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いつもの朝  作者: ANZIN
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朝①

 どこからともなく、聞き覚えのあるアラーム音。

 瞼を開けきらないうちから押し寄せる、容赦ない現実。

 片手を伸ばし、スマホを傾けて時刻を見る。毛布の中に引きずり込んではもう5分ほど……という気持ちを断ち切り、思いきって半身を起こす。


 何だか目がショボショボする。

 ごくたまに、印象深い夢で涙を流すことがあるけれど、今回はまったくの無自覚。

 あくびから遅れて大きく伸び。両手を上げきるとともに首の関節を鳴らす。何かしら思い出そうと記憶を探ってみるも、手がかりがなく早々にあきらめる。

 目の下をさっと指で拭うとベッドから足を出し、ひんやりする床を踏みしめる。

 扉を閉めようとふり返った瞬間、部屋全体がすっきりして見えた。

 

 ボーッとする頭のまま台所に入り、冷蔵庫から朝食を取り出す。

 母が小分けにした昨晩のおかず、大根と肉と卵の煮物。数ある料理の中でも上位にランクする一品を電子レンジにセット。その間にご飯をよそい、TVをつける。

 突発的に流れだすニュース。うるさく感じ、すぐに音量を下げる。

 出汁の香る湯気越しに鑑識が奔走する姿。テロップとともに被害者の名前、年齢が読み上げられ、犯人は「20代男性」。報道とは何なのか、怒りに似たわだかまりが頭を支配。事件の詳細を聞くに連れ、胸が締めつけられてゆく。

 そんな感情を置き去りに、さっさと場面は一新。

 薄情だなと不快な眼差しを送ろうと、大臣のあたりさわりない記者会見を眺めているうちにすっかり他人事として処理されてしまう。

 今日は目立ったトピックスがなかったらしく、番宣色の強い芸能情報、さらには『いびきでわかる重大な病気のシグナル』というミニコーナーまで追加。

 自分では知りようがないだろとスルーしかけたとき、ちょうど遠くから父のいびきが聞こえ、チェックしてみると問題なくひと安心。

 とっておいた煮卵を口に放り込む。昨日より味が染みていて美味いと感じながらスマホを手に取る。

 早く食事がすんだので、少し念入りにネットをさらう。

 すると突然の気配。俊敏な物音からして母ではないと判断。


「もれるもれるっ……おお、今から仕事か」


 わざとらしいなと思いつつ、一応うなずいてみせる。ほんの数分前まで豪快ないびきをかいていたのに、という驚きも表情には出さず。

 トイレをすませて姿を現したときには手に新聞。対面のイスを引っ張り出し、一服しはじめる。目を細め、天井に煙を吐く。

 立ち昇る煙を逆に辿っていっては、たまたま目があったからしかたなくというように、


「どうだ、最近は……忙しいか?」


 どれくらい前だったか。ほぼ同じシチュエーションで、まったく同じことを聞かれたとすぐに思い出す。昨今の景気からして、息子の働く会社が潰れはしないか探っているのか。

 どう答えるのが正解だろう。ちなみに前回は何と答えたか……いや、父にとってはもともと「おはよう」と同じ意味かもしれないと思い至る。

 スマホをテーブルに置いて顔をしっかり父に向けると、字面を追う父の鼻頭に目があった。晩酌が抜けていないのか、少しだけ赤らんでいる。

 目立つ毛穴を見ながら「まあ、あいかわらずだよ」と曖昧に返事。一瞬目があうと父はうつむき、うまいこと新聞で顔が隠れた。

 パラパラとめくっていた音が落ち着き、スポーツ欄に入ったとわかる。

 ベテラン選手の大幅減棒、3年前、鳴り物入りのルーキーが早くもメジャー移籍。コメンテーター風の言葉を並べていた中でいきなり、


「彼女だか何だか……そういう人がいるなら、母さんにはいっとかないと。ほら、変に気にするから」


 最近休日になると出かけることで勘づいた母が、それとなく伝えていたらしい。

 父の背後にあるTV端の時刻表示にはまだ余裕があったものの「うん……そうだね」と、そそくさと皿を片づける。

 ふと、もしかしたら母が部屋の掃除をしたのではないかと頭に浮かんだ。


 歯みがき、ヒゲ剃り後、ハードムースで前髪を立たせてから居間へ。

 クローゼットを開けたと同時、お気に入りのボタンダウンのワイシャツが目にとまり、いつも迷うネクタイもすぐに決まった。

 きっちり1回で結ぶよう気をつけてから、身だしなみを最終チェック。手を動かす間に今日の帰りはどの程度気温が下がるかを予想。そうしてだんだんと脳の回路をつなげてゆく。

 身支度をすませると台所を通過し、玄関で靴を履く。

 父が新聞を広げたまま首だけ向けて、すっかりTVに見入っている。手元に置かれたコーヒーカップからはまだわずかに湯気が立っている。

 白髪の混じり具合が多くなった横顔に、


「じゃあ……」

「ああ。もうちょっとしたら母さんが起きるだろうから、朝食を……」


 返事とひとりごとをつなげながら新聞を閉じる。ほのかに香ってきた豆の匂いにひときわ懐かしさが込み上げつつ、玄関の扉を閉める。

 ドアを背にしてすぐに聞こえた母の声。ふり返らずに返事をして、そのまま歩きはじめた。


 見晴らしのよい県営団地の4階。

 起きたときにはまだ薄暗かった空がすっかり白ばんでいた。どんよりした雲間の奥ではわずかに青空がのぞいている。

 階段を下りきってすぐ、ポケットからスマホを取り出す。

 通話着歴から「吉野加奈」をリダイヤル。

 職場で出会って2年。正式につきあうようになってからだとまだ半年。その前からはじまったルーティーン。今日も長いことコールし、留守電に突入する寸前でつながった。

 安心から一転、何ともいえない緊張。


「もしもーし……」


 余計な雑念を払おうと、踊り場で足を止める。

 電話口を通して相手のいる世界に入り込むくらい、聴覚を研ぎ澄ませる。


「おはよう……おはよー……」


 声色を変えた何パターンかくり返してから耳を澄ます。

 しばらくはモゾモゾと、布団や髪の擦れる音。日ごろから寝起きが悪いと自称する加奈を、決してせかさず、じっくり待つ。


「朝ですよー、カナさーん。起きてー、おーい……」

「う、うう……うん……」


 とぎれとぎれの返事と、何回か鼻をすする音。


「おーい、おーーーい。おっはー、やっほー」

「……最後のって、山の頂上でいうんじゃない?」


 ワンテンポ遅れのツッコミ。

 あっ、そうかととぼけてはポツポツと会話がはじまる。

 ひとしきり話し終えてから、突然「この前はゴメンね」と謝られる。


「いいよ、そんな……こっちこそゴメン」

「何か、いつも起こしてもらってるのに……今日も目覚まし、ふつうに止めてた」


 珍しくしおらしい声。

 以前ハマっていた海外ドラマの再放送を予想以上に見入ってしまったとのこと。面白いとしかたないよね、とフォローしつつ話題を変える。


「雨はあがったけど、まだちょっと寒い気がする……どう? 風邪ぎみっていってたけど。カナの調子、少しはよくなったカナ?」


 ダジャレで失笑させてから、


「じゃあ……また後で」


 決まり文句で電話を切る。

 その瞬間、今日はもう少し話をしてもよかったと気づく。後悔の念に駆られつつ、とりあえずスマホをしまった。

 

 今日、加奈は遅刻せず来られるだろうか。

 待ちあわせを頻繁にするようになって気づいたこと。加奈はかなり時間に正確。というか、時間ギリギリまで姿を現さない。

 今週初め、余裕を持って起こしたはずなのに遅刻。原因は二度寝。

 翌日、何とか就業時間1分前でタイムカードを押したものの、セミロングの片側がやけに跳ねていて、思わず笑ったら丸一日口を聞いてくれなかった。

 そのとき、メガネをかけていた。

 ここ最近はよくメガネ姿でいるのを目にする。学生のころから目が悪く、ふだんはコンタクトレンズを使っているという。

 おそらく朝、しっかり起きられれば余裕があったということでコンタクトレンズ、そうでないとメガネではないか。

 はたして今日は、どちらだろう……?

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