16.かすかに痛む胸
地面には、丸と五角形を組み合わせた模様が描かれていた。簡易的な水の魔法陣である。
「えいっ!」
ベロニカが声と共に魔力を込めようとするが、何も起こらない。
しばらく両手を突き出して「ふん!」「はぁっ!」と声を出していたが、一向に魔術が発動する様子はなかった。
「で、できない……」
ベロニカは眉を八の字に寄せる。
今は地面に魔方陣を描き、そこに魔力を込める練習を行っていた。
最終的な目標は、魔力で魔法陣を描き、魔術を発動させることだ。この方法ならばペンや木の棒など書く道具は必要なく、いつでも発動させることができる。
ただ脳内で描いた魔法陣を具現化するためには、明確な魔法陣の構築を頭に叩き込まないといけない。そのため練習の第一段階として、地面に描いた魔方陣に魔力を込めてもらっていた。突発的に使うことはできないが、罠などには使うことができる。
動きながらの魔力生成はすぐに習得したベロニカだが、魔方陣に魔力を込める練習で大きくつまずいていた。
いつも元気な彼女が悲しそうにしていると、なんだかこちらまで心が痛む。私も語彙を尽くして、なるべく分かりやすい説明を行なってきた。それでも、上手くいく気配がない。
どう伝えればいいのか
やり方がいけないのか
ベロニカと別れたあとも、しばらく考えていた。
料理や洗濯をしている時、一日の大半を費やして悩んでいたが最善策が思いつかなかった。
夕食をとっているときも同様だった。上の空でスープを飲んでいると、アレクから声をかけられた。
「……何か悩んでいるのか?」
一度も悩んでいることを話したことがないのに、見抜かれたことに驚く。同時に返答に詰まった。
フレイユに不明点を質問した時のことを思い出す。
「そんなことも分からないのですか」「訓練を疎かにしているからです」と叱責を受けることが多く、いつしか相談することができなくなった。悩みを言語化する機会がなかったため、アレクの質問にどのように返せばいいのか困ってしまう。
黙ってしまった私に、アレクは軽く息を吐いた。
「独り言で言ってみろ」
「え?」
「悩んでいることを片っ端から」
アレクはスープを再び食べはじめる。
彼の言う通り、頭に浮かぶ悩みをとりとめなく話しはじめた。
「ベロニカさんの魔術訓練で、魔法陣を描き、魔力を込めてもらっているのですが、魔術が発動しないのです。魔力コントロールの問題だろうとは思うのですが、私の教え方が悪いのか、方法が悪いのか分からなくて……」
まだ形になっていない悩みたちを、浮かぶままに吐き出す。
まるで雲のようだった。実体がなく、ふわふわと浮かび、掴みきれない。
彼は相槌をうつことなく、スープを飲んでいる。反応はないものの、私は驚くほど心が軽くなるのを感じていた。自分の頭に巣食っていた悩み。それを言葉に吐き出すだけで、ずいぶんと楽になるのだと知った。
「次の訓練、俺も行く」
私が悩みを吐き出したあと、ぼそりとアレクは言った。「え?」と聞き返す。
彼はスープの最後の一口を飲み、両手を合わせた。
「ただの独り言だ」
*
次の訓練の日、本当にアレクはやってきた。
「な、なんでアレクさんが?!」
「……いたら悪いか」
「い、いえ!」
ベロニカは背筋をピンと伸ばす。
アレクなりに思うところがあって来てくれたのだろう。と、数ヶ月一緒に過ごした私なら察せられたが、彼女からしたら訳がわからないだろう。ベロニカは私の方を見て、「たすけて」と瞳で訴えてきたが、私はふるふると首を横に振った。私の反応にベロニカは「うう」と泣きそうになっていたが、ひとまず訓練を開始することにした。
「とりあえず陣を書け」
「は、はい!」
アレクは帰らないと悟り、切り替えることにしたらしい。彼の命令にベロニカは元気よく返事をして、木の棒を拾い、地面に魔法陣を描いた。最後の模様を描くと、「よし!」と額の汗をぬぐう。そして詠唱をし、体内で魔力を巡らせた。
目を閉じ、両手を開き、魔法陣の方に腕を伸ばした。呼吸を深く吐き、魔力を込めようと集中する。しかし魔力は体内に留まったままである。
彼女が一番分かっているのか、だんだんと焦りが見えはじめる。眉の間に苦しそうな皺が寄せられた。
「だ、だめです……!」
ベロニカは両手を地面につき、崩れ落ちる。
その後も何度か試したが、結果は同じだった。
困り果てて、ちらりとアレクを見る。彼はため息をひとつ吐いて、ベロニカに近づいた。小柄な彼女は怯えた瞳で見上げる。まるで小動物だ。
すると急に「手を合わせて、胸の前に」と命じた。
ベロニカは立ち上がり、素直に従う。アレクは彼女の手を包むように、両手を合わせた。
「ひゃっ!」と彼女は小さく叫び声をあげるが、アレクに睨まれ、すぐに沈黙した。
「目を閉じて、魔力の生成」
落ち着いた声で、ベロニカを誘導する。彼女の体内に魔力が巡りはじめる。
「俺の手を認識して、」
「……」
「少しずつ魔力を流していく」
ベロニカの手に魔力が集中していく。
最初はそこに留まっていたが、「手の体温に集中」「俺の手が、自分の手と一体となったイメージで」と少しずつ導いていく。
一方で私は、胸が異様に痛むのを感じていた。
お互いの手を重ねるアレクとベロニカ。その光景を見ていると、ガラスで引っかいたように心臓が痛んだ。無意識に拳を握っており、手のひらに爪が食い込む。
ベロニカの額に汗がにじみ、5度ほど深く息を吐いた。すると彼女の魔力がわずかだが、アレクの手に移った。
目を見開き、瞳をきらきらとさせながら叫ぶ。
「できた! できましたよね!?」
「あぁ」
アレクが頷くと、「やったー!」と彼女ははしゃいだ。
「リディアさん! できま、した」と笑顔で報告するベロニカの顔が、一時停止した。どうしたのかと声をかけるより先に、ものすごいスピードでアレクの手から離した。
「あの! えーと! アレクさんとリディアさんのバージョンも見たいです!」
「いや、いらんだろ」
「いいえ、必要です! 2人の魔力の動きを見て、自分も色々学びたいというか!」
両拳を握って、力説するベロニカ。
最初は渋っていたが、何度もベロニカにやれと言われ、断る方がめんどくさくなったらしい。
「さっさと手を出せ」と私の前に立ち、ぶっきらぼうに命じられた。手をおずおずと出す。展開が早すぎてついていけない。私の手のひらに、アレクの手が重なった。自分より一回り大きく、ゴツゴツとした感触。そして想像以上に温かい。
まだ魔力を巡らしていないのに、体の中心が熱くなる。耳の先が火傷しそうなほど、熱い。
「おい」
「……はい」
「魔力を流せ」
手のひらに集中していて、魔力を流すことをすっかり忘れていた。
呆然としてしまったことが恥ずかしくて、うつむく。そしてアレクの手のひらに集中し、魔力を流し込めば、アレクの焦った声が聞こえた。
「おい! 魔力を流しすぎだ!」
「え?」
平然としている私を見て絶句するアレク。
意識が散ってしまっていて、思ったより魔力を流し込みすぎてしまった。私にとっては、なんてことはない量だったため、きょとんと見つめ返せば、軽く呆れた顔をしたアレクがいた。
「これで満足か」とアレクの手のひらが離れ、同時に私の心に冷たい風が吹いた。
ベロニカが「もう一回!」と頼んでいたが、彼に額を弾かれてしまった。




