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天使と黒曜石の魔術師  作者: 水底 眠
第2章 天使は迷宮の中
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天使は迷宮の中_1

 夜の帳が下りても、街はまだまだ明るかった。遠い星々や月の光がささやかに見えるほどに。

 特に飲食店が多く並ぶ地区は、夜だと言うのに人通りが多く、街灯によってまるで昼中のように照らされている。

 しかし、民家が多い地区では街灯は少なく、夜は太古の昔と変わらず人の領分ではなく、辺りは不気味なほどに静まり返っていた。

 暗い道では、星と月の明かり、それから家々の窓から漏れる光、夜道を少しばかり照らしてくれるのはそれだけだった。

「ついてないな。魔性が出るかもって時に仕事なんてさ」

 夜警隊の一人が灯りを片手に言った。

「噂は噂だろ。やめろよな、ただでさえ夜なんて気味が悪いのに。でも大丈夫だろ、なんたって今夜は護衛がついてるんだから」

 夜警の二人は後ろにいるルチアを見た。二人はルチアの顔がほとんど認識できていなかったが、見えないことに違和感を覚える様子もなく、フードの認識阻害魔術は適切に発動していた。

「まだ子供だろう? しかも女の子だ。大聖堂では孤児に戦闘術まで教えてくれるのか?」

 ルチアは女の子と呼ばれただけで、体中がむずむずするような恥ずかしさを覚えた。女の体で生まれた天使だが、世間一般の概念としての女の子と扱われるのは慣れていなかった。

 イレネウスの教育方針としても、ただ人として在るべき姿を教え示されただけで、女としても男としても育てられたことがなかった。おそらくイレネウスとしては扱いに困っての対応だったのだろうが、ルチアにはそれが有難かった。

「子どもといってももう十六だ」

「まだ子どもさ、うちの子と三つしか変わらないよ」

「そうそう、うちの子どもも十八だけど、あれはまだ子どもだ」

 ルチアがむっとして言葉に詰まると、それが子どもっぽいと笑われる。

「にしても大聖堂で育てられたってことは、親はいないのか?」

「ああ、いない」

「そうかあ、それは寂しいな。でも、こんな立派に育って親御さんは嬉しいだろうよ」

「ありがとう、そう言ってもらえてなんだか嬉しい」

 親はいないと教えられただけで、ルチアも詳しいことは知らなった。王都に来る前はどこで暮らしていたかも知らない。

 イレネウスが詳しく話さなかったのは、おそらく両親が亡くなっているからだろうと思い、ルチアもあえて聞いたことはなかった。

「王都ってどんなところなんだい?」

「顔を覚えきれないほどたくさんの人がいて、美味しいものと綺麗なものが世界中から集まって、昼も夜も明るい世界で一番の都だ」

 ルチアは胸を張って答えた。自分の居場所がなく苦しんだ日々があったとしても、王都で過ごした日々は何物にも代えがたい大切な思い出だった。

 とはいえ、王都以外の街の発展には目を見張るものがあり、本当に世界一であるか自信を失いつつあった。

王都の外では爆発的に魔道具が広がっており、特に利便性の点では王都より優れていた。ルチアが王都で目にしたことがある魔道具は、魔道具の中でも簡易的な魔術式によって駆動するものに過ぎなかった。

馬を必要とせず引かずとも勝手に動く荷車や、色の移り変わりによって時間帯を知らせる広場の大時計、部屋の中のどこでも適切な温度を保っている建物など、数多くの道具が王都の外の人々の生活の中にあった。演劇の演出や商品の宣伝も魔道具のおかげで王都よりもずっと派手で、つい目を引かれた。

物の流通や情報伝達の速度は、王都の中と外では天と地ほどの差があり、ルチアは時の流れに取り残されていたような気がした。

 なお、簡易的な魔道具以外が王都に流入してこないのは、現代魔術を毛嫌いする保守的な王都の魔術師たちが妨げているせいだと、旅の中で知り合った魔術師が教えてくれた。

 ルチアは王都の外の発展に喜ぶとともに、魔性が増えた原因を理解させられていた

日々のささやかな願いが諸神へかけられることは、今後はさらになくなるだろう。人間の利益だけを考えれば良いことだ。しかし、諸神にとっては真逆だった。世界は人間たちのためにその有様を変えてしまったように思えた。

 ルチアの複雑な思いを隠すように明るく言った。

「一度王都に来てみるといい、きっと気に入ってもらえるはずだ」

「ああ、そりゃいいな。旅に憧れはあるが、この街を離れるのは少し怖くってなあ」

「ひと昔前じゃ街道もこんなに整備されてなかったし、巡礼以外でこんなに旅が浸透するなんて考えられなかったからな。若い連中はこぞって王都へ行きたがるもんよ。うちの子どもも行きたいって言うんだ」

「うちの子どももだ、そのうち光の祝祭を見に行きたいって言っててさ。あとはやっぱり北方の魔術都市が……」

 ルチアは二人とともに話をしながら夜の街を歩いて回った。

 夜警の仕事は夜の街で火事や犯罪が起こらないように見て回ることで、何事もなければ交代の時間まで灯りを手に街じゅうを歩くだけで終わる。

 夜の街を歩くのは、悪いことをしているようで後ろめたさがあり、それでいてわくわくした。王都にいる時は夜間外出を禁じられていたし、ルチアも言いつけを守って生きてきた。

「この辺をうろついている魔性ってのは、元は何ていう神様だったんだろうな」

「さあな、誰も覚えちゃいないから魔性になったんだろ」

「それならただ消え去ってくれればいいのになあ。我ながらひどい言い草だが、人間を攻撃されちゃたまったもんじゃない」

 魔性とは人間からの信仰を失った神の成れの果てだった。太陽と月の神以外は、人間の信仰なくしてその存在を正常に保ち続けられない。

信仰を失って供犠が行われなくなり、人々から忘れ去れてしまうと、神格が失われ人間を攻撃する魔性と化すのだ。それは世界を汚染する不浄にして、不幸と怨嗟を撒き散らす破壊の化身だ。

諸神は魔性の穢れを嫌うため、問題に介入することはなく、ただ嵐が過ぎるのを待つように静観するのみだ。

 魔性の対処法は二つ。一つは力尽きるのを待つこと、もう一つは天使の持つ聖剣で蒼穹世界へ送ることだ。

 ルチアは王都を出たのち、近隣に出没した魔性の噂を聞きつけ、街道を西へ下って魔性を追った。

 魔性についての噂はあいまいなものだった。どこそこの町に現れて暴れたという噂はあっても、具体的に元はどんな神でどこへ向かったのかは雲の如くに掴めなかった。誰もその魔性が神だった時の名を覚えていないのだから当然だったが、追いかける側としては困ったものだった。

 ルチアがこの街に辿り着いたのは、魔性がほとんど街道に沿って西へ向かっていると割り出すことができたからだった。この街ではまだ魔性の出現情報はなく、近々現れるかもしれないという予測を立て、ルチアは先回りをしていた。

「なあルチア、もしも魔性が出たらあんたが天使様に伝えてくれるのか?」

 ルチアはうなずくだけにした。ここで言葉を発すると声色で全てばれるという確信があった。ノイアの魔術はルチアの嘘の下手さまでは誤魔化してくれない。

 夜警の二人は心底ほっとした顔をした。

「よかったよかった。天使様は本当におられるんだな。一度も王都から出たことがないって聞いたから、ひょっとして存在していないんじゃないかって疑ってたこともあったよ」

 ルチアは引きつった笑みを浮かべたが、果たして二人には見えなかった。

 王都を出てからというもの、天使は存在さえ疑われていたことをあちこちで思い知らされた。街道で、宿で、街中で、小耳にはさむ天使の話題と言ったらそれだった。あちこちで魔性が出現しているのに、神の横暴に苦しむ街があるのに、天使は一向に平和な王都から出てこない。本当に天使は存在するのか、と。

「ま、俺たちみたいに天使様の仕事がない方が、世界が平和ってことでいいんだがな」

 そう言って夜警の二人は笑いあった。

「ああ、そうに違いない」

 ルチアは二人に聞こえないほど小さな声で言って、胸をちくりと刺す寂しさを飲み込んだ。

 世界のどこにも居場所がなくなることが、戦うために生まれた剣の天使の窮極の到達点であり、天へ迎え入れられる条件かもしれなかった。

 夜風が運ぶ春の終わりの匂いのなかに、かすかに腐臭が混ざった。ルチアは夜警の二人を両脇に抱え、飛びずさった。その刹那、風を切り裂く音がして地面に穴が空いた。

 城壁を見上げれば、夜空と壁との境の闇がぐらりと揺れた。

 ルチアは二人を下ろし、自分だけ前に進み出た。地面に落ちた自分の影の腕が震えたのが視界の端に見えて、緊張していることに気づいた。思わず苦笑を漏らす。心臓だけはルチアを駆り立てるように強く拍を打っていた。

「どうやらお出ましだ。ここは引き受ける。悪いがここからは自分の足で逃げてくれ」

「何言ってんだ、おまえさんも逃げないと」

 二人は一生懸命ルチアの腕を引っ張るので、ルチアは慌ててフードを取った。月明かりに照らされた金の髪を見て、夜警の二人はぽかんと口を開けた。

「この通りだから大丈夫だ。頼むから逃げてくれ。それから、街のみんなにも危険を知らせて避難させてほしい」

 呆気に取られている二人を置いて、ルチアは駆け出した。夜明け前の濃い闇を裂くように真っ白な外套が翻る。外套の背には、隠蔽魔術が解けて誰の目にも見えるようになった黄金の天使の紋章がきらめいていた。

 またしても礫が飛び、地面に穴が開く。その礫は城壁の一部だった。城壁には黒いしみのようなものが広がっており、煉瓦が低い音を立てながら砕けて、破片が地面に向かって落ちていく。

 ルチアが城壁の下までたどり着くと、傾いだ魔性の体がちょうどこちら側に落ちてくるところだった。慌てて後方へ飛ぶと、けたたましい音を立てて魔性の巨躯が地面に落ちた。

 背後では人々の悲鳴や異常事態を知らせる鐘の音が響いていた。

 砂ぼこりの向こうに影がゆらりと揺れる。

 ルチアはごくりと唾を飲み込んだ。恐怖はあったが、それ以上の興奮を禁じ得なかった。確かに必要とされている時に、必要とされている場所に立ち会った、生まれて初めての経験だった。

 心臓が体中に血を送り出し、感覚が研ぎ澄まされていく。深く吐いた息は熱く、体の中が燃えているのではないかと思った。

 魔性と目が合った瞬間、ルチアは地面を蹴った。一瞬遅れてルチアが居た場所に黒い泥のような塊が飛び散る。泥はすぐに形を失って地面にどろりと広がった。

 ルチアは地面に着地すると、一瞬だけ服が汚れていないかを確認したが、すぐに魔性へ視線を戻した。

それはルチアよりも背の高い泥の塊だった。人型の神だったことが辛うじて分かる程度で、面紗のように纏った泥――神の力そのもの、すなわちは奇跡の力が体から漏れ出して泥に見えている――がその体の輪郭を覆い隠していた。

神の体は魔力が凝縮してできたものであるが、信仰を失った末期には体を構成する魔力を自らのものとし続けることができず、世界によってむしり取られるように還元されていくのだ。

 魔性の頭と思しき場所の後ろには光背が浮かんでおり、かつては光り輝いていたであろうそれは、黒に染まり徐々に崩れつつある。

 ルチアは深呼吸をし、精一杯の虚勢を張って言った。

「こんばんは、随分なご挨拶ですね。何処の神かは存じ上げませんが、ここは引いていただけませんか」

 魔性は一瞬だけ動きを止めたが、すぐにルチアに向かって突進してきた。

「会話は無理か……」

 ルチアは魔性と衝突する寸前で身をかがめつつ横へ移動し、足と思しきところを目掛けて蹴りをお見舞いした。足を掛けられた魔性の体は空中に浮かび、鈍い音を立てて頭から地面にめり込んだ。魔性の落下地点はルチアの狙い通り民家の手前で、建物への被害はなかった。

 地響きのようなくぐもった音が響き、ルチアは遅れてそれが魔性の怒りの声だと気づいた。どうやら理性を失っても感情は残っているらしかった。

 泥の塊の中から腕のようなものがぬるりと二本も這い出て、その体を起こした。

 泥の体に張りついた砂や煉瓦の屑が魔性の顔の輪郭をおぼろげに縁取っていた。それは確かに顔で、おそろしく均整が取れていることがわかった。神々はみな一様に完璧な美しい容貌をしているとされ、それは魔に堕ちた後でさえ変わらない。

 魔性は泥や砂を吐き出しながらルチアに向かって怒りの咆哮を上げた。そして、濁流のようにルチアに襲い掛かった。

 一瞬だけの逡巡、いなすか、避けるか、迎え撃つか。ルチアは真っ向から迎え撃つことを選んだ。背後の建物の中では子どもの泣き声がしていた。破壊させる訳にはいかなかった。

 ルチアは突き出された魔性の両手を思い切り掴み、勢い余って握りつぶした。手の中で泥と硬いものが砕けたのを感じ、遅れて魔性の口から悲鳴が上がる。ルチアも自分と魔性との力の差に驚いて目を見開いていた。

 手を失った魔性がよろめいた。ルチアはすかさず魔性の腹部を蹴り飛ばす。魔性は吹き飛び、凄まじい音を立てて噴水の石像の上に落下した。石像は、ぶつかった衝撃と魔性の重みで砕けていく。

 魔性は砕けた石像の上で立ち上がろうとしたが、ルチアが魔性の体の上に飛び乗っていた。ルチアは腕を大きく振りかぶった。けたたましい音と水しぶきをあげて、ルチアの拳が魔性の胸を貫通した。魔性は断末魔さえ上げずに苦し気な息を吐いて、ぴくりとも動かなくなった。

「終わった、のか……?」

 倒せたという手ごたえはなかった。ここにあってここにないもの、人間の体では触れられないものに紙一重で届かなかったという感覚が残っていた。

 とどめは刺せなかったが、魔性は自らの体を修復する力は残っていないようだった。

 空を見上げると、端の方が白んできていた。陽の光が照らすと、魔力の全てを失った魔性の体は、光に洗われるようにしてさらさらとほどけて、空へと消えて行った。

 ルチアは安堵のあまり体が濡れるのにも構わず噴水の中でへたり込んだ。魔性の体を貫通した拳をぼんやりと眺めて、震える声で言った。

「私は、確かに戦える……」

 ルチアが噴水から出ると、ちょうど夜警の二人が駆け寄ってきた。ルチアと二人と抱擁を交わし、互いの無事を喜び合った。

 それにしても、と二人はルチアの後方の噴水を見遣った。

「派手にやったなあ……」

 美しい女神の彫刻だったものが見るも無残に粉々になり、人々が座る縁の部分も半壊していて水が外側に流れだしていた。

「ああ……。やってしまったな……」

 戦いが終われば、次には後始末の時間がやってくるのだと思い知らされ、達成感もたちまちにしぼんでいった。


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