天使は旅の途中_2
王都は大勢の人々でにぎわっていた。それはミラーレの討伐前後でも変わることはない。
以前と変わったことと言えば、観光客向けの土産物に天使の絵が置かれるようになったり、劇の演目に天使譚が増えたりと、少しだけ天使の存在に目が向けられるようになったことだった。
ルチアは往来を一人で歩いていた。フードを被り、誰にもぶつからずに歩くので、誰もそこに天使がいることに気づかない。
人々の間をすり抜けて進み、『マルコの茶葉専門店』と書かれた金属製の釣り看板が見えてくると、人の流れから外れた。
扉を開けると鈴が鳴った。店内は茶葉を買いに来た人々で混雑していた。ルチアはあまりの人の多さにぎょっとした。天使が時たま現れる店として知られていたが、近頃はますます繁盛しているらしかった。
ルチアはなんとか人々の間をすり抜けて進み、サラを見つけると声をかけた。
「久しぶり、サラ」
サラは声を聞いてようやくルチアだと気づき、不思議そうにフードの中を覗き込んだ。
「あら? なんだか顔が……。あなた、ルチアよね。久しぶり」
ルチアは天使居館から大事に抱えてきた籠を見せた。ベリーのトルテの香りがふわりと漂う。
「お菓子を持ってきたんだ、お茶を淹れてもらえないだろうか?」
店の奥の試飲席へ移動した。店内には二人の共通の友人である革職人の娘のルーズと菓子職人見習いのスヴィンも居合わせていたので、一緒に誘って席についた。
小さなテーブルにルチアが持ってきたトルテと、サラが淹れたお茶が並んだ。
ルーズとスヴィンもルチアの顔が認識できず、しきりにフードの中を覗いてきたので、ルチアは一瞬だけフードを外して顔を見せた。
「ルチアったら急にいなくなったと思ったら急に現れるんだもの、本当に驚いたわ」
サラがため息交じりに言って、ルチアにカップを渡した。
「噂だけはいっぱい聞いてたよ」
早速トルテを食べ始めたルーズが言った。
「護衛候補を追い返しまくってるとか、と思ったら神様をやっつけちゃったとか」
「そういえばルチアを捕まえたっていう護衛は一緒じゃないのか?」
スヴィンがきょろきょろと店内を見渡した。ルチアは乾いた笑いを零し、お茶を飲んだ。今日のお茶は東方から運ばれてきたという、薄い黄金色の香りの良いお茶だった。
「あ、ああ。彼はその、家にいるよ……」
ルチアは歯切れ悪く言った。ノイアには行き先も告げずにこっそりと家を出てきていた。
トルテは後でおやつに食べてねと言われていたもので、ルチアが三人分切り分けて台所に置き、残りを包んできたものだった。
三人から胡乱な目を向けられ、ルチアは体を縮こまらせる。
「ここは王都だから心配ないって。いつも私は一人で好きにあちこち行ってたじゃないか。それに、荷造りの手伝いができなくて、暇で……」
ルチアは何も全てを彼に任せるつもりは微塵もなかった。しかし、彼はどうにもルチアのために行動するのが好きらしいと気づいてから、その気持ちを無碍にできなくなっていた。
「ルチア、その様子だと何も言わずに出てきたわね?」
「君はいつまでも君のままだね、ルチア。……それにしてもこのトルテ、美味しいな。マリアさんとマルタさんが持たせてくれたのか?」
ルチアはフォークをトルテに刺した。
「いいや、これは護衛の彼が焼いてくれた」
「へえ……。護衛、なんだよね? とても美味しいよ」
「スヴィンが褒めるなんてすごい、確かにこれとっても美味しい!」
「ルチア、あなた何でもかんでもやってもらっているの?」
サラが心配そうに言うので、ルチアはふくれっ面をした。しかし言い返しはしなかった。ご覧の通り食事は自分で取っていると言えば、さらに心配されるに違いなかった。
「ルチアはこれからどうするの?」
ルーズが尋ねた。他の二人も気になっていたようで、視線が送られてくる。
「王都を出るんだ、旅に出るよ」
「まあ! 念願叶ってよかったね」
ルーズはまるで自分事のように嬉しそうに言った。サラもスヴィンも同じように笑顔を作っていた。
「私は近々結婚するの。前に話した婚約者とね。ルチアは結婚式に来れないでしょうけど、二人には招待状を送るから参列してね」
「ぜひ参加させてもらうよ。俺はこれからも菓子職人を目指して修行する。いつかルチアが王都に帰ってきた時には自分で店を出しているはずだ」
サラは珍しく恥ずかしそうにもじもじしていて、なかなか自分の今後のことを話し始めなかった。
「私はまだ悩んでいて……。父は店を弟に継がせたがっているんだけど、弟は学者になりたいって反抗していて。かといって私も店を継ぎたいのか自分でもまだわからないし、でもお茶は好きだし、みんなにお茶を飲んでもらうのも大好き。だから、もう少し手伝いながら考えるわ」
それからしばらくは四人で他愛ない話に花を咲かせた。店内は常ににぎやかで、客足が途絶えることはなく、扉の鈴は幾度も鳴った。
ルチアがトルテの最後の一口にフォークを刺した時、出て行く客と入れ違いに入ってくる人の気配があった。ルチアは振り向かなくともそれが誰か分かった。向かいに座るサラが、出入り口の方を見てあっという顔をした。
「ルチア、探したよ」
背後に立ったノイアが言った。ルチアが顔を真上にのけぞらせると、ノイアが少し得意げな顔でこちらを見下ろしていた。かくれんぼであっても、彼に勝つことはできないようだった。
「そちらがルチアの護衛になった人?」
ルーズが興味津々といった風に言った。
「ああ、そうだ。こちらノイア・オブシウス。私の護衛だ」
「初めまして、ノイアと申します。トルテも仲良く召し上がっていただいたようで何よりでございます」
ノイアが柔らかな物腰で言うと、ルーズとスヴィンは感心したようにうなずいた。
「君が焼いてくれたトルテ、とても美味しかったよ。人数分を残してきたが、君は食べたか?」
「いいや、食べてないよ」
「作った君が食べなくてどうするんだよ、ほら、最後の一口」
ルチアはフォークに刺したトルテを持ち上げた。ノイアは腰をかがめ、ルチアの手ごとフォークを握って、トルテを口に運んだ。
「……うん、美味しい」
一部始終を見ていた三人はやや困惑気味に視線を交わした。
「準備が終わったから呼びに来たんだ」
「そうか、では行くとしよう」
ルチアは席を立ち、三人に手を振った。
「これで失礼するよ。サラ、美味しいお茶をありがとう。それでは、みんないつかまた会おう」
サラ、ルーズ、スヴィンはとびきりの笑顔でルチアを送り出した。
店を出ると、ノイアは言った。
「もっと彼らと話をしなくてよかったの?」
「ああ、心ゆくまで話ができたから後悔はないよ」
ルチアの足取りはますます軽くなっていた。今ならどこへでも飛んでいけそうな気がした。
「大司教様にも、マリアにもマルタにも、友だちにも挨拶はできた。王都で思い残すことは、もうない」
列柱廊に囲まれた広場に差し掛かり、ルチアは自然と足を止めていた。この広場からノイアとの勝負を始めたのだった。一人で旅に出るために仕掛けた勝負だったのに、それはいつの間にか変わっていた。
「……君は、ミラーレとの戦いの場に居合わせて、どう感じた?」
ルチアが重苦しい口調で問うが、ノイアは軽い調子で答えた。
「戦う君の姿を見られて本当に良かったと思ったよ」
「冗談を聞かせてほしいんじゃない……」
最後の意思確認をするつもりだったが、またしても調子を崩されていた。
折に触れて、鬱陶しいくらいに問いを重ねて意志を確認するのは、他者の意思を尊重したいという思いによるものだ。しかし、未だ人を信じ切れない弱さの現れであるとも言えた。
「冗談じゃないよ。あの時、俺は君の隣にいることを後悔しなかった」
穏やかにノイアは言ったが、その瞳は真剣そのものだった。
「俺は君と共に恐ろしい神々の支配する危険な地へ赴くことになるし、俺の魔術が到底力及ばぬ神々との戦いの場に居合わせることになるだろう。それでも俺は、君と旅に出るよ。後悔する日が来たとしても構わない。太陽が姿を隠す時でさえ、君の側を離れないと誓ったのだから」
ノイアの言葉は、議論の余地など一切ないという石の如くに硬い意志を感じさせた。
ルチアはふーっと息を吐いて、迷いの全てを吐き出した。そして顔を上げて言う。
「そうか。わかった。君の言葉が聞けてよかった」
「俺が心変わりしないか、そんなに心配だった?」
「そうさ。だって君ってば、私が王都に居ない間は引く手あまただったらしいじゃないか。途中で気が変わられては困る」
ルチアがつんと唇を尖らせると、ノイアは困ったように眉根を寄せた。
不意に、ルチアはにっと笑った。
「私には、君が必要だから」
ノイアは一瞬ぽかんとしたが、すぐにはにかむように微笑んだ。珍しく照れている彼の微笑を、いつまでも心に焼き付けておこうと思った。
「ああ、今日も素晴らしく良い天気だ」
ルチアは晴れやかな気持ちで空を見上げた。太陽は真上にあり、陽の光はまっすぐに地上へ届いていた。




