23.静かな夜
アレク視点です。
【アレクside】
その日は、静かな夜だった。
テーブル上のランタンを光源に本を読んでいた時、突然、轟音が鳴り響いた。
魔物や動物たちの鳴き声しか響かない魔の森。今回の音は明らかに毛色が違っていた。
ランタンを持って、小屋から出る。
雪の匂いに混じって煙の匂いがした。音の方へと歩いていくと、かすかな魔力を感じた。魔物でも、精霊でもない。
そこには、金髪の女性が倒れていた。
見上げれば崖になっている。おそらくそこから落ちたのだろうと察せられた。
魔力持ち、質の良いドレス、輝くペンダント……貴族の令嬢であることは一目見て分かった。
額と腕から流血しており、放置すれば血の匂いを頼りに魔物たちが近寄ってくるだろう。命が尽きるのも時間の問題だった。
傷だらけの貴族令嬢。助ければ、面倒ごとに巻き込まれる可能性が高い。自身の平穏な生活のためには、このまま見捨てたほうがいいだろう。そう判断して踵を返そうとした時、頭に浮かんだのは、サーシャの姿だった。
「どうか、私の分まで、生きて」
病で食料も水も喉を通らなくなり、骨と皮だけになった腕をこちらに伸ばす。
人がみな、お前みたいに真っ直ぐに生きられると思うな。いつもなら叱っただろう。
だがその時は、手のひらを握りしめることしかできなかった。
最後の最後まで、他人の幸せを願い、死んでいったお人好し。
家族から「呪われた子」と呼ばれ、村からも迫害されて、顔面のアザのせいで気味が悪いとささやかれていた。
それでも彼女はうつむくことがなかった。誰よりも幸せであろうと、胸を張っていた。
清く正しく生きていたサーシャは、病気をこじらせて、呆気なく死んでしまった。神なんてものは、この世にはいないのだと悟った。
彼女が死んでから、逃げるようにして街を出た。
辿り着いたのは「なれのはて」と呼ばれる貧民街──ロトゥスだった。
彼らは知恵を絞り、生き抜いていた。もちろん過酷な環境の中、命を落とす者も多く、人生に悲観する者も多かった。
しかし貧しいながらも住民同士で助け合い、胸を張っていた。世界中を彷徨っていた自分とタンダは、ロトゥスで生きることを決めた。住民を助け、礼を言われるたび、サーシャを喪った穴が、少しだけ埋まるような気がした。
「どうか、私の分まで生きて」
最後に彼女が言い残した言葉は、何度も脳内に浮かんだ。住民から助けを求められるたび、「もしサーシャが同じような場面に出くわしたら」と考えるようになった。彼女の言葉がいつのまにか、自分の道しるべになっていた。
そして今、傷だらけの女を前にして、自分は同じ言葉を繰り返している。
もしサーシャが同じような場面に出くわしたら──
(愚問だな……)
あのお人好しが、自身の平穏のために死にかけの人間を見捨てるわけがないのだから。
傷だらけの女を背負い、小屋へ連れて帰っていた。
テーブルに寝かせ、ランタンのもとで顔を見ると、恐ろしく造形が整っていた。顔は白く、唇は真っ青に変色している。
ところどころ破れたドレス。脱がせ方などわからないため、ナイフで切り裂いていく。胸部に手を置き、魔力を流す。すると肋骨あたりで魔力の流れが歪んでいるのが分かった。おそらく折れているのだろう。
絞ったタオルで土汚れを拭き、板と包帯で固定する。そして流血している部分を止血した。
自身の魔力を流し込んだからか、少しだけ血色も戻ってきた。安静にしていれば2,3日で目覚めるだろう。
床に散らばったドレスの残骸を見つめる。
身なりから、高い身分の貴族だと察せられた。魔力量も多そうだ。おそらく貴族として魔術師として高い教育を受けてきたのだろう。
そんな蝶よ花よと育てられたはずの貴族が、傷だらけで倒れていた。
テーブルの上に置いたルビーのペンダントに視線を移す。
崖から落ちた時の衝撃だろう、女がつけていた指輪や耳飾りは壊れていた。
しかしペンダントだけは無傷だった。これだけの大きさの宝石が傷1つついておらず、何かの魔道具だろうと察せられた。魔道具を作る際に、壊れぬよう魔力の膜を張ることがある。そうすると強度が格段に上がるのだ。
しかしルビーのペンダントから魔力の膜は感じない。もともと膜など張っていないのか、もしくは気づかれないくらい極度に薄い膜が張られているのか。どちらかだった。
もし後者ならば──
テーブルの彼女を見て、ため息をつく。想像以上にめんどくさいことに巻き込まれそうな予感がした。
3日後、女は目を醒ました。美しい顔立ちをしていたが、空虚を映す赤い瞳は薄気味悪さを感じた。
用意したスープを飲まなかった理由を問えば、「毒味をしてないので」と答えられ頭が痛くなる。箱入り娘としてわがままに育ったお嬢様と思いきや、そうではないとすぐにわかった。
彼女は人形のようだった。
小屋には自分しかいない。しかし彼女は、小屋にはいない誰かの言葉を忠実に守ろうとしていた。
そして想像以上に生活力もなかった。メイドに全てやらせていたのだろう。掃除のやり方は分からず、畑に大量の水を撒き散らし、料理では火柱を上げた。だが教えれば機械的に頷き、徐々に上手くなっていった。
プライドが高いであろう貴族が、平民の指示を受ける。怒りの言葉が飛んでくるかと思いきや、彼女は気持ちが悪いくらい素直に従った。柔軟な性格なのかと思ったが、指示をした時の彼女の表情を見て察する。
(安堵するような表情……)
誰かの指示があって初めて行動ができる。自分の意志で行動しろと言われると、途端に体が硬直してしまう。従順な人形のようだ。
リディアは見目からして、おそらく18,19くらいだろう。
少女と大人の狭間にいる人間が、自身の意志を持って行動できない。彼女が育てられた背景にうっすらとした闇を感じ、ぞわりと鳥肌が立つのが分かった。
(とりあえず自立させるのが目標だな……)
長い道のりになりそうだと髪を掻く。だが自立してしまえば、どの国でも引く手あまただろうと容易に想像はついた。見目は美しく、魔術も使える。正体さえ隠せれば、この国とは無関係の場所へ連れて行けばいい。
家事や精霊魔法を教え、何かのきっかけになれば良いと思い、街にも連れ出した。
最初はどうなることやらと思っていたが、想像以上に成長が早かった。様々な経験を経て、リディアの様子や言動が少しずつだが変わっていった。表情に感情が乗るようになり、自身の意志を口に出すようになった。
早く自立させなくては、そう思っていた。
(まだ、もう少しだけ、ここに)
そう囁くようになったのは、いつからだったか。
スープを何気なく褒めたら、うっすらと微笑んだ時だろうか
精霊たちが降らせた雨を、嬉しそうに浴びていた時だろうか
固く閉ざしていた記憶を、自分にだけ語った時だろうか
彼女と過ごす日々の中で、少しずつ大きくなる感情。
見て見ぬ振りをして、このまま毎日過ぎればいいと、そう思っていた。
ある日、雨でずぶ濡れになり、リディアは小屋へ帰ってきた。嫌な予感がする。
乱れた前髪から赤い瞳をこちらに覗かせ、静かに言葉を告げた。
「城へ、行こうと思います」
彼女の細い肩は震えていた。その震えが雨で濡れたせいではないことを、自分は分かっていた。己を殺そうとした奴がいる本拠地に乗り込んでいく恐怖は、どれほどのものだろう。
「……また、殺されるかもしれないんだぞ」
静かに言えば、沈黙が部屋に降りた。雨の音だけが2人の間に流れ込む。彼女は言う。
「私は、行かなければ」
3日後に発つと言い、彼女は部屋に戻ってしまった。
リディアがいない小屋を見回す。普段から言葉が少ない彼女だが、2人と1人では雰囲気が全く違っていた。今までずっと1人で暮らしていたはずなのに。どうしようもない無力感が襲ってきた。
それから2日経った日の夜、彼女は言った。
「明日の昼ごろ、小屋を発ちます」
リディアの紅い瞳を見て、息をのむ。
雨が降っていたあの日、「城へ発つ」と言った時は、暗い影が宿っていた。恐怖に飲まれそうな表情をしていた。しかし目の前の瞳は、何の恐れも抱いてはいなかった。力強く光をたたえ、まっすぐにこちらを見据えている。
自分はこの2日間、考えていたことを口に出した。
「何故、城へ行く?」
「……」
「女1人で抱えこむことじゃないだろう」
自分の言い方に嫌気が差す。
「女」と主語を大きくして、正論を言っているように振る舞うことしかできない。
彼女の薄い唇が弧を描く。テーブル上のランタンの光が、彼女の瞳の中で揺れていた。
気づけば自分はリディアの近くに立っていた。瞳の中で踊る光を見つめながら、頬に手を添える。拒否の言葉はなかったことに、驚くほど安堵する自分がいる。彼女の髪をかき分けるように、頬から耳にかけて手を滑らした。
そして身をかがめ、耳元で一度だけ囁く。
「行くな」
ひどい顔をしていたのだろう。
もう一度目が合ったとき、彼女は俺の表情を見て、苦痛を訴えるように顔を歪めた。彼女の顔が近づいてくる。一瞬だけ、自分の唇の端にキスを落とした。驚きで目を丸くしていると、彼女は穏やかに微笑んだ。
「明日の朝、聞いてくれますか」
「……あぁ」
ぽつりと呟く。
自分はこの時すっかり忘れていた。彼女は感情を押し隠し、微笑むことができることを。
次の日の朝、いつもより早く起きた。キッチンへ足を踏み入れれば、いつものように「おはようございます」と声が迎えてくれるはずだった。
きれいに積み重なった皿、使い込まれた鉄のフライパン、細かな傷をいくつもつけたテーブル。
小窓から入る朝の光に照らされ、細かなホコリがきらきらと空を舞っていた。そこで違和感に気づく。
「アイツ……!」
急いで扉から出て、小屋裏へ回った。ニワトリ小屋や食物庫も探した。
最後に彼女の部屋にも入ったが、もぬけの殻だった。リディアの姿はどこにもなかった。
やるせない感情が渦巻いて、立ち尽くす。
ふとサイドテーブルに何かが置いてあるのが見えて、手に取った。
それはターコイズと乳白色の石を組み合わせたブレスレットだった。石の一つ一つから治癒系の魔力を感じ、記憶が蘇る。
「戦闘で使えるものがあれば助かる」
リディアが魔道具作りをはじめた頃、魔力を込めすぎて石を爆発させていた。「魔力コントロールが下手だね」とタンダから厳しい評価も下されていた。
そんな彼女が、この全ての石に魔力を込めるのに、どれほど時間をかけたのだろう。
目を強く瞑る。
失ってから初めて気づく心の穴の大きさに、どうすればいいのか分からなくなった。




