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天使と黒曜石の魔術師  作者: 水底 眠
第2章 天使は迷宮の中
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天使は迷宮の中_7

 翌朝、太陽が顔を出した頃にルチアたちは天使居館を後にした。マリアとマルタには笑顔で送り出してもらった。

 魔術協会本部にはほとんど人はおらず、ブラウとフォイルが二人を出迎え、転移室へと案内してくれた。フォイルは護衛になったノイアを見てにやにやと笑ったが、ノイアはフォイルがそこにいないかのように無視した。

「いってらっしゃいませ、天使様。どうか貴方のために太陽が輝きますように」

 転移台の点検を終えてノイアがその上に立つと、ルチアも乗った。ノイアが足先で魔術式をなぞって起動させる。

 二人に見送られ、ルチアたちは魔術協会本部から転移した。

 目を開けると、視界は正常で、見知らぬ建物の中にいた。転移台の置かれている広間は協会支部の館内入り口のようだった。しかし、館内に人気は無い。

 二人は建物の外に出ると、あたりを見回すが、生活感の溢れる町並みにも人の姿は全く見つけられなかった。ただ不気味な静けさがあった。

「協会支部の館内にも町にも人は見当たらない。避難は順調に進んだらしい。これでもし竜が洞窟の外へ出たとしても被害は抑えられるだろう」

 洞窟を目指して移動し、町の外れに差し掛かったころ、二人の元へ梟が近づいてきてきた。梟は近くの低木の上に止まると、一声鳴いて、真ん丸の瞳でルチアを真っすぐに見つめてくる。

「使い魔だ、避難誘導をしていた魔術師のものかもしれない」

 ノイアはなぜか梟に警戒の目を向けながら言った。梟がくちばしを開けると、青年の声で話し始めた。

「よくぞおいでくださいました、天使様。洞窟までご案内しますので、ついてきてください」

 梟は羽を広げて飛び、空を滑るように進んでいく。ルチアたちは梟の後を追った。

 町を出てしばらく歩くと、木々の向こうに大きな建物が見えてきた。王族の別荘である。

 月の宮殿とは打って変わって派手な掻き絵が目立つ建物で、赤い屋根の色が鮮やかだった。付近は自然豊かで人が少なく、気候は温暖で過ごしやすいため、この別荘は療養のためにしばしば使われてきた歴史があった。

 別邸から洞窟までは、儀式へ赴く王族のために道が敷かれていた。

 整備された道の手前には金属製の門があり、ノイアが預かっていた鍵を使い開け放った。

 ちょうどその時、道の向こうから天使を呼ぶ大きな声が聞こえてきた。現れたのは二人の魔術師で、一方は薄青色のローブを、もう一方は臙脂色のローブを身にまとっていた。

 現れた魔術師の一人を見た瞬間、ノイアはさっとルチアの前に進み出た。

「梟の使い魔でもしかしてと思っていたけど、薄青いローブの方、月の魔術師だ」

 ノイアは口を動かさなかったが、ルチアにははっきりとその声が聞こえた。ルチアの耳にだけ届くよう魔術を使っているらしい。

「ああ、そうみたいだな。月の魔術師がどうかしたのか? 君との間に問題でも?」

「俺との話はさておき、奴らは裏で禁忌の儀を執り行う一族だ。近づかない方がいい。魔力を多分に含んだ人の肉――魔術師の肉を食ってその魔力を取り込むんだ」

 ルチアは口元に手を当てて吐き気をこらえた。胃のあたりが急激に重たくなっていた。

「俺が代わりに話すから、君は俺の後ろにいて」

 いいね、とノイアが言った。ルチアはこくこくと頷いて、深呼吸をした。

 気分が落ち着いたころ、二人組の魔術師がノイアの前で足を止めた。ルチアたちを案内した梟は月の魔術師の肩に止まった。

「天使様と護衛殿。お待ち申し上げておりました。歩きながら話しましょう」

 臙脂色のローブの魔術師が言った。髪を短く刈り上げた精悍な面構えの青年だった。

 一行は青年の先導で整備された道を進んだ。褪せた色の煉瓦の敷かれた道は、ほとんどまっすぐに洞窟まで続いていた。

「協会から派遣されてきたワイスと申します。こちらはアルカン。避難誘導が完了して、この町の住民は全員が街道を下って近隣の街を目指しております。結界については……」

 ワイスから視線を送られたアルカンが頭を下げてから話を継いだ。

「月の魔術師が三人体制で維持していますが、限界が近いです。修復は無理でした、何しろ魔術黎明期の結界石でしたから。しかも内部構造をそっくり作り変える代物でした、おそらく内部は迷宮化していると思われます。結界は長く見積もっても明日の朝までしか持たないでしょう。それまでに片をつけていただくしかありません」

 道を進むにつれ、洞窟の入り口が見え始めた。

 ミラーレ神が封印されているという洞窟は、大口を開けた巨大な岩の怪物のようだった。洞窟の暗い闇からは禍々しい気配が染み出していた。

 ルチアはこの気配と近いものを知っていた。魔性と相対した時に感じたものと同じだった。

 入口のそばには三人の月の魔術師がおり、ルチアたちに気づくと安堵の表情を浮かべた。ルチアが声を掛けようとすると、ノイアが手で制してきた。忠告を忘れたのか、と言わんばかりの目をしていた。ルチアは労いの言葉を飲み込んで、すごすごとノイアの後ろに下がった。

「よくぞおいでくださいました、天使様」

 三人の中でもっとも年かさの女が言った。ほとんど眠っていないのだろう、すこぶる顔色が悪く、目の下の隈も濃かった。色素の薄さと相まって、目を離せば消えてしまいそうに見える。

 女はノイアを見て目をすうっと細めた。敵意を隠そうとする様子もなかった。ノイアは女に対して全く感情を表出させずに言った。

「ノイアと申します。アルカン様より状況は伺いました。これより天使様が洞窟内に入られます、洞窟の結界の維持は引き続きお願いします」

「ええ、もちろんでございます。私どもは朝まで結界を維持いたします」

「万が一ミラーレ神が洞窟から出てきた場合には、すぐに逃げてください。ここで命を賭ける必要はないでしょう。最悪の場合、王都の結界を維持するための人員も必要になるでしょうから」

 ノイアの言葉に、月の魔術師たちはなぜか空気をひりつかせた。だが、女はうなずき、疲れた顔に笑顔を張りつかせた。

「そのようなことがないよう月に太陽に祈っております。天使様、どうぞお気をつけていってらっしゃいませ。太陽の輝きが天使様の道を照らしますように」

 ルチアは女の眼差しに混ざる妙な熱に気づいていたが、とても視線を返すことはできなかった。

 二人は月の魔術師たちの横をすり抜け、洞窟の前に立った。

 ルチアは洞窟を改めて見上げた。目には映らない薄い魔力の膜が洞窟をぐるりと囲み、辺り一帯を包み込んでいるのが感じ取れる。それはさながら不可視の建築だった。

 洞窟を包む結界は、喩えるならば教会の穹窿のようだ。それを支える柱に亀裂が入って不安定になっており、衝撃が加わればすぐにでも崩れそうだった。

 洞窟の入り口脇にある大きな水晶が、結界石と呼ばれる結界の礎だった。水晶はノイアの腰に届くほどの高さがあり、表面に走る幾筋もの亀裂からは微かな光が漏れている。

 ノイアは懐から折り畳まれた黒い紙のようなものを取り出すと、空に放った。それはふわりと羽根を広げて蝶の形をとった。艶めく黒い羽は光の加減で虹色にも見えた。蝶は二人に先行して洞窟の中へと飛んでいく。

「君は避難しなくてよかったのか? 別荘を使っていいってお許しがあるんだから、そっちにいたっていいんだぜ」

「君が戦っているのに俺だけ優雅に過ごせるわけないだろう? 護衛としては役に立たないけど、自分の身は自分で守るから安心して」

「分かったよ。だが、いざとなれば私を置いて逃げろ。無論、私は君を守るが……」

 ルチアはそこで言葉を切った。ノイアがなぜかにこにこしていたからだ。

「なんで嬉しそうなんだ、君」

「君に守られるのはやっぱり嬉しいなと思って」

「緊張感のない奴だな」

 ルチアはふっと笑った。そして、再び前を見据え、深呼吸をした。

 不思議と落ち着いていて、過剰な恐怖も侮りもなかった。ただ在るべき場所へ向かう安堵感があった。

 ルチアは頭上の太陽を見上げた。遥か遠い場所から届く眩い光は、薄い色の瞳で直視しては痛みを覚える程に強かった。目にしっかりと太陽の光を焼き付けながら、これを最後にはしないと心に誓う。

「行こう、ノイア」

 二人は洞窟へ向かって歩き出した。


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