黒曜石の魔術師、あるいは魔術の祖の再来_3
魔術師たちの会議は翌日まで続き、王都に籠城する場合の計画書と、王都から避難する場合の計画書をまとめた。いずれもミラーレを打破するものではなく、天使の後方支援の範囲に留まっていた。
計画書を執政官の元へ提出するのは、協会長のブラウと軍属のフォイル、それからノイアが選ばれた。
会議は徹夜で行われたため、普段は冷静なブラウでさえ少し余裕を失っていた。
「説明する際はできるだけ黙っていること。執政官の前で煽るような台詞を言った場合には即刻王都の外へ追い出します。フォイル、特にあなた」
あくびをしていたフォイルは突然指をさされて目を見開いた。
「何を驚いているんです、あなたは自分で思っているほど慎みある人物ではありませんよ。あくまで軍属魔術師の立場として事実を述べるだけにして、私情を挟まないこと」
「はいはい。そういうあんたも今日は気をつけろよ。徹夜明けじゃ誰もがらしくないことをするものさ」
ブラウは不機嫌そうに口元をゆがませた。
「心の準備ができたところで行きましょう。執政官殿は首を長くしてお待ちよ」
一行は王宮内にある執政官執務室へと赴いた。王宮内はひりついた空気が漂っていて、誰もがせわしなく動き回っていた。
執務室では二人の執政官が厳めしい顔をして待っていた。主に内政をつかさどるルキウスと、主に軍務をつかさどるアイゼンだ。
計画書を持参する前に、ミラーレの言葉が書かれた符号書は二人の元へ届けられており、すでに戦いは避け難い状況であることは共有されていた。
「挨拶する時間も惜しい、さっそく説明してもらう。どうやって戦うつもりだね?」
ノイアとフォイルが机の上に作戦案を書いた資料を並べた。アイゼンがあご髭を撫でながら作戦案を覗き込む。
「魔術師だけで戦うのは難しいという結論に至りました」
ブラウの返答に、ぴたりと二人の執政官の動きが止まった。
「今なんと言ったんだね」
「戦うのは難しいと申し上げました、アイゼン様」
「私の話がうまく伝わらなかったらしいな、戦って退けよと言ったのだ。そしてその方法を魔術師で考えろとな。それとも得意の魔術では太刀打ちできないと言うのか? 近年の進歩は戦の方面にはまるで影響を及ぼしていないと?」
アイゼンの厳しい物言いにも、ブラウは全く動揺を見せずに答えた。
「ええ、私たち魔術師では神には敵いません。そもそも魔術とは魔力を用いて引き起こされるささやかな奇跡のようなもの、神もまた私たちと同じ魔力を用いて大きな奇跡をいともたやすく引き起こすのです。勝ち目はありません。交渉を続けつつ王都に籠城するか、王都の民を避難させて逃げ続けるか、これが私たちからできるご提案のすべてでございます」
ブラウは堂々と断言した。執政官たちは落胆を沈黙で伝える。
「もちろんこれは月の魔術師たちが結界補修に失敗した場合の作戦です。私どもとしては、王都の結界の補強や維持にも人員を回す用意がございますし、天使様が戦われるのであれば後方支援する所存です」
協会とは微妙な関係である月の魔術師とも連携を取る態度を見せても、二人の反応は芳しくなかった。ブラウはたまりかねたように言う。
「王国軍も匙を投げた問題でしょう、詳細を知らされていない魔術協会を責める筋合いがおありだと? 本気で対処したいなら天使を呼ぶほかありません、それは理解されているでしょう」
とうとうフォイルがブラウの腕をつかんだ。
「落ち着け、ブラウ。そこまでにしておけよ」
執政官たちは憤りを露わにしたブラウに対し、一瞬だけ気まずそうな顔をしただけで、侮蔑や嘲笑を向けることはなかった。
「協会長殿、そう大きな声を出さないでいただけるかな。私どもも魔術協会とは良好な関係性のままでいたいと思っている。それより対策案をまとめていただき感謝する。元より過度な期待は寄せていない、何しろ我々は人間なのだから」
思いのほか穏やかな声色でルキウスが言うので、ブラウの勢いがそがれた。
「月の神は此度の危機にも沈黙されたままで、陛下の呼びかけに応じられることもない。王国軍でも魔術協会でも無理だとなれば、もはや最後の手段に頼るしかあるまい」
「みな思っていることは同じだ、協会長殿。人と神との諍いの調停者が王都にはいるのだから」
アイゼンとルキウスは楽しそうに笑い声をあげた。心の底から愉快で仕方がないという笑いだった。
「これだけ事態が急を要するとなれば、あのイレネウスも拒否できまい」
「やれ王国軍に戦わせろだの魔術師に対処させろだの言われてきたが、もう逃がさんぞ」
二人はうきうきした様子で補佐官に魔術協会からの提案書を片づけさせた。
ブラウとフォイルは視線をノイアに送っていたが、当のノイアは眠たげな目をしているばかりで何も言わなかった。
「魔術協会の協力には感謝する、防衛や避難で助力を依頼するだろうからその時はまた頼むよ」
執政官二人が部下を率いていそいそと部屋を後にすると、フォイルが言った。
「とんだ茶番に付き合わされたな。天使を戦場へ引っ張り出すための口実づくりに利用されるなんて、気に入らねえな」
それにしても、とフォイルがにたりと笑う。
「ブラウ、おまえが喧嘩っ早いのを忘れてたよ。大人しそうな顔してるのに手を出すのが一番早いんだ。学生の頃なんか……」
「今そんな話をしている場合ではないでしょう。それよりノイア、あなた天使様について何も言わないなんてどういうつもり?」
「これから大聖堂に向かうのなら遠からず知ることになります。私の出る幕ではありませんよ」
ノイアはまるで悪びれもせず言って、あくびをした。ブラウは話にならないと首を振った。
「なんだか拍子抜けだけど、帰りましょう。本当にフォイルの言う通り、とんだ茶番に付き合わされて疲れたわ……」
三人が執政官室を出ると、女の魔術師が声をかけてきた。ブラウとフォイルは女の瑠璃色のローブを見て表情をこわばらせた。
女はブラウに丁寧に挨拶してから、ノイアへと視線を向けた。
「そちらがノイアさんよね。初めまして、私はグレイ・ミントゥカ。王女様付きの魔術師よ。急で申し訳ないけど、私と一緒に来てくださる?」
ブラウはノイアに耳打ちした。
「拒否権はないでしょうけれど、作戦へ不参加なら魔術師登録の抹消の話もなしよ」
「承知いたしました」
ノイアの殊勝な返事に対し、ブラウは胡乱な視線を送った。ブラウとフォイルは先に帰っていた。