第1章 極悪令嬢の婚約破棄
「リリアーナ・オズワルド、貴殿との婚約を破棄させてもらう!」
和やかなパーティー会場は突如断罪の場と化した。招待客たちの目が一斉に声の主に注がれる。階段の上に立つルーク王太子は、階下にいる婚約者のリリアーナ公爵令嬢を冷たくにらみつけた。胸を反らして仁王立ちするルークの傍らには、小動物のように怯えるいたいけな少女がしがみついていた。
「突然婚約破棄と言われましても驚くばかりですわ。よろしければ理由を教えてください」
リリアーナは、驚いたと言いつつ、つり上がった青い目を見開いた以外は衝撃を受けた様子を見せなかった。人前で取り乱してはいけないという貴族としての矜持がそうさせたのだが、見る者によってはふてぶてしく映ったかもしれない。
「フローラに『お前は婚約者ではないのだから分を弁えろ』と言っただろう!」
ルークはそう言うと、傍にいる少女の肩を強く抱いた。この少女がフローラらしい。艶やかな金髪にきつそうな紺碧の目をしたリリアーナに比べ、ふんわりした栗色の髪にヘーゼルの瞳を持つフローラは、思わず誰もが味方をしたくなるような弱々しい見た目だった。
「それがどうしましたの? 事実ではありませんか?」
「その平然とした態度が気に入らんと言っているのだ! 他にも数々の暴言を吐いてフローラを追い詰めただろう!貴族なのに碌な魔法も使えない能無しのお前が、聖女候補かつ、優しく賢いフローラに、講釈を垂れる権限はない!」
「まあ、暴言ですって。正論の間違いでは? 未来の国王になるお方に変な虫がつかぬようお守りするのが婚約者の務めと思ってまいりました。そのためにフローラ様をけん制することはあっても、理不尽な暴力は加えなかったつもりです。ここで突発的に婚約破棄をすれば、貴族社会に亀裂が走りますわよ? 国王陛下はご存じですの? 根回しはしましたか?」
王太子相手にもひるまずぺらぺら喋るリリアーナを、ルークは侮蔑の眼差しで見ていたが、脇の甘さを指摘されると、顔を真っ赤にして怒り狂った。
「黙れ! 黙れ! フローラを虫に例えるとは何事だ! 公爵令嬢でなければ不敬罪で逮捕していたところだ! 今日から俺の隣に立つのはお前ではなくこのフローラだ。お前の汚らわしい姿は目の端にも入れたくない。今すぐここから消え去れ! 今すぐだ!」
大分前からルークの心が自分から離れているのは知っていた。それでも国が決めた結婚だからと粛々と従うつもりでいた。それなのに大勢の前でさらし者にして、婚約破棄を既成事実化するこの仕打ちは何だ。自分は卑怯なことは何もしていない、ルークが意中の女性と結婚したいがために自分を悪者に仕立て上げただけだ。確かに性格も見た目もきつい自分より、庇護欲をそそるフローラの方が周りからの人気も高い。しかし、ただそれだけだ。こんな強引なやり方で丸く収まると思っているのか、うちは公爵家なのだから父が黙っちゃいない。今に見てろ。
リリアーナはまなじりを上げてルークをねめつけたが、いつの間にか魔法兵がぐるりと彼女の周りを取り囲んでいた。彼らは王太子付きの兵士で、武力も魔力も備わっているので、戦闘力が高く恐れられていた。元からリリアーナも無駄な抵抗をする気はない。優雅に一礼すると、くるりと背を向けてパーティー会場を後にした。これがかの有名な、「ルーク王太子婚約破棄事件」のあらましである。
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3日後、リリアーナは既に人前に姿を現していた。曰く、「どうして被害者の私がコソコソしていなければいけないの?」らしい。周囲の者は、傷ついた憐れな令嬢をアピールした方が同情を集められるのにと進言したが、彼女は一切聞き入れなかった。ホグスワンデル魔法学校の敷地を大股で闊歩する彼女は、多くの生徒から驚きと奇異の目で迎えられた。
リリアーナは、ある場所を目指していた。そこは、廃墟一歩手前の旧校舎だった。新校舎に建て替える際、旧校舎はあらかた取り壊されたが、敷地の隅に一部だけ残された。かつては部室に利用されていたが、現在はそれも移転して表向きは立ち入り禁止となっていた。しかし実際は、授業をサボる生徒のたまり場や学校の目の行き届かない活動の拠点として知る人ぞ知る場所だった。
リリアーナは、無秩序にツタが絡まる黒ずんだ壁にも何ら臆することなく、ずんずんと旧校舎に足を踏み入れた。中はじめっとしており、カビの臭いが鼻を突いたがそんなことはこれからしようとしていることに比べたらどうでもよかった。ここには初めて入るが、まるで行きなれた場所であるかのように進んで行った。
ギシギシときしむ階段を上ると、2階のある部屋の前に着いた。ドアが固く閉ざされており、ぱっと見何もない部屋に見える。しかしここが目的の場所だった。リリアーナは一度深呼吸をしてから大きな音を立ててドアをノックした。返事がない。もう一回ノックする。やはり無反応だ。イラっとした彼女は、懐から杖を取り出して呪文を唱えて施錠を壊した。鈍い音を立てて扉が開いたところを、我が物顔で中に入って行った。
「魔力が少ないと言われる公爵令嬢といえども、開錠の呪文くらいはできるのか」
部屋の中は薬草の匂いで充満していた。四方の壁はびっしりと棚になっており所狭しと薬瓶が並んでいる。その中央には実験器具が置かれた机があり、その前に一人の男子生徒が座っていた。
「私が来ると知っていながら結構なご挨拶ね。ここで不法行為が行われていることを告発してやってもいいのよ?」
リリアーナは、不敵な笑みを浮かべて彼を見下ろした。彼は制服のローブを着てはいるが、リリアーナのものと比べると裾がほつれ色褪せもしていた。一目でお下がりと見て取れる。肩に届きそうな黒髪はよく整えておらず、顔が半分隠れる形になっている。生気のない顔色のくせに漆黒の目だけがぎょろっとこちらを向いていた。リリアーナが普段付き合う人種とは明らかに異なっていた。
「あんたが来るのは廊下に設置した魔道具で分かってた。頼みがあってここまで来たんだろう? しかも貴族がこんな場所に足を踏み入れるなんてよほど切羽詰まっていると見える。誰にここの場所を聞いた?」
誰が見ても、リリアーナの方が身分が上なのに、彼は何ら気後れした様子はなく、彼女を真正面から見据えた。むしろ、貴族に対する敵意すら伺える。リリアーナは、彼の言葉などお構いなしにさっさと自分の要件を伝えた。
「あなたの魔法薬づくりの腕を見込んで、公爵令嬢がこんな汚い場所まで来てあげたのよ。私のことは知ってるわね? 私の依頼はただ一つ。ルーク王太子とあの泥棒猫を殺してやりたいの。証拠が一切残らない薬を作ってちょうだい」
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