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緊張感

 「松岡マネージャー(店長)、お願いしたいことがあります」

 「どうしたの三日月さん?」


 松岡マネージャーとは、三日月さんが勤める美容院(LALA)のマネージャーであり、35歳の女性である。


 「明日の晩、カットの練習をしたいのです」

 「ひかりやっとやる気になったのね」

 「はい。もう、二度とハサミは持たないと思っていましたが、ある少年の姿を見て、いつまでも過去の幻影に怯えて逃げ続けるのはダメだと思ったのです」

 「嬉しいわ。私は光を応援しているわ、だから、自分のペースでがんばればいいのよ」

 「はい。でも、店に迷惑がかかると思うと・・・」

 「気にしなくてもいいのよ。私はあなたの味方よ」

 「ありがとうございます。後、もう一つお願いしたいのですが、明日カットモデルに来られる子は、コミュニケーションが苦手みたいなので、ジロジロみたり声を掛けないようにスタッフにお願いしてもらえないでょうか?」

 「わかったわ。みんなに伝えておくわよ。でも、光がカットする姿をみんなは見たいと思うはずよ」

 「それはかまいません。でも、声を出さないようにお願いします。あの子に余計な気を使わせたくありません」

 「光はその子が気に入っているのね」

 「そういうわけではありません・・・でも、あの子が自分を変える為に努力をしている姿を見て、私も立ち止まってばかりではいけないと思えたのです」

 「そうなのね。いい子なのね」

 「はい」


 三日月さんの重たい荷物を下ろしたようなスッキリとした表情を見た松岡マネージャーは、心の底から嬉しさが込み上げてきた。




 「実はね、私カットをするのは久しぶりなのよ」

 「そ・・・う・・なんですね」


 三日月さんはカットクロスをかけながら俺に話しかける。俺は緊張しているので片言の日本語で応対する。


 「失敗したらごめんね」


 三日月さんは鏡越しで俺に笑いかける。そのキュートで可愛らしい笑顔に俺は顔を真っ赤にしてしまう。


 「べ・・・つに・・かま・・・いません」

 「そうなの。虎刈りになってもいいの?」

 「は・・・い」


 俺は恥ずかしくて目をつむってしまったので、三日月さんがどのような表情で言ったのかわからないが、俺をからかっているのはわかっている。


 「冗談よ。ちゃんとイメージは出来ているわ。昴君は軟毛のくせ毛だから、ナチュラルショートが似合うと思うのよ。サイドと襟足は隠れツーブロックを施し、全体はショートレイヤーをベースにカットするわ。後トップのみチョップカットを用いてボリューム感をだそうかしら」

 「そ・・・それで・・・お・・・・・・願い・・・します」


 三日月さんが何を言っているか理解できないが、わかったふりをして返事をする。


 「安心してね。これでも私は美容大会で優勝した事があるのよ」

 「す・・・ごい・・です・・・ね」

 「そうよ、私はす・ご・い・の・よ!なんてね」


 三日月さんは俺の緊張をほぐそうと終始にこやかに声をかけてくれている。俺は美容院に行ったらすぐに寝たふりをして、美容師さんとは一切会話をしないタイプである。綺麗な美容師さんと会話を楽しみたいという願望はあった。しかし、コミュ障の俺にとっては、あまりにもハードルが高いのである。それにブサイクな俺と営業トークをしなければいけない美容師さんも苦痛を感じているに違いないと、自分を卑下している面もあった。

 しかし、今回は違う。俺は少しでも三日月さんと会話を楽しみたい。でも、緊張して目をつぶってしまい、会話も単調な返事しかできない。それでも、終始声を掛けてくれる三日月さんの心遣いに俺の緊張はほぐれつつあった。


 三日月さんはたわいもない話をしながらも、手を緩めることなく優雅にカットをする。俺は相変わらず単調な返事をしながらも、三日月さんの心に染み入る声に魅了されていく。


 「ごめんね昴君。私ばっかり喋っているわね」

 「そ・・・んなこと・・・ないです。僕は喋るのが・・・苦手なので、話かけてくれて嬉しいです」

 「あれ昴君、少し話すのも慣れてきたかしら?」

 「そう・・・かもしれません。三日月さんの声が心地よかったので緊張の糸がほどけたのかもしれません」


 三日月さんの声は高めの澄んだ綺麗な心地よい声である。話し方もゆっくりとした口調で聞き取りやすい。音量もちょうどよく、クラッシック音楽を聞いているように心が穏やかになる。


 「昴君、嬉しいこと言ってくれるのね」

 「本当のことです」

 「ありがとう。昴君、カットが終わったわよ。シャンプーをしてセットをしてあげるわね」

 「お願いします」

 


 数分後、シャンプーを終えて三日月さんがセットを始める。


 「昴君、セットの仕方を教えてあげるから、目を開けてちゃんと聞いてね」

 「はい」

 「髪全体をタオルドライにした後に、少量のワックスを全体になじませて、トップの束感をつまむようにスタイリングしたらいいわよ。ワックスは軽めのクリームタイプがいいからこれをあげるわね」

 「もらっても良いのでしょか」

 「いいのよ」

 「ありがとうございます」

 「私の方がお礼を言いたいわ。昴君のおかげでもう一度スタイリストとしてやっていく勇気をもらったわ。ありがとう」


 三日月さんの生き生きとした笑顔がとても眩しかった。


 「どういうことですか?」


 俺は聞いてはいけない事かもしれないと思ったが、思わず聞いてしまった。


 「もう時間も遅いから、今度話すわ」


 三日月さんの表情に変化は感じ取れなかったから、本当に今度話してくれるのだろう。


 「はい」

 

 俺は笑顔で返事をする。


 「昴君、だいぶ緊張がほぐれたようね。次は昴君の話しが聞けるといいな」

 

 俺は自然と笑顔が出ていた自分に驚いた。別に何かのレベルを上げたわけでもなく、何かしらのスキルをゲットしたわけでもない。ただ、三日月さんと話していただけなのに、気持ちが朗らかになり、緊張が解けて自然と笑顔が出たのである。


 「僕も話したいです」


 また、三日月さんと話したいと俺は思った。


 「また、ココアを送るわね」

 「お願いします」


 俺はカットをしてもらったお礼を言って家に帰った。

 

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