18.隠していた秘密
ベロニカに魔術を教え、数ヶ月が経った。
魔力で魔方陣を描き、魔術を発動するまで成長した。
簡易的な魔法陣のため威力は低いが、足止めくらいにはなるだろう。
魔の森の中を2人で歩いていく。店にやってきた客について楽しそうに喋るベロニカとは反対に、私の心は不安で曇っていた。
今日はロトゥス近辺で、魔物を討伐する予定だ。
森の奥へ行けば行くほど、魔物は強くなる傾向にある。人里が近く、エサが少ないロトゥスの周りは、森の奥では生きていけないほど戦闘能力が低い個体が多い。しかしそれはあくまで傾向だ。
ベロニカの大きくなったお腹を見る。妊婦というのはこんなにまでお腹が大きくなるのかと驚く。ベロニカが小柄なこともあり、今にもはち切れそうだった。
彼女の希望とはいえ、危険な目にあわせていいのか。私の中ではまだ答えは定まっていなかった。
「……リディアさん?」
思考の海に沈んでいたところ、不意に声をかけられた。
我に返ると、茶色の瞳が見上げている。午後の光が瞳に入りこみ、きらきらと光っていた。
「何か考えごとですか?」
「その……やはり実戦は危険だと思って」
ベロニカの膨らんだお腹に目をやる。
彼女はお腹を優しく撫でて、一瞬だけ目線を落とした。そして私の方を見て、「心配してくれて、ありがとうございます」と柔らかな口調で言う。そして、とんでもないことを言った。
「実は一昨日、家に強盗が入ったんです」
まるで天気を話すかのような口調に、何を言われたか分からなくなった。
ベロニカはいつもの人懐っこい笑みを浮かべている。緊迫した様子もない。声を出せずにいると、ベロニカは言葉を続けた。
「強盗かどうかは分かりませんけどね。トニーがボコボコにして、魔の森に放り出してくれたので」
「強盗ではない?」
「たとえば、私を狙った強姦。労働力狙いの子供の拉致。高価な素材となる魔物のエサのために、人を殺すこともありえます」
並べられた現実を受け止められなくて、喉あたりが締め付けられた。
ベロニカやトニー、子供たちと食事した記憶が蘇る。笑い声が飽和する食卓。
そして楽しそうな笑顔が一転し、床に倒れ、血だらけになる姿を想像してしまう。
胃に入ったものが逆流しそうだった。眉根を寄せて、必死に耐える。
するとベロニカは立ち止まり、私の頰に手を伸ばした。「嫌な話をして、ごめんなさい」と謝る。あたたかく、小さい手だった。
「私は、強くならないと」
強い光を宿した瞳だった。
私はそれ以上何も言えず、森を歩いた。
しばらく歩くと、魔物の気配がした。ベロニカも同じだったようで、気配を潜める。
木の陰に隠れて目線を動かすと、キツネのような顔をした二本足で歩く魔物がいた。コボルトだ。
群れで生活するはずだが、1匹で歩いている。身長は私の腹くらいまでしかなく、おそらく子供だろう。迷子か、群れから弾き出されたか。どちらにしても最初の練習台としてはちょうど良さそうだ。
ベロニカも同意見だったらしく、視線が合うと、コクリと頷いた。
そして体内で魔力を巡らせ、詠唱する。ふわりと三つ編みが空に揺れ、何かを察知したコボルトがこちらを見た。
一瞬だけ怯んだが、すぐさまこちらに走ってきた。「ベロニカさん!」と私が叫ぶと同時に、地面に魔法陣が光り、細い蔓が飛び出てコボルトを拘束した。きゃうん!と甲高い悲鳴が起こる。
「や、やりましたか?」
「まだです」
拘束はしているものの、蔓自体とても細い。
コボルトは逃れようと激しく暴れていた。あのままでは解かれてしまうのも時間の問題だろう。トドメを刺すよう伝えようとした瞬間、ベロニカの後ろに巨大な影が見えた。
魔物の正体を見て、声が震える。
「サイクロプス……?!」
強靭な体と、単眼が特徴の魔物だった。ドス黒い体からは、殺気を放っている。
凶暴な性格と高い攻撃力が特徴だ。危険だが、個体数が少なく、人里近くではほとんど確認されなかった魔物だ。
攻撃魔術を展開しようとすると、視界の端に影が映った。腕に鋭い痛みが走り、小さく悲鳴をあげる。先ほどのコボルトがツルから抜け出し、私の腕に牙をたてて唸っていた。
「リディアさん!」とベロニカが叫ぶ。近くではサイクロプスが腕を振り上げていた。彼女は咄嗟にお腹を守るようにしゃがみ、目を強く瞑った。
ちり、と細い細い電流が体内を巡った。
考えるより先に体が動いた。
まず指先に魔術を練り、コボルトの体を切り裂いた。声をあげることもなく屍となる。
コボルトの死体が地面に落ちると同時に、私たちの下に、魔法陣が描かれ、光に囲まれた。
予想していた衝撃が来なくて、ベロニカはばっと見上げる。するとサイクロプスが何度も私たちの上空を殴っていた。堅い壁が邪魔だと言わんばかりに、殴り続けている。
体全体が熱い。ベロニカを守らなくては。魔物を殺さなくては。それ以外、何も考えられなかった。幼い頃から何度も呟いた呪文を詠唱し、空を切るように上から下へと素早く指をなぞった。
次の瞬間、森に轟音が響いた。
地が揺れるかのような音だった。
ベロニカは耳を塞ぎ、再びしゃがみ込む。音がやむと、「な、なに……?」と彼女は辺りを見渡した。周り一帯が焦土と化している。先ほどまでの景色は見る影も無い。焦げた匂いが鼻腔を突く。草原がちりちりと燃えていた。私は両肩で息をしながら、焼け焦げた土地に立ち尽くす。
「リディ、アさん……」
震えた声で呼ばれた。見れば、彼女の茶色い瞳は怯えの色で染まり、涙の膜で張られていた。ベロニカは私に手を伸ばし、「血が……」とだけ呟いた。その言葉を聞いて、胃が締め付けられるように痛んだ。お腹の子と共々殺されそうになったのに、私の心配をしてくれる彼女の優しさが、とてつもなく胸を苦しくさせた。
「私は大丈夫です。立てますか?」
「あ、あの、腰がぬけて……」
すまなそうに言う彼女に頷き、体を支えた。そのまま私たちは無言で街まで歩いた。
家に到着すると、トニーと子供たちが不安そうな顔で出迎えてくれた。
「よかった! さっき、すごい音がして」
「おかーさん、大丈夫だった?!」
「うん……」
元気なく答えるベロニカ。子供たちの顔がさらに不安そうに歪む。
「りであ、けが、してる」
末っ子の子どもが私の腕を指さした。ベロニカははっと体を一瞬こわばらせ、すぐに手当をしてくれた。腕に包帯を巻く手は、ふるふると震えていた。
手当をしてもらっている間に、トニーが子供たちをなだめて、別部屋に移動させた。無垢で、心配に濡れた瞳たちが、いつまでもこちらを見ていたが、最後には素直に部屋へ戻っていった。
トニー、ベロニカ、私だけになった部屋で立ち尽くす。「とりあえず座りましょう」と声をかける前に、か細い声が聞こえた。
「ごめんなさい、リディアさんに怪我を……」
「謝ることでは」
本音だった。
初の実戦練習。さらにサイクロプスが出てくる異常事態。
体が硬直してしまうのも当然だった。それでもベロニカは納得がいっていないのか、何度も謝罪の言葉を漏らし、最後に消え入りそうな声で呟いた。
「このままじゃ、子どもたちを守れない……」
両手で顔を覆うようにして、絞り出すように弱音を吐いた。
その言葉には、深い悲しみが隠れていた。おそらく言葉には出さずとも、何度も頭の中で反芻していたのだろう。
自分の力のなさを嘆き、誰かを守れないことを嘆いている彼女を見て、体中がカッと熱くなった。体の内側から何かを急き立てるように血液が駆け巡った。
住んでいた家を民に燃やされ、父親を殺された。死と隣り合わせのロトゥスで暮らすことになり、唯一の肉親である母親を亡くした。それでも笑顔を決して絶やすことなく生きてきた。私がもし彼女の人生を歩んだら、同じように生きてこれただろうか。
ベロニカのうなだれた手をとる。驚いた彼女の瞳には、涙の膜が張られていた。その瞳をまっすぐに見つめ、私は自分の気持ちを伝えようと、気づけば声を張り上げていた。
「そんなことありません……!」
「リディア、さん……?」
「ベロニカさんは、5回の出産に耐えて、子どもたちを育て上げて……それだけじゃない、住んでいた土地から逃げ出して、このロトゥスで様々な言語を覚えて、たくましく生きている。『守れない』なんて絶対に、絶対に……そんなことないはずです!」
しんと部屋が静まり返った。
大声を出したからか、息が荒くなってしまう。ふと、カタンと小さな音が響いた。扉の方を見ると、アレクが立っていた。
「どうして」と問う声は出なかった。まだ昼過ぎで、アレクが迎えにくるには早い時間だ。
言葉にせずとも、疑問は伝わったらしい。彼は頭を掻きながら、答えた。
「高出力の魔術放出……疑問に思わない方が変だろう」
「何かあったのか」と目線を移され、状況を説明しようとする。すると、彼は手で制した。
「小屋への帰りに聞く。ベロニカは休んだ方がいい」
「あ」と気づいたように私は言い、うつむいた。こんな時に気遣えない自分が情けなかった。
アレクは無言で踵を返す。2人に会釈し、家を出ようとしたところ、ベロニカに呼び止められた。
「あの、リディアさん」
「は、い」
「ありがとう」
涙ぐみながら、力強く頷かれる。
その表情になぜか私の方が目頭が熱くなってしまう。堪えるように瞳に力を入れ、再び会釈をし、家から出た。賑やかなロトゥスの人混みの中を通っているはずなのに、どこか遠くから聞こえるような気がした。
街を出て、森を歩く。
途中で森の中で何があったのか聞かれたので、状況を説明した。
ベロニカに実戦練習をさせたこと、森の一部を焼け野原にしたこと、咄嗟のことで出力の調整ができていなかったこと。
責められるかと思ったが、「そうか」と一言言っただけだった。
とぼとぼとアレクの後ろをついていく。小屋が見えはじめる頃、アレクは不意に振り向いた。見上げるが、逆光で表情がよく見えない。
「……何かあったのか」
「え?」
「あんな風に声を荒げるところを、初めて見た」
アレクに指摘され、確かにそうだと気づく。
自分はいつだって誰かの言いなりだった。
指示がなければ、動くことも、考えることもなかった。
しかし無力でうなだれるベロニカを見て、飛び出た言葉は私自身の意志だった。腹の底から湧き上がる、叫びに似た祈りだった。
私は自身の腹を撫でる。
──この過去は誰にも言うつもりはなかった。
心の奥に詰め込んで、厳重に鍵をかけて、2度と開かないようにしようと決めていた。
(だけど、)
矛盾した気持ちが生まれるのが分かる。
聞いてほしいと思ってしまう自分がいた。受け止めなくていい、だけど、ただ聞いて欲しかった。心の奥に閉じ込めた記憶に、そっと鍵を挿す。そろりと回し、記憶の箱を開いた。
「ベロニカさんは、私にできなかったことを、すべて成し遂げているので」
「すべて?」
「自分の力で生き抜いていくこと……子どもを産み、育てあげたこと」
お腹あたりを撫でる。アレクがまとう雰囲気が一気に重くなった気がした。
デイビットからもらったルビーのペンダントをかけて、馬車に乗ったあの日。話しかけるようにお腹を撫でた。思い出さないようにしていた記憶が、あふれ出る。
「まさか……」
「……元夫との子どもが、おそらく、いました」
確実ではなかった。
しかし月のものは2ヶ月ほど来なかったし、妊娠初期に訪れる吐き気の症状もあった。
──誰にも言っていなかった。
フレイユの教え通り、妊娠が確実だと分かるまでは胸に秘めていた。子が産まれるとなれば、様々な調整が必要となる。身を狙われる可能性も増えるだろう。妊娠を知らせる人数は最小人数にすべきと言う判断だったのだろう。
ただ襲われたあの日。崖から落ち、背中を強打したあの日。
お腹のもろい命は儚くなってしまった。股から流れる血を、しばらく見つめていた。
「きっと、この子は、生まれなくて良かった」
「……」
「そう、思うんです」
父親に殺されてしまった、会えなかった子ども。
襲われたあの日の、打ち付けられた背中の痛みを、身も凍るような雪の冷たさも、ガラス玉に隠された殺意も、何一つ忘れてはいない。もし生まれていても、愛せる自信がなかった。自分を襲い、殺そうとした相手と血が繋がった子ども。きっと顔を見るたびに、殺されそうになった記憶が蘇ってしまうだろう。
それだったら──
私はうつむいて拳を握りしめる。
どのくらい時間が経ったのだろう。悲しみを帯びた声が聞こえた。
「生まれてこない方がいい、子供なんていない」
「……きれいごとです」
反発の言葉が滲んだ。
息が詰まるような沈黙のあと、アレクは言う。
「生まれながらにして、人の境遇の格差はある。他人より何倍も、試練が多い奴もいる。
だが、それでも──幸せに生きることはできる。それは他人にも奪えない、権利だ」
絞り出すような声だった。
まるで誰か大切な人のことを話すような声だった。




