恋と知った冬 キムチ鍋
「ほんとーに、申し訳ないっ!」
LINEで家族からの総攻撃でも浴びたのだろう。
帰国した瑛美は、その足で事務所まで来て、オレを捕まえると五体投地の勢いで謝ってきた。
「謝ってほしい事例がありすぎて、なんの謝罪かわかんねえよ」
ヤツなりに「直接謝罪せねば!」とビビったんだろうか。
事前に連絡をよこせば、成田まで迎えに行ってやったのに。
「いやー。うちの親とか、祖父母とか、姉ちゃんずとか、愛しの甥姪たちが、よってたかってあたしとの結婚を迫ったんだって?」
「結婚? つきあってるって話が、知らぬ間に熟成されてねえ? まあ、オレがどうじゃなくて、年の近い彼氏を作って欲しいだけだろ」
「それは無理! おっさんしか無理! ノーモア若造!」
ほんと、こいつブレねえな。
仕事より家庭を優先してほしいお年頃の40代独身と、結婚しても仕事のペースを落としたくないコイツの需要って、恋愛市場的に釣り合いがとれてねえ気がするけど。
「それはいーから、今からうちに来ねえ?」
気がついたら、自然に口にしていた。
「あんたんちに? なんで?」
事務所の前で出待ちしてたんじゃなくて、出入り口が見えるカフェでコーヒーでも飲んでた感じだ。
吐く息が白くて、コーヒーのにおいがする。
「お前の家族に白菜持たされた。でかいの4つも。すまんと思うなら、消費を手伝ってくれ」
「うわあ、重ね重ねごめん! イケメンが白菜持って新幹線から降りるとか、うぷぷ。罰ゲームが過ぎたわね!」
「新幹線で2時間の距離を移動させる奴が、1番大概だけどな?」
言いながら、ピンク色のスーツケースをぶんどった。
2泊3日で衣装は会社持ちの仕事なのに、何でこんなに重いんだろう。女の荷物ってホントにナゾだ。
「白菜っていったらキムチ鍋かな。ねえ、おもちとチーズいれていい?」
「白菜消費したいのに、重いもん混ぜるなよ」
「えー。でもキムチ鍋たべたーい! スーツケースの中に、韓国で買った鍋のもと? みたいなの入ってるし!」
「……いーけど」
「やったー! 足りないものは、スーパーで買おうね!」
ひたすら呑気にはしゃぐ瑛美。コイツ本気でオレを男だと思ってないな? と、確信した。
久々にもとの飼い主に再会したベル子は、キャットタワーのてっぺんからチラッと見下ろしただけで、さっさと視線をそらした。
「すごい! 腹黒イケメン城が、猫の楽園になってる!」
猫の楽園て。確かに。
リビングには、素材が違うキャットタワーがふたつ。猫の寝床とトイレがふたつ。爪とぎや猫草の鉢植えがちらほら。おもちゃなんかを入れた籠の横には、猫毛掃除グッズがスタンバイしている。
「どんだけ貢いでんの? 腹黒原って、意外に猫バカだよね。動画の更新もマメだし、撮り方可愛いし。よかったねーベル子?」
話しかけられたベル子は、めんどくさそうに立ち上がり、背を向けて丸まってしまった。
「きな粉玉みたい!後ろ姿も可愛いー! ベル子ー!ベルベル様ー!」
こいつは猫バカじゃなくて、ただのバカだな。
鍋は、オレがつくった。
食堂の娘だからそれなりに料理ができると思ったら、包丁を握る姿勢に嫌な予感を覚えて、キッチンから追い出した。
こいつは、野菜の白い部分と青い部分を分けずに火にかけるタイプだ。
「そんな丁寧に切る必要、ある?」
「オレは料理が上手くないって自覚してるから、基本に忠実なだけ。お前は慣れてないくせに大雑把だろ?」
「決めつけんな。当たってるけど。上京してからは、ずっと瞳子姉ちゃんのご飯食べてたんだもーん。あ、でも、チャーハンくらい作れるよ?」
「やけに歯応えのある人参や玉ねぎと、半分焦げてんのが混在してねえ?」
「なんでわかるの? エスパー? どSパー?」
ヤツはダイニングの椅子の、背もたれを抱くように座って、本当にどうでも良いことを、ベラベラ喋り続けている。
行儀は最悪だけど、多分こいつは実家にいたときも、瞳子さんと暮らしていた時も、……彼氏といる時も、この体勢で料理を作る相手に話しかけてきたんだろうな。
瑛美の声は、内容がアレでも耳に優しい。
アテレコ時みたいな萌えボイスじゃないけど、聞いているだけでなんとなく和む声質である。
手伝わないことを許されてきたのは、末っ子だからと、この声がリラクゼーションになるから?
「ねえ、大根とさつまいもも、もらったの?」
「白菜を押し付けた相手から、押し付けかえされた。中信越と東北出身はヤバイな。味噌ももらったよ。旨いし日持ちするからありがたいけど」
「うちの地元の味噌も、おいしいよ?」
「黒すぎてムリ」
「えー!信じられないー!」
言いたいことを言いつつ、洗い物だけは絶妙なタイミングでこなしてくれる。テーブルセットも。
ほんと、空気をよく読む末っ子だ。
ちなみに、オレは中間子の長男。年子の姉と、大学生の弟がいる。
そういえば、瞳子さんが「若い頃は、姉が何をしてもムカついてケンカばかりしてたの。瑛美は逆に、何をしても可愛いかったわ」と言ってたけど、確かに姉ちゃんてムカつく。
弟はアホでチャラいけど、可愛い。末っ子って、得だな。
キムチ鍋に餅やらチーズやらトマトやらを入れる趣味はなかったけど、半信半疑で試してみたら、案外旨くてびっくりした。
自分の手柄みたいにドヤ顔されると、ムカつくけど。
瞳子さんが作ったのを、見てただけだろーが。
車で送るつもりだから酒は出さなかったけど、飲んでも飲まなくても、こいつあんまりノリが変わらないな。
時計の針が21時を回る頃、ふと会話が途切れた。
なんとなくコーヒーの準備を始めると、瑛美は鍋をガスコンロに移してテーブルの上を拭き始めた。
「なんか、新婚みたいだな」
なんとなく感想を口にすると、今更警戒したみたいに絶句された。
「嫁が相手だったら、ビール飲んでたけど」
「別に飲んでよかったのに。電車があるうちに帰るし」
いやいや。逃げ道を与えた瞬間から、無防備が過ぎるだろ。
一緒に宅飲みする女なら、朝まで帰さないぞ。さすがに。
「いや、送るよ。ガソリン入れたいから」
「えー。腹黒原が優しくて、なんか気味が悪い」
「そうか? 割といつも通りだろ。誰に対してもってわけじゃないけど、少なくともお前に対しては」
丸い目がますます丸くなったけど、ここにくるまでに何も感じなかったわけはないよな?
追求する気は、なかっただろうけど。
台拭きを持ったままの手に、自分の手を重ねた。思っていたより、細いし柔らかい。
驚きすぎたか、オレと似たような心境に思い当ったか、強めに掴んでも振り払われはしなかった。
もう片方の手で肩を抱こうとした瞬間、携帯が鳴った。
着信音が鳴り響く中、視線が絡みあう。
瞳の色、薄いな。オレの方が薄いか。似たようなもんか。
「社長さんじゃない? 電話、出ないと」
「ああ」
反射的に身をかわされた。恐怖感や嫌悪感の色はなさそうだ。戸惑ってはいるみたいだけど。
通話をオンにすると、テンション高すぎる社長が叫んだ。耳がキーンとなる。
「りゅーすけー! やったぞ!喜べ!」
気を遣った瑛美が、帰り支度をはじめた。
このタイミング逃すと、いろいろ言いにくいんだけど? と若干イラッときたが、社長の言葉に全部上書きされた。
「アメリカのW社から、長編アニメ映画と、連動で発売されるゲームのオファーが来た! 準主役だぞ!」
バカでかい声が、携帯から漏れる。瑛美が「おめでとう!」ってメモ書きの画面を見せてきた。
「社長、事務所開いてます? 事務所か社長宅に、1時間後に伺います」
「おう、来てくれ! あと、女がいたら切るか、結婚を決めてきな? 向こう3年はアメリカ住まいだからね。お前のレギュラー仕事を調整して、出発はさ来月末くらいになりそうだよ」
このタイミングでそれ、言うかよ?
オレは社長というより、瑛美の顔を見て断言した。
「まずは、猫の里親を見つけますけどね。とにかく、そちらに向かいます」
上着をまとい、車の鍵をポケットにつっこんでピンクのスーツケースを掴んだ。
「先に送るよ。高円寺だよな?」
「え! だめだよ。すぐに事務所に行きなよ!」
「事故や痴漢に遭ったら、せいせい渡米できなくなるだろうが。ベル子の今後も話したいし」
有無を言わさず視線を合わせると、戸惑った眼差しを伏せて「……わかった」と呟いた。