12.自分で決めろ
全身に血液が激しく循環し、体が一つの心臓になったようだ。どくりどくりと鼓動が止まらない。立っていられない。血の気が引いていく。読みたくないのに、新聞の記事が目に飛び込んでくる。文字の一つ一つが毒のように体に入り込み、私の体を麻痺させていく。
急に立ち止まった私を訝しみ、目線の先にある新聞にアレクは気づいた。
「タンダ。この新聞、もらってもいいか?」
「ん? どうぞー。もう読み終わったやつだから」
アレクは新聞を拾いあげる。そして身じろぎ一つしない私を促すよう、手のひらで背中を押した。
「行くぞ」
「……はい」
答えられたのは、それだけだった。
帰り道、私の頭には先ほど見た新聞の記事がぐるぐると回っていた。
『カリス・サラティア』『亡くなった前王太子妃』『デイビット王は幸せそうに──』
心の中では様々な感情が渦巻く。
「おい」
「……」
「……おい」
強めに呼びかけられ、私はハッと顔をあげる。気づけば小屋の前にいた。
アレクは先ほどの新聞を掲げる。
「リディア・ルーンベルト」
ここ数ヶ月、呼ばれることがなかった名前。
自分の中では薄らぎつつあった名前が、くっきりと浮かび上がり、城での生活がフラッシュバックした。
「立派な王妃になるため」というフレイユの言葉、私の魔術を見て拍手を送る貴族たち、その裏で「気味が悪い」と囁かれたこと、デイビットのガラス玉みたいな瞳……
次々と浮かび上がり、胃液が逆流しそうになる。口元を押さえ、荒く呼吸をした。
普段はほとんど感情を出さない私が、激しく動揺する姿を見て、アレクは静かに言った。
「やはり、お前さんの名前か」
「やはり」という部分が引っかかり、ぼんやりとアレクを見つめる。
意図が伝わったのか、アレクは説明してくれた。
「お前さんが倒れていた数日後、崖上まで行った……燃え尽きた馬車に、ルーンベルト家の紋章があった」
「私が誰だか……知っていたのですか」
「なんとなく、だがな。だが先ほどの反応を見て、ほぼ確信が確信に変わった」
小屋で過ごしている時、いつも浮かんでいた疑問が口から出ていた。
「なぜ、私を助けたのですか」
王族だとわかれば、面倒ごとに巻き込まれるのは百も承知だろう。
さらに自分は殺されそうになった身だ。助けるメリットが一つも思い浮かばない。
「約束したからだ」
「約束」
「遠い昔の仲間とな」
これ以上は言うつもりがないとばかりに、口をつぐんだ。
私は両手の拳を強く握り、うつむきながら、問う。
「私は、この先、どう生きていけばいいのでしょう」
自分の人生は立派な王妃になるために費やされていた。
教育も食事も、生活の全てが王妃教育の延長線上だった。
しかし新しい王妃は見つかり、自分は死んだことになった。
もし生きていたと名乗りをあげても、デイビットをはじめ、反対勢力が全力で阻止するだろう。もう自分が王妃になる道はないに等しい。
この先、何を目標に生きればいいのか分からない。
腕を掴まれた。はっと顔をあげると、怒ったように私を見つめるアレクがいた。息を飲んで彼の言葉を待つ。
「自分で決めろ」
鋭い言葉だった。
「教育係もいない、王子もいない、しがらみもない──お前さんは自由だ」
「自由」
今まで自分の意志で決めたことがなく、誰かが敷いたレールの上を必死に走ってきた。
「自由」
魔の森で襲われた後だったら、きっと受け止められなかった言葉。この世界に私はいる意味はないと察し、自身の魔術で身を焼き尽くしていただろう。
しかし今は──
泉の周りで楽しそうに踊る精霊たちの姿が見えた、様々な匂いや言語が飛び交う熱気あるロトゥスの街並みが見えた、なんて事のない日常を嬉しそうに話すベロニカの姿が見えた。
目の前には、灰色の瞳を持つぶっきらぼうな男がいた。
「は、い」
消えそうなくらい小さな声で言えば、アレクは腕から手を離した。そして私の頬に触れるか触れないかの距離まで手が伸び、ぴたりと止まった。私は身じろぎ1つできずにいた。足から根が張ったようだ。心臓だけが何故か酷くうるさい。
彼はそのまま手を下ろし、小屋の方へと振り返った。
「小屋に入るぞ。腹が減った」
「はい」
私は頷く。触れられてないのに頬が熱くて、思わず指で押さえた。
心の中にわだかまりはあった。しかし不思議と足取りは軽かった。




