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1.がらんどうの姫

 

「自分の意志など、不要です」



 午後の光を背に浴びながら、フレイユ・ボワメールは言い放つ。白髪混じりの髪をシニヨンにし、後頭部の高いところでまとめていた。

 口には微笑みを浮かべているが、目はどこまでも冷たく、鋭い。


 部屋の中は重厚な雰囲気に包まれていた。

 白を基調にした部屋に、バーガンディの絨毯が敷かれている。部屋にある家具すべてが高級な質感を放っており、細かな部分まで施された金色の装飾が輝いていた。

 私は天井から一本の糸で吊るされているかのように、ピンと背筋を伸ばしていた。彼女を見上げながら、教えられた通りの微笑みを浮かべ、答える。



「はい、フレイユ先生」



 上官に対するような忠誠心を含ませる声。その答えに、フレイユは満足そうに頷いてみせた。


「立派な王妃になるためですよ」


 いつからだろう、その言葉は物心がついた頃から聞かされていた。


 たとえば朝、あくびを噛み殺した時、この言葉を聞かされた。

 たとえば昼、出来の悪さを理由にご飯が食べれなかった時、この言葉を聞かされた。

 たとえば夕方、空腹と疲労で意識があいまいになった時、この言葉を聞かされた。

 たとえば夜中、ランタンだけが照らす部屋の中で、この言葉を聞かされた。


 10歳頃だった。寝ても覚めても追いかけてくる言葉に疲れ果て、王妃教育から逃げだそうとしたことがあった。だが屋敷から抜け出すことも、王妃教育をやめることもできない。

 考えて考えて、最後にはこの世界から逃げ出すしかないと、自ら命を絶つことにした。恐れはなかった。この日々を終わらせられるなら、死が救済のように思えた。


 屋敷の庭園に咲く白く可憐な花には、毒があると知っていた。

 寝静まった世界の中、私はベッドの上で、目線を落とす。菓子が載っていた露草色の皿には、白い花弁が散っていた。何かの儀式のようだった。葡萄を食べるかのように、花びらをつまみ、丁寧にその花たちを嚥下した。


 1時間も経たずに、嘔吐やひどい頭痛、手足が動かなくなるほどの麻痺が私を襲った。体は悲鳴をあげていたが、心は驚くほど穏やかだった。激痛に耐えきれず、私は意識を手放す。


 ──これで、逃げ出すことができる。


 しかし三日後、私は目を覚ましてしまった。

 意識が朦朧とする中で、私の名前を必死に叫ぶメイドがいた。隣に冷たい瞳で私を見おろすフレイユがいることに気づき、愕然とした。


(死にぞこなった……)


 あれほどの痛みに耐えてきたのにと、深い絶望が襲った。しかし本当の地獄はここからだった。


 自死しようとした私に、フレイユは激昂した。三日三晩、食料も水も摂れなかった私の前で行われたのは、私を本気で案じてくれたメイドへの鞭打ちだった。


「何故」「罰するなら私を」涙ながらに何度も訴えた。しかし訴えれば訴えるほど、鞭の回数が増え、メイドの瞳から生気がなくなっていくので、最後には唇を噛みしめて耐えるしかなかった。

 傷だらけになったメイドは床に倒れ、ひゅーひゅーと今にも消えそうな呼吸を繰り返していた。フレイユは私に視線を合わせた。私は涙で滲む世界の中で、人間とは思えぬ彼女の顔をただ呆然と見つめていた。



「貴方はいずれ王妃となる人物です。その尊い体に傷はつけられません」

「……」

「貴方が死のうとするたび、傷つくメイドが増えていくことでしょう」



 呪いに近い言葉だった。


 逃げ出すことは許されない。死ぬことも許されない。

 私に残されたのは、フレイユの教え通りに動く完璧な操り人形になることだった。

 彼女が満足するまで、ペンを走らせた。喉が枯れるまで魔術の詠唱を唱え続けた。どんなに疲れ果てていても、感情を押し殺し、彼女の望む微笑みを浮かべてみせた。


 周りの貴族たちは優雅に挨拶を交わしながら、言葉に棘を隠した。嫉妬や欲望、権力争いが渦巻く中でも、私は決して微笑みを絶やすことがなかった。まるで貼り付けられたような表情に、気味悪そうな目線を受けることもあったが、私の心は何も感じなかった。


 どんな時でも、つくりものの笑みを絶やさない次期王妃。

 いつしか私は、こう呼ばれるようになった。

「がらんどうの姫」と。




 *




「君に似合うと思って」



 美しい王子──デイビット・グランダールは笑った。


 彼と出会ったのは5歳の時だった。太陽の光できらめく金髪と、透き通った緑の目。彼の笑顔が演技であることは、幼い頃から感じ取ってはいた。最初は美しいと思った緑の目が、ガラス玉みたいだと思うのに時間はかからなかった。


(自分と、同じ)


 次期王妃として育てられた私、次期国王として育てられたデイビット。

 期待と重圧が自分を中心に渦巻いていく。幼い頃から正しい振る舞いを叩き込まれていく。

 彼が王子に、私が王太子妃になっても環境は変わらず、むしろ重圧は強くなっていった。

 私たちは、同じような境遇をくぐり抜けていた。彼がつくりものの笑みしか浮かべられない理由を、私は誰よりも理解していた。


 そのため目の前にいる彼の笑みを見て、顔には出さなかったが、正直驚いた。

 今まで見たことがない笑顔だった。血の気が通った、本心からの笑顔。10年以上傍にいたが、そんな表情を見たことがなかった。


 私は膝を少し曲げて、頭を屈めた。

 丁寧にペンダントがかけられる。細い鎖が首筋に触れ、ひやりとした。



「視察へ行けなくてすまない。君なら完璧にこなせるだろう」



 春の午後のように穏やかな笑みだった。私は微笑み、小さく礼をして、踵を返した。




 *



 王都から出てしばらく走ると、道が悪くなってきた。

 馬車が激しく揺れる。私は首元にかかるペンダントの宝石を手に取り、眺めた。燃えるような大きなルビーの周りに、小さなダイヤモンドが囲んでいる。太陽をモチーフにしたようなデザインだった。


 自分の瞳に合わせ、ルビーを選んでくれたのかもしれない。今まで多くの贈り物を受けたが、あのような柔らかい笑みと共にプレゼントされたのはこれが初めてだった。胸の中に小さな陽だまりができる。


 ペンダントから視線を外し、馬車の外に目を向けると、「魔の森」が広がっていた。

 日が昇ってから沈むまでの時間をかけて、王都から馬車で走らせると、魔物が住む「魔の森」にたどり着く。


 私がいるサンゼレシア王国は海に囲まれている。

 陸地で別の国へ行くためには、魔物が住む「魔の森」を通り抜けなければならない。

 魔物の討伐は国の課題でもあったが、同時に他国から易々と攻められないメリットでもあった。


 今通っている道は、魔物が少ない場所を狙って森を切り開き、整備したところだった。少ないとはいっても遭遇することは十分あり得るため、護衛は必要不可欠だ。自分が乗っている馬車の前と後ろには、王宮に属する騎士が馬に乗って護衛してくれている。


(何もないといいのだけれど)


 魔の森から抜けて、さらに1日走らせた先にある国が目的地だ。

 デイビットは執務があったため来れなかったが、何度か1人で視察へ行ったことがあるため特に不安はない。一番の懸念は、この魔の森を無事に通り抜けられるかどうかだった。


 ペンダントの宝石を、右手でぎゅっと握りしめる。


「大丈夫」と言い聞かせるように、左手で腹をさすった。その瞬間、馬車が大きく揺れた。

 一瞬空を飛んだのかと思うほどの揺れに、体勢が崩れる。強い衝撃のあと、馬車は止まり、悲鳴のような馬の鳴き声が聞こえた。


 何が起きたか判断するより先に、皮膚が異常な熱を感じた。

 頭の中で警報が鳴り、突き破るように馬車の扉に体当たりをした。転がるように外に飛び出して、馬車の方向へ目を向ける。すると自分が乗っていた馬車が、大きく燃え上がっていた。

 呆然とする自分の目が、黒いローブを被った人を捉えた。全部で5人。唯一露出した目が、こちらを睨んでいる。


(盗賊……?! いえ……)


 浮かんだ考えをすぐに打ち消す。

 馬車は急速に燃え上がっていた。物理的な攻撃ではなく、精霊魔法や魔術など巨大な力で一気に攻め込んだのだろう。

 世界的に見ても魔力持ちは限られており、国でも重宝されている。特別な理由がない限り、盗賊などで日銭を稼ぐことはないはずだ。


 考えられるのは1つ。


(私の存在が邪魔な人間……)


 王太子妃という座を狙う人間は多い。

 主に娘がいる上位貴族には垂涎モノの立場だろう。ただここまで露骨に排除されることはなかった。王宮の護衛が、自分の存在を常に守り続けていたことが理由の1つ。

 そして最大の理由は──


「王族に仇なすものに容赦はいらない」


 フレイユの言葉が蘇る。

 私──リディア・ルーンベルトは王国最強の魔術師として名を馳せていたからだ。



 護衛たちが、黒ローブの敵に斬りかかる。

 それを俊敏に避け、短く詠唱をする。すると地面に魔法陣が描かれ、鋭利な氷の塊が護衛たちを襲った。一方で、詩的な呪文も聞こえてくる。森がさざめき、風が渦を巻いて吹き荒れる。


(魔術師と精霊使い、両方いる)


 動きを見る限り、思ったより手練れで曲者だった。

 さらにここは「魔の森」で自然が豊かな場所だ。自身で魔力を練る魔術よりも、精霊たちの力を借りる精霊魔法の方が有利である。

 護衛たちも奮闘しているが、不利な状況だ。

 自身も加勢しようと、詠唱を口に出し、体内で魔力を練った──はずだった。


(魔術が、発動しない……?!)


 初めての経験に混乱し、目を見開く。

 護衛は2人ほど倒され、黒ローブの1人がこちらに迫ってきた。

 詠唱を何度も呟くが、やはり魔術が発動しない。呼吸が大きく乱れ、額から汗が吹き出てきた。

 目の前の炎は馬車を完全に燃やし尽くし、馬も巻き込もうとしていた。甲高い鳴き声が響き、馬と自分自身の姿が重なる。



「リディア様っ!!!」



 護衛の1人が叫び、こちらに手を伸ばし、叫ぶように詠唱した。

 瞬間、突風が吹き、強い力で後ろへと勢いよく飛ばされる。唸るような風の音が、鼓膜を突き破るように震わせる。木々が私の体を傷つけ、全身に痛みが走り、歯を食いしばり耐える。


 そして、一瞬、宙に浮かんだ。


(あ、死ぬ)


 そう察知したのは一瞬だった。そのまま重力に逆らわず落ちていく。

 想像よりも早く、背中に強い衝撃が走り、声にならない音が口から漏れた。痛みが強すぎて目の前がかすむ。


 どこか遠いところで「探せ!」と緊迫した声が聞こえる。焼ける匂いが鼻腔の奥を突いた。

 空を覆い隠すように木々は生い茂り、私の身に日が差し込むことはない。多量の出血のせいか、魔の森の気温のせいか、体がどんどん冷え切っていくのを感じる。


(私のことが邪魔な人間……)

(突然発動しなくなった魔術……)


 空にちらりと光るものが見えた。ぼやける視界で捉えたそれは、雪だった。


(魔道具が仕掛けられていた……?)


 遠のく意識の中で、思考が雪のように漂う。

 馬車、ドレス、アクセサリーと自分の周りにあった道具を思い浮かべる。どれもフレイユが選び、長年身につけたものばかりだ。


 ──否、違う。


 首元にかかったルビーのペンダントが、私の胸元で光る。



「デイ、ビット様……」



「立派な王妃になるために、感情を表に出してはいけません」

 そう厳しく躾けられた私は、涙も出せず、そのまま意識を手放す。

 横たわる私を覆い隠すように、雪は静かに降り続けた。




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