第1話
ブラック企業に勤めて20年。昨日、会社が倒産した。
入社時は1日14時間勤務で社宅有りの条件だった。学歴も無く、親も居ない俺は入社を即決した。だが、就寝中で有っても会社から呼び出しが来れば、すぐに出社するのがルールだった。
ようするに、勤務外でも24時間の自宅待機を365日する会社だったのだ。
正直、倒産してくれて良かった。困った事と言えば、住む家が無くなった事くらいだ。
社会に出て20年、俺の荷物は段ボール箱8個で収まった。
俺の人生が段ボール箱8箱と考えると、多いのか少ないのか解らないが・・・
引っ越し先は築50年の風呂無し6畳のワンルームだ。仕事も無く保証人も居ない今の俺では、なかなか部屋が借りれない。やっと見つけたのがこの部屋だ。
「仕事探しは明日からにして、まずは荷物を片付けるかぁ」
狭い部屋に申し訳程度に付いている押入れを開けたら、そこは外だった。
と・・・
とりあえず、閉める。
「え? 俺が借りたのは普通のワンルームだったハズだが?」
どうなっている?
この部屋は3軒続きの真ん中だ。押入れの向こうにも別の部屋があるはずだ。それに、今は20時を過ぎた夜なのに扉の向こう側は昼間のように明るかった。
俺は押入れの扉をもう一度開けて、そーと、頭を押入れの中に入れて見る。
扉があるのは、道幅1メートル程で表通りと裏通りを繋ぐ小道のようだ。
「押入れが、外?・・・この部屋は不良物件なのか?」
例え不良物件でも、保証人の居ない俺がすぐに次の家を探せるとは思えない。
大家さんに連絡するにしても、もう夜だから明日以降だな。いや、その前に大家さんに何て言えば良いんだ?「押入れの中に外が有ります」って、頭がオカシな人だと思われそうだ。
「まずは、押入れの中がドコなのか、確認してからだな!」
俺は靴を用意して押入れの中に入った。
上を見上げると、正午頃のようで太陽が真上にある。俺は周りの様子を窺いながら扉を閉めた。
「!!」
扉は消えなかった。
「良かったぁ。これで扉が消えてたら、1文無しの迷子になる所だった」
もう一度扉を開けると、段ボール箱が8個ある俺の部屋があった。
時差を考えたら、ここは外国だろう。危なくパスポートも財布も身分証も無い迷子になる所だった。最悪、不法移民とかで逮捕されてたかもなぁ。
俺は人通りが多い道の方へ移動して、行き交う人々を観察した。
観察して解ったのは、パスポートは不要だという事だ。
金髪の人もいれば、ピンクや緑の髪の人も歩いてる。顔立ちは欧米人に近いだろうか。
頭の上に動物のような耳が付いてる人や、腕や足が鱗のような物に覆われてる人も歩いてる。顔立ちは・・・人間とは思えない。
だが、聞き耳を立ててると会話は日本語のように聞こて来る。
俺は、そのまま扉を開けて自宅へと戻った。
「なんじゃこりゃー! 俺が借りたのは普通のボロいワンルームだぞ!異世界に繋がるオプションなんて聞いて無いぞ!」
どう考えても、扉の向こうは日本じゃ無い。日本どころか地球でも無いだろう。おまけに、ナゼか行き来が出来る。
しかし、これは困ったぞ。荷物を入れる為の押入れが使えない。収納ケースを購入するにもお金がかかるではないか。
「まぁ、異世界と行き来が出来るなら個人貿易で稼げるかもなぁ」
俺は段ボール箱を開封して異世界で売れそうな物を探した。
・半分使った食卓塩
・100均の透明なコップ
・100均の目覚まし時計
・使いかけのメモ帳
・ボールペン
塩は高く売れると解ったら購入してから持って行こう。時計は異世界の1日が24時間でなければ意味が無い。時計を売るのはダメかな。
時計を見ていて大事な事に気が付いてしまった。日本と異世界では同じ時間の流れなのだろうか? 異世界で1日過ごしている間に日本で1年が経過するようなら、異世界での活動は難しくなる。異世界を探索している間に浦島太郎に成るのはイヤだぞ!
俺は100均の目覚まし時計を、押入れの扉を開けて向こうの世界に置いた。そして10分後、目覚まし時計を回収すると・・・ 目覚まし時計は10分遅れていた。
それから何回も実験を繰り返して2つの事が解った。
1.“俺”がいる世界だけ時間が経過する。
2.押入れの扉を開けている時は両方とも時間が進む。
シュレーディンガーの猫もビックリな実験結果だ。理由も原理も不明だが、俺という観測者の存在が時間の流れを決めるようだ。
どんな理屈か解らないが“こういう物だ!”と思う事にして、俺は異世界を探索する事にした。
探索と言っても、まずは現地の通貨を手に入れないと始まらない。
路地を抜けて人通りが多い道を歩く。街ブラをして数分、店先にランプのような道具を売ってる店を見つけたので中に入ってみる。店内の品揃えを見る限り雑貨屋のようだ。
「掘り出し物が有るんだが、買い取って貰えるかい?」
店の奥には店主と思われる高齢の女性がいたので、俺は100均のコップを鞄から取り出して見せた。
店主は目を大きく見開いて、ギロッとした目付きでコップと俺の顔を交互に見ている。
「・・・金貨6枚なら買い取るよ」
提示された金額が高いのか安いのか、今の俺には判断が出来ない。それ以前に金貨の価値も知らないのだ。価値以前に貨幣の種類も知らない。
こんな事なら、先に屋台で売ってる食料品の値段や、宿屋の1泊分の金額を確認してから売りに来るんだった。
とりあえず、金貨という物が有って貨幣経済が存在する事だけは解った。
俺はアゴに手を当てて、そんな事を考えていると
「・・・金貨10枚だよ! イヤなら他の店に行きな!」
店主が勝手に値上げをして来たので、金貨10枚で売る事にした。
雑貨屋を出て街ブラを続けてると、魔法屋を見つけた。一瞬でテンションがマックスまで上がった俺は、即効で店内に入った。
店内には魔法の名称が書かれた木札が、いくつかぶら下ってるだけだった。
どう見ても店内には木札しか陳列されてないので、カウンターのお姉さんに訊いてみた。
「魔法屋に来るのは初めてなんだけど、何かお薦めは有るかい?」
「・・・はぁ。魔法を使った事も無いなら、まずは魔力循環だね。あとは、・・・生活魔法で良いか」
話しを訊くと、魔力循環は自力でも取得出来るそうだ。才能があれば3年程で取得出来るらしい。
生活魔法は、トーチ、ライト、ウォーター、クリーンの4つの魔法が使えるらしい。一般的な攻撃魔法は冒険者ギルド証や特別な許可証が無いと売って貰えないようだ。
うーん。次は冒険者ギルドに行ってギルド証を作るか。
魔力循環が金貨3枚、生活魔法が金貨5枚なので買う事にした。
金貨の価値は未だに解って無いが支払えるので買った。衝動買いだ! だって、魔法を使ってみたいジャン!!
金貨8枚を渡すと店の奥から2つの球を出して来て渡された。
「まずは、こっちの魔力循環の球を両手で握り潰しなさい」
言われた通り球を握り潰すと球が割れて消えた。と、同時に俺の中に何かが入って来た。意識を俺の中に向けると、何かあるのがわかるのでこれが魔力なのだろうか?
「じゃあ、もう一つも使いなさい」
生活魔法の球を割ると、また俺の中に何かが入って来た。なんとなく魔法の使い方が理解出来る。不思議な感覚だ。
人差し指を1本立てて、魔力循環で魔力を集めて“トーチ”と唱えるとライターのような火が指先から出た。
「ゥオオオォォォォーーー」
俺は思わず店内で叫んでいた。
「五月蠅いわね。魔法球を使ったんだから出来て当たり前よ」
と、お姉さんに変質者を見るような眼で睨まれてしまった。
この物語はフィクションです。
実在の人物・団体・地名とは一切関係が無い訳が無い。