摸擬戦
その後、陰陽庁の演習室を借りての摸擬戦に移る。
演習ルームは、高校の体育館より一回り小さい程度の広さで、鋼製床仕様の白いタイルに白い壁と殺風景な印象を受ける。
陰陽庁の職員たちは時おりここを利用して術の研究開発や、技能試験などを行うらしい。
部屋の床中央から等間隔の位置に穴が六つあり、今は金術で作られた長い棒の呪具が差し込まれていた。
呪具によって六芒星を形作り、戦闘時に内外を隔てる結界を張るのだ。
「よし、今日はもう遅いから一戦だけにするぞ」
今日の摸擬戦を担当する講師は神野時雨だ。
赤みがかった長い髪を後ろで結んで、黒のスーツを着ているがシャツは皺だらけで、ズボンから半分だけはみ出ている、だらしのない男である。
常にやる気のなさを全身で体現しており、塾生たちも時おり彼が他の講師から注意を受けているのを目にするぐらいだ。
「先生、この時間でしたら、いつもは三戦はしていますよ?」
他の塾生がもっともな意見を口にするが、時雨は彼に恨みがましい目線を向けると、諭すように告げた。
「そんもんは知らん。時間に対する価値観てのは人によるんだよ」
「しかし、他の講師とここまで違いがあると、一日の学習量が変わってきてしまうのですが……」
「うるさい。俺には俺のプランがあんの。分かったらほら、一度みんな壁際に寄りな」
逃げるように塾生の正論を受け流し、時雨は手の平を振って塾生たちを壁際へ集める。
いい加減な人だと嫌悪感をあらわにする塾生もいるが、よく日中の鍛錬に付き合ってもらっている龍二に文句は言えない。
「さて、と……」
時雨は眠たそうな目で塾生たちを見回した。
基本的に摸擬戦は、講師が対戦する二人を指名する。
選ばれた二人は中央の、金術の呪具による六芒星に囲まれた内側に入ると、講師が結界を張り、外側の見物している塾生たちへ術が飛び火しないようにする。
戦闘は陰陽術を扱い、殺傷力のない武器の使用は自由だが、あくまで術比べによる勝敗が重視されるのだ。
龍二が緊張の面持ちでいると、時雨と目が合った。
「よし、まずは龍二、行け」
「え?」
まさか自分が指名されるとは思ってもみなかった龍二は、目を白黒させる。
彼に今扱える術などたかが知れている。それは時雨も承知のはずだ。
他の塾生たちも、龍二は無能という印象しか持っていないだけにざわついている。
「ほら龍二、呆けてないで行った行った。んで、対戦相手は……希望者いるか?」
投げやりな時雨の言葉に、歩き出していた龍二はため息を吐いた。
なるほど時雨らしいと納得してしまう。
彼は対戦する塾生を選ぶことすら面倒だったのだ。
だから最弱の龍二を指名し、後は誰かが彼を瞬殺するのを待って、早めに摸擬戦を終わらせようとしているのだろう。
龍二は初めての摸擬戦で、緊張に顔を強張らせているというのに。
「……あれ? いないか?」
しかし、龍二が六芒星の内側に入っても未だに立候補者は出てこなかった。
そもそも普段から落ちこぼれの龍二と関わろうとする者がいないのだから、あえて練習にもならない龍二と摸擬戦をしたところで意味はない。
これは時雨の痛恨のミスだ。
桃華も周囲の塾生たちを見回しながら、不安そうな表情でそわそわしている。
このままでは彼女が立候補して、時間切れまで摸擬戦を引っ張るといった茶番に出ないか心配だ。
時雨もそろそろ龍二を戻らせようかと、肩を落として振り向いたそのとき、声を上げた男子塾生がいた。
「俺がやります」
「お? 遠野か、よく申し出てくれた。それじゃあ存分にやってくれ」
「もちろんです」
龍二との摸擬戦を買って出たのは、遠野大樹。
短髪で背が高く大柄の青年で、陰陽師というよりはスポーツ選手が向いていそうな体格だ。
しかし陰陽術の実力は、これまで摸擬戦を見てきた中でもトップクラスだと龍二は認識している。
桃華もハラハラしながら時雨を見やり、龍二もこれでは話にならないのではないかと時雨へ視線を送るが、彼は目が合うと不敵な笑みを浮かべた。
それはまるで、「お前なら勝てる」とでも言っているような自信溢れる眼差し。
龍二は気を落ち着かせるように拳を握ると、目の前に立った遠野を見た。
「よぉ、鬼屋敷。これが初めての摸擬戦だな」
「あ? あぁ」
「それは気の毒だな。けど、容赦はしないぞ」
遠野とは話すのも初めてだったが、あまり仲良くできそうにない。
言葉はまだ当たり障りないが、彼の向けてくる険しい視線には、明らかな侮蔑と嫌悪感が混じっていた。
まるでなにかの怨みでも買ったかのようだ。
龍二が困惑しているうちに、時雨が端の棒の前に立って告げる。
「よし、二人とも準備はいいな? じゃあ離れて――摸擬戦開始!」
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