婚約破棄ごっこは、公爵令嬢のビスクドールで。
「ねえ、ゾフィーちゃん。わたくしたちが舞踏会に行っているあいだ、このお人形たちで遊んではいかが? 特別に作ってもらったのよ」
「わあ、ありがとうございます! 」
カミラお嬢様が、私の姪のゾフィーに差し出したのは、3体のビスクドールでした。
滑らかな陶器の肌にぱっちりした瞳に長い睫毛。
2体は女の子で、それぞれに金髪とピンクブロンド。金髪のほうは、少しお嬢様に似ています。
残り1体は、珍しいことに男の子。茶色の髪の優美な雰囲気の青年です。
お人形をもらった姪は、嬉しそう。ですが高価なビスクドールは、一介のメイドやその家族には、過ぎたおもちゃです。
「せっかくですが、お嬢様。姪にはこのお人形は贅沢すぎます。壊してしまったらもったいのうございます。しかも3体も」
「いいのよ、ブリギッテ。ゾフィーちゃんがせっかく遊びにきてくれたというのに、わたくしたちはこれから舞踏会でしょう? 待たせるのはかわいそうだわ」
カミラお嬢様はひっそり、ほほえまれました。
私の胸がちくりと痛みます。
―― 優しいカミラお嬢様は口には出されませんが、実は婚約者のことでお悩みを抱えていらっしゃるのです。
政略による、意に染まぬ婚約。
お相手の伯爵令息は、顔だけのクズでいらっしゃいます。当家に婿入りする立場でありながら、お嬢様以外の下賎な女を常に侍らせているような。
しかし、いまや飛ぶ鳥落とす勢いの伯爵家との婚約を、イヤとはおっしゃれないお嬢様なのです。当家は由緒ただしい名門貴族とはいえ、名ばかりの貧乏公爵家なもので。
おかげで、カミラお嬢様の婚約者はすっかり図に乗って、最近はパーティーですらもお嬢様以外の女をエスコートされている有り様なのです。
―― 今日の舞踏会でも、あの男はお嬢様をないがしろにし、ここのところ特に懇意にしている男爵令嬢をエスコートするのだとか。
「…… もげればいいのにっ」
「あらあら、ブリギッテったら」
お嬢様はくすくすお笑いになり、それからゾフィーに優しい目を向けられました。
「ねえ、ゾフィーちゃん。舞踏会からは、なるべく早く帰ってくるわ? だから、お人形で遊んで待っていてね。3体あるから、流行りの 『婚約破棄ごっこ』 もできるでしょう? …… ほら」
お嬢様は男の子の人形に、ピンクブロンドの女の子をそわせました。向かいに、金髪の人形を配置します。
最近わが国の女の子たちのあいだでは、真実の愛を貫くふたりが政略による婚約を打ち破るごっこ遊びが大流行しているのです。
「悪いご令嬢に婚約破棄を言い渡したら、真実の愛を貫くふたりは、幸せなダンスができるでしょう? ね? 」
「うん! 」
嬉しそうに瞳を輝かせるゾフィーを置いて、カミラお嬢様と私は舞踏会に出掛けました。
―― その舞踏会で繰り広げられたのは、さきほどお嬢様がゾフィーにしてみせた 『婚約破棄ごっこ』 そっくりの光景でした。
伯爵令息が、ピンクブロンドの男爵令嬢の腰に腕を回し、片手をお嬢様に突きつけます。
「カミラ、おまえとの婚約を破棄するっ! これは運命の恋…… ボクは、真実の愛を貫くんだ! 」
「承りました」
「な、なんだと!? 」
「ですから、了承いたしました。お幸せに」
カミラお嬢様は顔色ひとつ変えずにうなずき、会場をあとにされました。
私はあわてて淑女の礼を取り、カミラお嬢様のあとを追いかけました。
「あの男…… よりによって公衆の面前で! 」
「いいのよ、ブリギッテ。それより、ゾフィーちゃんが楽しくお人形遊びしてくれているようで、なによりだわ」
帰りの馬車、カミラお嬢様はご機嫌でした。
あんな恥をかかされて、と悔しいのは私だけのよう。
もともと意に染まぬ婚約だったお嬢様としては、婚約破棄されてスッキリなさったのでしょうか…… それならば、いいのですけれど。
公爵邸に戻ったとき、ゾフィーはまだ、お人形遊びの最中でした。
ピンクブロンドのビスクドール、なにげに男爵令嬢に見えて腹が立ってきます。そういえば、男の子のほうは髪の色といい顔といい、なんだかあのクズ伯爵令息に似ているような。
『これからは真実の愛を邪魔するものは誰もいないよ』
『うふふふ。嬉しい。愛してるわ』
上っ面な当てゼリフ。
我慢できなくなって私は、姪の手から人形を取りあげようとしました。
「はい、もう、遊びはおしまいよ、ゾフィー! 」
「いやっ、もっと! 」
ゾフィーが嫌がって暴れます。
その勢いで2体の人形が私たちの手から滑り落ち、あっというまに床に叩きつけられてしまいました。
激しい音を立てて、男の子の人形が粉々にくだけ、その首がころころと転がっていきます。
ピンクブロンドの人形のほうは手足がもげてしまいました。頭はつながっているものの、その顔は修復できないほどにひびだらけ。透きとおった青いガラスの瞳も片方、飛び出してしまっています。
「す、すみません! カミラお嬢様! 」
「いいのよ」
カミラお嬢様は、ひっそりと優しくほほえまれました。
後日。
かつてお嬢様の婚約者だった、あの顔だけクズ伯爵令息の葬儀が営まれました。
なんと、あの舞踏会の帰り道、伯爵令息の乗った馬車が横転する事故があったそうです。
伯爵令息は全身がぐちゃぐちゃにつぶれ、ご無事なのは顔だけだったとか。
そしてその馬車に一緒に乗っていたピンクブロンドの男爵令嬢は、手足に大怪我をして一生、寝たきりの生活になるのだそうです。
愛らしいともてはやされていたご自慢の顔も、片目がつぶれ、深い傷がたくさんできて見る影もないのだそう。
元・婚約者のよしみで参列された葬儀の帰り道。
カミラお嬢様が、なにごとかをぽつりと呟かれました。
―― そこまでするつもりでは、なかったのだけれど。
おそらくは私の聞き違いでしょう。
ですがこのとき私の脳裏には、あの壊れたビスクドールたちが蘇ってきていました。
後片付けをしていたとき、気づいたことですが……
人形の首の部分に刻まれていた名前は、彼らと同じものだったのですよね。
そして、明らかに人形の体内に入っていたと思われる、ピンクブロンドと茶色の人間の髪の毛。
…… まさか、ね。
馬車に揺られながら、私はそっとカミラお嬢様のお顔をうかがいました。
「きっと、こうなるのも運命だったのでしょう。ね、ブリギッテ? 」
お嬢様は、ひっそりと優しくほほえんでおられました。
(終)