第5章 青の魔女の封印された記憶
あれからリリアーナは度々ビクトールの家を訪れてトトとジュジュに会いに行った。そこで彼らにせがまれるままに魔法の花や鳥などを出してやった。いつからかビクトールもそれに加わり、蝶や動物を出したりして一緒に楽しむようになった。
リリアーナは、最近は毒薬のことを言わなくなった。本来の目的をすっかり忘れた様子だが、それでもビクトールのところへは毎日通った。ビクトールの方もいつの間にかリリアーナがいる日常を当たり前に思うようになった。
しかし、ある日ふと思い出したので、思い切って聞いてみた。
「なあ、最近毒薬の話しなくなったけど、もうどうでもよくなったのか?」
するとリリアーナは、目を大きく見開いてビクトールの顔をまじまじと見た。
「興味ないなんて一言も言った覚えはなくてよ? 毎日催促しに来ているつもりなんだけど? 私の存在がプレッシャーにならないの?」
「いや……毎日なんでもう慣れたというか……だって、そこまで王太子たちを殺害したい怨念とか動機とか見えてこないから不思議に思って」
ビクトールは、前から引っかかっていた疑問を口にした。認めたくないが、リリアーナとはほぼ友達に近い関係になったので、なかなか言い出せなかったのだ。
「高位貴族は、人前でみっともなくわあわあ泣いたり取り乱したりしないものよ。感情を出さないように常日頃から訓練されているの。だから表向き取り澄ましていても、内心ははらわたが煮えくり返っていることなんてよくあることよ」
リリアーナは高慢な態度を隠しもせず、肩をそびやかして言った。ビクトールも、この学園に入って貴族に囲まれた生活を送るようになってからは、貴族の風習を見聞きする機会が増えた。位の高い貴族は、人前でみだりに感情を出すものではないという話は確かに聞いたことがある。しかし、ここの学園の生徒は、そんなものは全然守っていなかった。だから、今でも頑固に守っているのは頭の固い老人ぐらいだろうと思っていた。そんな古いしきたりの話が、まだ若いリリアーナの口から出てくるのが不思議だ。今ではすっかり不要のものとなった王太子妃教育の賜物だろうか。
「ねえ、何考えているのよ、ビクトール?」
リリアーナは、ビクトールがじっと考え込んでいる様子なので、彼の方に手を伸ばした。とその時、ローブの袖が実験器具に引っかかって、調合していた薬を倒してしまった。慌てて倒した瓶を元に戻し、ハンカチで濡れたテーブルを拭こうとしたが——
「やめろ、触るな!」
しかし、ビクトールの警告は一瞬遅かった。その薬は、元々は経口的に内服するものだが、経皮吸収もされるという変わった性質を持っていた。そしてその薬を含んだ者に直接触れると、過去の記憶を盗み見ることができる効能があった。そんな危険な薬をリリアーナが触れてしまったのは想定外だった。
ビクトールは咄嗟に杖を出して、魔法でリリアーナを眠らせた。魔力の少ないリリアーナは、防御も殆どできずまともに食らってふっと意識を失った。力が抜けて倒れかけた彼女の体をビクトールは受け止め、スプリングの壊れたボロボロのソファに寝かせた。
(解毒剤を作るのも時間がかかるし……自然に薬が体内から抜けてくれるのを待つしかない。幸い濃縮する前の状態だっただし、量も多くないから短時間で済むだろう。でも、今のまま彼女を外に出すのは危険だ。それまではここに置いておくしかない)
そのために魔法で眠らせたのだが、急にやましいことをしているような気分になっていたたまれなくなった。リリアーナを守るためなのに、この状況はものすごく怪しい気がする。普段きつい顔をしているのに、眠っている時の彼女は無防備な姿を晒していた。まぶたが閉じられ長いまつ毛がくるんと上を向き、起きている時は常に引き締まっている口元も緩んでいる。余りにあどけない彼女の寝顔に、ビクトールは見惚れてぼーっとしてしまった。そして、無意識に手の甲で彼女の頬にそっと触れた。
その瞬間、強烈なイメージが彼の中に侵入してきて、反射的に手を引っ込めた。
(何だ……今のは……リリアーナの記憶か?)
それは彼が想像していたより、はるかに重苦しいイメージだった。彼女の記憶を盗み見てはいけない、そう思ったが、先ほど彼女に尋ねた疑問が解消されなかったことを思い出し、どうしても好奇心に逆らえなくなった。
しばらく心の中で葛藤してから、ビクトールはためらいがちにリリアーナのほっそりした白い手を握った。
最初に頭に浮かんだのは立派な屋敷の一室だった。リリアーナが父親らしき人物に何やら叱責されている。
「この成績はなんだ! 少ない魔力を少しでも伸ばすために魔法学園に入れたのに、これではオズワルド家の面汚しだ! 兄たちは優秀なのになぜお前だけできないんだ! これで王太子の婚約者でなければ、何の価値もない!」
次はどこか豪華な屋敷の庭だった。どうやら大規模なティーパーティーが開かれているらしい、そんな中、温室に二人きりでいたのはリリアーナとフローラだった。
「はっきり申し上げます。リリアーナ様、ルーク殿下との婚約を解消していただきたいのです。私たちは愛し合っています。あなたとの間にはない、真実の愛です」
「何を言ってるの? 国の最高責任者は愛だ恋だとうつつを抜かしている暇はないのよ。国民の命運を握っているのだから、自分のことは後回しにして国を最優先しなければいけない。ルーク殿下もそう教えられているはず。もちろんその妻も、万が一の時には自らを犠牲にして夫を守らなくてはいけない。そんな悲壮な覚悟はおありなの?」
「つべこべ言っても、殿下のお心はあなたにはありません。どうしても身を退いていただけないのであれば、仕方ないですね」
フローラは、杖をリリアーナに向けて何やら呪文を唱えた。本来、公共の場所で魔法を使って人に危害を加えるのは禁止されており、違法行為を監視する仕掛けが張り巡らされている。しかし、今回はフローラが目くらましの術を同時にかけていたので、監視の目をすり抜けた。それでも、普通の人間ではできない高度な技術なので、フローラの魔力が飛びぬけて強いのは本当なのだろうとビクトールは思った。
不意打ちだったこともあって、まともに呪文を受けたリリアーナの体は見る見る間に小さくなり、一匹のカエルへと姿を変えた。フローラはゲラゲラ笑いながら、そのカエルを踏みつぶそうとした。
「身を挺してルークを守るですって!? 自分の身も守れないのに? 役立たずの婚約者ね!」
すんでのところで交わしたリリアーナは、植え込みの影に逃げ込んで危うく難を逃れた。あれは本当に殺す気だった。肝を冷やしたリリアーナの心にビクトールの心がシンクロしたかのように呼応して、彼もまたぞっとした。
フローラは、地面に落ちたリリアーナの服を回収してどこかに捨てて証拠隠滅を図った。そしてルークに、リリアーナは途中で機嫌が悪くなって先に帰ったと報告した。ルークは、「わがままな女でどうしようもないな、あんなのが婚約者だとは嘆かわしい」と憤慨し、それからは専らフローラが彼を慰めた。その頃、カエルになったリリアーナは馬車に轢かれそうになりながら、ほうほうの体で自分の家に戻って魔法を解除してもらった。
元に戻った時のリリアーナは、全身泥まみれで至るところに生傷があった。魔法を解いたのは兄だったが、ボロボロになった彼女を見て笑いが抑えられないようだった。年頃の若い女性が裸体を晒しているというのに貴族というのは何の配慮もないのか。ビクトールは自分のことのように腹が立った。壁の方を向き顔は見えないが、大きな布をかけられた肩が小刻みに震えているのは、見ないようにした。
「お父様には絶対言わないでください!」
こんな時でさえ、声色に勝気さが失われていないのは却って痛々しかった。その後は、しばらく学園を休んで怪我を治した。聖女に頼んで治してもらえばと勧められたが、フローラの息のかかった場所へは絶対に行きたくなかった。しばらくぶりにルークと顔を合わせた時も「こないだのパーティーの何がそんなに気に入らなかったんだ」と一言冷たく言われただけだった。リリアーナが姿を見せない間にフローラとの仲は大分深まったらしい。
それからルークのリリアーナへの当たりが大分厳しくなった。人がいる前でも彼女を怒鳴りつける場面も出て来た。そんな時、リリアーナはただ言われ放しでなく、きっとルークを睨みつけ、それから挑むような笑みでにこっと笑った。意地でも憐れまれるような雰囲気を作ってやらないという、無言の反撃だった。そんな彼女がより憎くなるのだろう。しおらしく首を垂れない彼女にルークはほとほと愛想が尽きた。終いには、殆ど無視するようになり、公の場でもフローラと親しくするのを隠さなくなった。そして例の婚約破棄だ。
場所はリリアーナの家に戻った。公爵家からルークとフローラへの制裁をとしつこく頼み込むリリアーナを父は冷たく見下ろした。
「相手は聖女候補だろう、身分と家柄以外にとりえのないお前では分が悪すぎる。国王も王太子殿下の意向を黙認する方向だし、我が公爵家としてもそちらに乗るしかない。せめてお前自身にもっと価値があれば」
それを聞いた途端、リリアーナの目から光が失われた。
「……分かりました。自分の身は自分で守れということですね。それでは私でもできることを致しましょう」
それでビクトールのところに来たのか。リリアーナの手を離したビクトールは、我に返った途端、急に疲れが襲ってきて、どかっと床に腰を下ろした。
(こんなの、プライドの高いリリアーナが教えてくれるはずがない)
彼女にとっては相当な屈辱だっただろう。世界を破滅させてやろうという程の破れかぶれな情熱がどこから出てくるのか分からなかったが、こんなにこじれた話だったとは思わなかった。見た目は裕福で何一つ不自由ない貴族なのに、寄る辺のない孤独を抱えているという意味で、彼女は自分と同じ種類の人間だ。ビクトールはまだしばらく寝顔を眺めていたかったが、彼女はもぞもぞ動き出し、ううーんとうめいた後、目をぱっちりと開けた。
「ごめんなさい、薬を駄目にしてしまって。あなたの実験の邪魔はしないと約束してたのに。私どれくらい寝ていた?」
どうやら薬のせいで寝ていたと勘違いしているらしい。ビクトールは静かに首を横に振った。
「薬ならいくらでも作れるから心配しないで。それより体は大丈夫?」
「私は大丈夫よ。体が丈夫なだけが取り柄なの」
そう言ってリリアーナは笑ったが、ビクトールは笑うことができなかった。
「今日は早めに帰って体を休めて。何も残らないと思うけど一応念のため。万が一何かあったら教えて」
ビクトールの心に去来するものはただの同情だろうか。同情と愛は違う。でも愛情だって情の一種ではないか。両者にどこまでの差があるのか。そんなことを考えながら、今日は自分も早く帰ろうと思った。
あらすじのところにも書きましたが、元々あった第5章を加筆修正しました。具体的には、王太子と新しい婚約者のキャラを膨らませてエピソードを追加しました。その影響で元々あった第5章が長くなったので2つに分け、全9章となっています。後半も、ヒロインが犯行に及ぶシーンの心情描写や、最後のざまぁ的展開の補足を入れたりちょこちょこ変えてます。今までブクマしてくださった方には申し訳なく思いますが、もしよければ、「どちらがよかったか、その理由など」を教えてくれると嬉しいです。やはり、こういった意見は参考になるので、何らかの反応があると嬉しいです。




