天使は屋根の上_8
翌日、ルチアはマリアとマルタに王都を出ていくことを伝えた。二人は寂しそうな顔をしたが、ルチアを優しく抱きしめてくれた。ルチアはいつの間にか二人の身長を追い越していて、優しく抱きしめてもらうのは久しぶりだったと気付かされた。
二人とは王都に来た時から一緒にこの居館で暮らしてきた。二人はルチアを特別扱いせず、年の離れた妹のように接してくれていた。二人は常にルチアの味方だった。
ルチアはノイアに助言をもらいつつ荷づくりを始めた。まっさらな手記を入れることも忘れなかった。これまでの天使と同じように旅や戦いの記録を残すのはルチアの義務の一つだった。
服と靴はノイアがすでに仕立てたと言うので、ルチアはありがたくそれをもらうことにした。
「俺が護衛になった暁に着てもらおうと毎夜せっせと縫っていたけど、もはや叶わぬ夢だから」
未練がましく言って、ノイアは大きな箱を渡してきた。
「君、私と会ってからまだ何日も経ってないだろう、一体どうやったんだ……? まあいい、ありがたく使わせてもらうよ」
やはり彼は少しずれているのかもしれないと思いながら、ルチアは自室でもらった服に袖を通し、かかとの低い靴を履いて紐を結んだ。綿でできた生地はなめらかで驚くほど着心地がよかった。それに加えて伸縮性も抜群で、体を動かすのが苦ではない。使用されている金色の釦の一つ一つには、天使の紋章が彫られていた。
白い生地に金色の刺繍が施された外套を羽織って腰紐を締めると、鏡の前に立って自分の姿を確認した。聖職者のような雰囲気もある洗練された服を纏った自分の姿は、急に大人びて見えた。
部屋を出ると、マリアとマルタもノイアと一緒に待っていた。真新しい服を着たルチアを見て、二人とも同じ形の笑みを作った。ノイアもルチアの姿を見て満足そうな顔をしていた。
ルチアはノイアの着ている服と自分が着ている服とを見比べて、苦笑を漏らした。
「やっぱり君が着ている服と似てる」
「そうだよ、護衛になったら君と服の意匠を揃えたかったんだ。まあ、そんなことは今さらいい。その服には衝撃の緩和に防刃、防水など一通りの魔術式を縫い付けてある。一番上の釦を外せば、その下の釦も全て外れるようにしている。戦闘時に足さばきが気になったら開けてね」
最後にこれも、とノイアはルチアにフードを被らせた。マリアとマルタがあっと声を上げた。
「お顔がはっきり見えません」
「髪の色もよくわかりません」
「これも魔術か?」
「そうだよ。フードを被ると容貌や髪を認識しづらくなるよう、魔術をかけてある、人の注意を逸らすものもね。君の髪色と目の色は天使であることを喧伝してしまうから」
ルチアは部屋に戻り、鏡の前に立った。確かに顔が判然としない。フードの縁には金色の刺繍で魔術式が書き込まれていた。
部屋に入ってきたノイアが隣に立って、鏡越しに目を合わせて微笑んだ。意匠の近い服を着た二人で並んで鏡に映っていると、ルチアはだんだんと居心地の悪さを覚え始めた。天使とその護衛として二人で旅に出る可能性もあったかもしれないと考えてしまう。
そんなルチアをよそに、ノイアはなおも穏やかな調子で言った。
「これで準備は万全だ。あとは明日に備えてゆっくり休むといい」
「あ、ああ。ありがとう」
マリアとマルタも部屋に入ってきて、ルチアの手を引いた。
「準備が終わったらお祝いですよ。今夜はとっておきの食事をお作りしますからね」
「しばらくお会いできないですから、おなか一杯召し上がってもらわないと」
楽しそうな二人につられて、ルチアも笑顔になっていた。今だけは不安を忘れようと思った。