桜月夜
マネージャー暴走事件から2年。
社長から真偽を問われた彼女は、担当を外されるまでもなく、事務所に顔を出さなくなった。
言い訳してもしゃあないと腹をくくって仕事やオーデに臨んだけど、それが結果に影響することはなかった……と、思う。
社長いわく、キャリアがものをいったらしい。
残念な美女が、お節介をやいてくれた気が、しないでもないが。なんとなく。探りを入れると、はぐらかされるけど。
結論からいうと、悪役やダークヒーローが増えた。
悪役やダークヒーローにしても、王子だったり魔王だったりするわけだけど。
ようするに、偉そうな声質なんだろな。自覚は、ある。
来宮瑛美は、少女マンガ原作のアニメや乙女ゲーム、幼児アニメやアイドルもの、と、この2年でヒロイン枠のレギュラーを着実に増やしている。
実態は日本酒とオッサンを愛する無念な人だけど、顔と声だけは相変わらず。ムカつくが、抜群にかわいい。
幼児誌から要求されたアホっぽいコスプレを辞さないあたり、根性もある。さすがもとアイドル。
アニメだろうがゲームだろうが司会業やアテレコだろうが、新人声優は3年目からが勝負になる。
デビューから3年間はギャラが一律だから、比較的誰でも仕事がある。
自動的にギャラが上がった時、この業界に残れるか否かが決まるといっても過言じゃない。
年齢的にも、元アイドルのアドバンテージが使えなくなるのも、その頃だろう。
でも、ヤツなら大丈夫だろう。
むしろ、ギャラが上がってからの方が、真骨頂な予感がする。
容姿が容姿だから、事務所からしたらアイドルにしがみつかせたかっただろうに。転身させたヤツ、誰だろう。すごいな。
ヤツの成長と活躍に比例して、共演作が増えてきた。
収録時期はそれなりに連絡をとり、それ以外は音沙汰なし、という、実にあっさりした交友が続いている。
誰といても楽しそうで、どんな仕事も真面目に取り組む、イケオジに遭遇するとだらしなく頬が緩む、気楽で愉快な同業者ーーという関係が少しだけ崩れたのは、出会って2度目の春だった。
散り際の桜が、やたら風に舞う宵の口だった。
風が暖かくて、夕月が綺麗だった。
ヤツの趣味のひとつに、大学野球観戦がある。
高校野球でもプロ野球でもなく、大学野球。
仕事柄、球場に足を運ぶ時間はあまりないけど、携帯チェックは欠かさないらしい。
いろんな現場で「ほんとオヤジくさいよね?」とからかわれては「それは褒め言葉よ?」と笑う彼女を、その時だけはオヤジくさいと思わなかった。
なんか、フツーの女の子に見えた。
いつかの自転車置き場で、携帯を片手にニヤニヤしていたから、出来心でからかってしまった。
「M大、ノーヒットノーランだって?」
パッと顔を上げた彼女の髪に、散り際の桜が降る。
今まで見たことがないくらい、隙だらけのビックリ顔だ。
灯ったばかりの街灯に照らされて、髪の先がピンクゴールドに見えた。地毛らしいが、真偽の程はわからん。
「エースの二ノ宮って、同じ高校なんだよな?」
「なんで?」
「二ノ宮が投げて勝った時だけ、顔が乙女だから。お前にも、ヒロイン要素があったんだなって納得しただけ」
正直、んな観察してない。
かまをかけただけだ。
「は?」
傾げた首が、頬が、真っ青になった。
怒るか、赤くなると思ったのに。なんで青?
なぜだか、時が止まったみたいに見つめ合ってしまった。
ヤツの中の、踏み込んではいけない領域に、異物として入りこんでしまったのだろうか。
やがて、戦意を失ったみたいに小さなため息をついた。
ゆるくカールした髪に、季節外れのマフラーに、花びらが降り続けている。
「親友が、つきあってた人だよ」
「ふぅん。別れたなら、アプローチしてもいいんじゃね? 惚れてんだろ?」
「心底応援してるけど、会いたくはないんだ。今は、まだ。会いに行こうって誘っちゃいそうだから」
「は?」
彼女はふわりと笑って、夕焼けの残像が残る西空を見上げた。
逢魔時、というのだろうか。
細い体がそのまま闇に消えてしまいそうな錯覚をおぼえて、キーンと耳鳴りがした。
「私の親友……二ノ宮の彼女、ね。高3の春に死んだの。あんたのファンだったんだ。あんたってゆーか、フレデリック王子の声の」
「能天気で図々しい来宮瑛美」の中にある昏い傷痕を、暴くつもりなんか全然なかった。
お前の本命、全然オヤジじゃないじゃん。
性格良さげなスポーツマンじゃん。
健全すぎて吹いたわ。ま、頑張れよ? って、軽口叩くつもりでいただけなのに。
まさに、花底の蛇だ。
触れてはいけなかった。
だけど、こいつをひとりにしたらいけない。
こういう勘だけは、やたら当たるから不思議だ。
「……腹減った。焼き鳥おごるから、付き合え」
「はい? なんで?」
明るい瑛美には似つかわしくない昏い影が、表情から消えた。
「去年、マネージャーの件で、愚痴きいてくれた礼だよ。どーせお前、誰かにぶっちゃけるとかしてねーんだろ? 話せよ。楽になるから」
こんな時、オレが演じてきた王子たちは、ヒロインになんて言うんだろうな?
つきあった女たちには、「思ってたのと違う」ってフラれてきたから、よくわかんねえや。
瑛美には「ツンデレ王子かよw」ってつっこまれたけど。
まあ、いっか。
青ざめた顔で、両目を見開かれるよりは。
高校時代の恋は、まあ、たいがい甘しょっぱい思い出に分類されがちだ。
でも、ヤツの打ち明け話は、話すトーンだけ甘口の純米吟醸酒みたいにマイルドで、振ったやつと振られたヤツがガチで協力しても歯が立たないくらい重たかった。
「私、アイドルの頃は女の子のファンてあんまいなくてさ。親友は、数少ない私のファンだったんだ。新曲を配信した次の日には、耳コピでピアノを弾きこなすくらい、ガチで応援してくれてた。1人で会うのは緊張するからって二ノ宮をダシに声をかけてくれたの。二ノ宮は親友……ありあに会いたいから、私をダシにしたんだけどネ」
制服を着ていた日々に想いを馳せる横顔は、その当時よりも幼い女の子みたいに見えた。
ネギマの串をくるくるする細い指先は、大人の女性なのに。
「その頃にはあの子、余命宣告されててね。生きてるうちに私と話したかったんだって。もう親友になるしかないじゃんね? 同じ男に惚れたのは事実だけど、そいつがありあに惚れてたら、けしかける一択でしょ?」
「掠奪しそーな見た目で、義理堅いヤツ……」
「あんたが言うな。そりゃ、二ノ宮が少しでも私になびいてたら、遠慮しなかったよ? けどなー。あれは、爽やか球児を絵に描いたような好青年でねー。球筋と同じくらい恋愛もストレートでねえ。ありあも、高3で初恋ってマジかよってうぶさでねえ。もー眩しくて眩しくて。目がー目がー」
「ラピュ◯の光に浄化されたか?」
「否定できないw」
まあ、なんつうか。
片思いだったけど、それをひっくるめて楽しかったみたいだ。
「あれから彼氏がいなかったわけじゃないし。二ノ宮に未練は無い。でも、ありあの死からは、立ち直ってない」
努めて平坦な口調。
焼き鳥の煙にかすむ、横顔と白い頬。
「私ね、お通夜もお葬式も、仕事で行けてないの。ちょうど卒業公演と重なってネ。ステージを休んじゃダメって、酷な遺言よね。きちんとお別れしてないからかなあ。全然受け入れてない。たまに、会いたくてたまんなくなる」
表情を変えずに聞いてるつもりだったけど、こっちの動揺を察したんだろうか?
「ん? まだ100年くらい行かないよ?」
「寿命長いな」
「でも、二ノ宮に会ったら、我慢できる自信がない。共有した思い出が大きすぎるの。真っ当なヤツだから、あたしなんかに引きずられはしないと思うけど。それでも、確実にやな思いさせちゃうから」
「ふーん。受け止めてくれそうってことか」
「さあ、どーだろ」
なんだろ。強い酒が無性に飲みたくなってきた。
こーゆー時は、絶対に酔えないのに。
おもわず、緩くカールした髪を地肌から掴んでしまった。
ガシガシ撫でたら、心底ウザそうな顔をされた。
何こいつ、猫みたい。
「ま、そーゆー話は、絶対テメーの傷にしない系のヒトデナシにぶつけとけ?」
「あんたみたいな?」
「そ。心中なんかしてやらねーから。気楽だろ?」
「……そだね。あんがと」
案外、ふつーの顔で礼を言われた。
ヤツの矜恃なのか、甘えたくなかったのかは、わからない。
こっちからも、それ以上は踏み込まなかった。
酒豪。おっさんゴリラ。見た目詐欺。
ヤツの二つ名は、男を萎えさせるパワーワードばっかだけど、この日の彼女は幼さが危うくて、やたら無防備で、傷ついて見えた。
うまく雰囲気にのせれば、ヤレたよーな気がしないでもない。
けど、それをしたら、2度とオレに本音を言わなくなる気がした。
オレだけならいーけど、誰にも言えなくなったら?
それってーーー人殺しみたいなもんじゃないだろうか。
セックスはストレス解消になるけど、やり方によっては簡単に心を殺せる。ヤツは間違っても処女じゃないだろうし、本人曰く肉食だけど、不適切なタイミングで不適切な男と関係しても、ストレス解消どころか傷つくだけだろう。
たまにムカつくけど、本気で痛めつけたいわけじゃないし。
クランクアップしてない共演作も、ふたつみっつあるし。
以来、ヤツは、ごくたまーに親友の話をするようになった。オレは「ふーん」て、聞いてるだけ。
これで自分たちが特別な関係になったかってゆーと、全然そんなことはなく。
かといって疎遠にもならず。
拾った猫を押し付けられたり、役の解釈で大喧嘩したり、仲裁メンバーがカラオケに連れ出してくれたり、点数を競ったり、どちらかに恋人ができた時は個人的な連絡を控えたりする、同業者らしい付き合いが何年も続いた。
飲み比べで負けて、ヤツの故郷を訪れる羽目にあうまで、ずっと。