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2.森小屋の男

 

 薄暗い天井に、ぼんやりと光がゆらめいている。

 パチパチと小さく爆ぜる音がして、その光が暖炉の火だと気がついた。薪の燃える匂いが、鼻腔に届く。



「……ここは」

「気がついたか」



 声の主の方向に首を傾ける。


 歳は自分より10ほど上だろうか。シンプルなシャツの上からでも分かる筋肉質な体。灰色の切れ長の瞳、顎には無精髭が生えている。

 そして一番目を引いたのが、髪色だ。

 薄暗い部屋の中でも分かるくらい、白い。髪は短く、形の良い額が見えた。



「いっ……」

「動くな。肋骨が何本かイっている」

「……ここは」

「魔の森にある、小屋の中だ。近くの崖下で倒れていたから、ここまで運んだ」

「崖……」

「森がクッションになったのか、その程度で済んだ。運がよかったな」



 ──本当に?


 胸に湧いた疑問は口に出さなかった。

 そして右手で腹を撫でた。背中に冷たい汗が一筋、流れる。


 そんな私の様子には気付かず、男はベッドのそばにある小さなテーブルを指し示した。木の器とスプーンが載っている。



「とりあえず、食え」



 ぶっきらぼうに言い、男は部屋を出て行ってしまった。


 木の器に視線だけ動かす。野菜や肉が入ったスープからは湯気がたっていた。

 私は器に手をつけず、古ぼけた天井を見つめた。腹を撫でていた手の動きが止まる。暖炉の火の不規則なゆらめきを追っているうちに、再び夢の世界へ旅立ってしまった。




 *



 窓から差し込む光で目が覚めた。

 暖炉の火は消え、窓の外では鳥たちが楽しそうに飛んでいた。


 扉が開き、昨日の男が入ってきた。手には湯気が立つスープが載ったトレーを持っている。

 男はずんずんとベッドへ近づいた。そしてテーブル上の手つかずのスープを見て、「なぜ、食わなかった?」と不機嫌そうに尋ねた。



「……毒味が済んでいないので」



 淡々と言う私に、男の片眉がピクリと跳ねた。

 ぶっきらぼうな口調に、皮肉を加えながら男は言う。



「ここに毒味する者はいない。何も食べず、何も飲まず、餓死するか?」

「……わかりません」



 私が返答すると、男の眉根に深い皺が刻まれた。


「毒味されたものを食べるように」

「他人は決して信用してはいけません」


 それが幼い頃から受けてきた教育だった。

「他人を信用してはいけません」という言葉に従うなら、餓死をしてでもスープを飲まずにいるべきだろう。

 しかし、私が死を選ぶことは許されていない。自死しようとした私の罰として、鞭打たれたメイドが脳裏に浮かぶ。


 このスープを飲むべきなのか、餓死を選ぶべきなのか、判断がつかない。

 黙ったままでいると、「おい」と男は低い声をあげ、私の顎をつかんだ。灰色の瞳が鋭く私の目を射貫いた。



「お前がどうなろうと俺には関係ないが、ここで死ぬことは許さん」

「……」

「このまま食べないなら、生きる意志がないと見なして外に放り出す。

 このスープを飲むか、魔物のエサになるか、選べ」



「魔物」という単語に、唇の端がひくりと震えた。

 王国から忌み嫌われている「魔物」

 王都近くに現れた魔物の討伐に参加した時の記憶が蘇る。口からは多量のヨダレを垂らし、悪臭を放ち、なりふり構わず攻撃を仕掛けてくる、野蛮で汚れた存在。こんな怪我だらけの状態で放置されれば、抵抗もできず残虐に殺されるだけだろう。


 そんな魔物たちに噛みちぎられ、食われること。

 毒が入っているかもしれないスープを、飲み干すこと。


 どちらも死に繋がっているなら──。2つを天秤にかけ、後者がわずかに沈んだ。


 私は強く目を閉じ、意を決したように瞼を開いた。額に汗がじんわりと滲んだ。

 上半身を動かし、壁にもたれかかるような体勢になる。胸あたりに痛みが走ったため、深く息を吐く。そして震える手で、男からスープが入った器を受け取った。


 赤いスープの中に、小さく切られた芋が入っている。トマトの酸味がかった匂いが届いた。

 毒味されていないスープは、震える手のひらの中で揺れていた。

 木のスプーンでほんの少しだけスープをすくい、口に運ぶ。

 まず驚いたのは、スープの温かさだった。熱が喉を通り、体の内側に入り込む。


 城で配膳されたスープを思い出す。

 繊細なデザインが施された白い皿に盛られたスープを、銀のスプーンですくい、音を立てずに飲んでいた。何人もの毒味を経て、自分のところに届く頃には冷めきっていた。つくりたてが、こんなにも熱いなんて知らなかった。


 つばを無意識に飲み込む。3日ほど食事を摂っていない胃は、空腹で音を鳴らした。

 気づけば何度もスプーンですくい、無我夢中で口に運んでいた。




 *



 スープを飲み干し、テーブルに置く。

 夢中で食べてしまったと、バツの悪さを感じながら身じろぎする。男は空になった器を一瞥し、私に向き合った。



「なぜ、あんなところに倒れていた?」

「……」

「……これが関係しているか?」



 ポケットから取り出し掲げたのは、あのルビーのペンダントだった。心臓が嫌な音をたてた。

 デイビットの人間らしい笑顔と、無意識に高鳴る自分の鼓動。

 ペンダントをかけられた時の記憶がフラッシュバックし、自分の周りだけ酸素がなくなったかのように、胸が苦しくなった。



「この首飾りには、魔力を抑制する──」

「わかって、います」



 遮るように言い、荒く呼吸をした。

 痛いのが折れた肋骨なのか、それとも心なのか、私には分からない。


 ペンダントをかけられた時、魔力の変化はなかった。詠唱して初めて、自分の魔術が発動しないことに気づいた。


 私は震える声で、短く詠唱した。すると魔法陣が空に浮かんだ。ペンダントを身につけていた時は、いくら詠唱しても浮かばなかった模様。死を宣告された患者のような目で、見つめる。


 信じたくなかった。

 人生の大半を、立派な王妃になるための教育に捧げてきた。デイビットを支え、良き妻になるよう言われてきた。期待に応えられるよう、寝食を惜しんで魔術の技術を磨き、どんな仕打ちにも歯を食いしばり耐えてきた、はずだった。私のせいでボロボロになったメイドが床に倒れ込む姿が脳裏に浮かんだ。


 その結果が、これだ。


 ──夫に騙され、殺されそうになる。


「周りの人間を信用してはいけませんよ」

 幼い頃から繰り返し教えられた。

 その教えを守るように、甘い言葉を囁く王族も、すり寄ってくる貴族も、一片たりとも信じることはなかった。


 ただデイビットは違った。

 仮面のような笑みを浮かべ、自分と同じような境遇を過ごし、次期国王として完璧な振る舞いをしていた。言葉を交わさずとも、彼を理解していると思っていた。いずれ家族になる人だと、信じていた。


 あの笑みの裏側で、自分への強い殺意を抱いていたなんて。


 胸の中で、雨が降り注ぐ。悲しみに似た雨粒は、私の内側を打ち付け、傷つけていった。

 それでも表情を顔に出さぬよう訓練された私は、涙を流すことなく、虚空を見つめていた。

 そんな私を男は哀れんだように見て、何も言わずに部屋から出ていってしまった。



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