貴族たちが、何事かと私を見た。肺に入った空気が薄くなり、息があがったが、それでも走り続けた。
馬車の発着所には、ルーンベルト家の紋章が入った馬車があった。顔馴染みの御者が、私の顔を見てぎょっとする。
「ロトゥスまで連れて行ってください」
それが、ルーンベルト家の娘としての、最後の命令だった。




