再会の秋 夜の銀杏
『店の外に誘導したよ。頑張ってネ』
瞳子さんからの通知を受けて、車のエンジンを切った。
外に出ると、突風にジャケットの裾が酷く揺れた。
暖冬とはいえ、11月も末になると陽が落ちてからが寒い。
風に吹かれてくるくると舞う黄葉の向こうで、目をまん丸くした女が立ちつくしている。
2年前より、少し痩せただろうか。
「……リュウ?」
本名か芸名か微妙な呼び方が、自然に定着してなにより。
それより、薄手のカットソー1枚じゃ寒そうだ。オレのジャケットを羽織らせている間、瑛美は何度も何度も瞬きをくりかえしている。
「なんで……いるの?」
「3年間、1度も帰国しないなんて言ってねーし」
「帰ってくるとも聞いてない!」
「ん。今回は急に決まったんだ。これから半年は、宣伝やイベントで日本とアメリカを往復することになる。ついでに来年以降からはじまるアニメのオーデもいくつか受けてきた」
「なら、他県までドライブに来てる場合じゃないよね?」
「仕方ねえだろ。会いたかったんだから」
「……」
「ベル子に」
ハラハラと散る銀杏の葉が、駐車場脇のガス燈に照らされてキラキラ輝いて見える。
瑛美は、ちょっと拍子抜けしたみたいで口を尖らせた。
「……わかるけど。なんで実家にいること、知ってるの?」
「瞳子さんに聞いた」
「はあ?! あんたと瞳子姉ちゃん、グルかよ!」
「2年前にLINE交換して以来、今日はじめて連絡したんだけど?」
と、証拠のアカウントを見せてやった。
「マンションに行ったら、お前はともかく、ベル子がいねーし。お前には携帯繋がらねーし。どうせ充電器忘れたくせに新幹線で遊びすぎて、電源切れたんだろ?」
「OKよ。それって信じられないと思う? でも、本当によくあることなの。そうね。ドSの腹黒オーラからの逃走ってことでどう?」
「外人がやってるテレビショッピングかよ」
zoomとかでそれなりに連絡は取ってきたけど。
なんでこんなに、いつも通りすぎるんだろ?
この2年半の間、殆ど口説いてないからだろうか。
「好きな男ができたら、ベル子の世話はしなくていい。他の猫仲間にまかせるから」って言ったせいか?
物理的にはどうしたって距離があるから、友達とか、恋人とか、この関係に名前をつけないほうが、瑛美を追い詰めないような気はしていた。
それでいて、恋人以上嫁未満な役割を押し付けてきたオレは、確かに腹黒なのかもしれない。
「会いたかった」
細い体を正面から抱きしめたら、案の定、腕の中でシダバタされた。
「ちょっ……離してよ!」
誰が離すか。肩の動きを押さえ込むようにして、さらに強く強く抱きしめる。
「無理。今さら無理。こんなに長い時間、待っててくれた女なんか、もう手放せねー」
「待ってないし!」
背をかがめて白い頬を両手で包むと、今にも溢れそうなほどの涙目だ。
近づけた唇を回避して、額と両頬にキスをすると、ほっとしたように小さく息を吐いた。ーーーので、やっぱり唇も奪った。
「違、りゅー…や、だ……っ!」
抗議の言葉を、紡ごうとするたびに唇で封じた。
何度もくりかえし、角度を変え、やがて咥内に舌をねじこむと、必死に押し返してくる。まるっきり逆効果で、自ら舌をからめているのと変わらない。
徐々に観念して、抵抗がなくなってゆく。受け入れはじめた舌の柔らかさが、動きが、やたら艶かしい。
……ていうか、めちゃくちゃ上手くねえか?!
やがて、どちらからともなく唇を離すと、瑛美は悪戯がバレたネコみたいに視線をそらした。
「い、いろいろ返事しなくちゃダメ? 今? このタイミングで?」
唇を隠すように指を当て、困ったように呟く瑛美。
「プロポーズまであと半年あるんだから、好きにジタバタしたら?」
「なんでそんなに自信満々なわけ?! どこから湧くの?!その自信」
そりゃ、久しぶりに帰った自宅を見たから。
オレがいつ帰ってきても困らないよう、洗面所に用意されてた新品の歯ブラシとか、髭剃りの刃だとか。
買い足したと思われる食器が、偶数枚あるだとか。
例えば、先が欠けた箸の奥に新品が買い足してある。古いものを許可なく捨てない。
きちんと仕分けされた郵便物や、もろもろの書類。
猫と女のにおいがするあの部屋を見たら、自惚れない方がどうかしてる。
瑛美はたぶん、自分で思っているよりも。
もう一度唇を重ねると、今度は最初から受け入れてくれた。肌の露出してる部分を、余すところなく紅潮させながら。
「な……なんで、私かなあ? あなた、女の家族にけしかけられてその気になるほど、モテなくないよね?」
「まあ、普通はウザくなるわな」
「だよね!」
「2年前に、お前の家族に理解度が半端ないって言われて、あれ? って思ったんだよ。よく考えてみたら、オレもお前以外の女には、あんま本音を言ってなかったなあって。お前ってオレに王子キャラを求めないから、言いやすいんだろうな」
「ほんとにそんな理由だったとは……」
「そんな理由だよ。見た目も好みだけど」
「超かわいいし?」
「否定はしない」
「お願いだから、そこはつっこんで!」
「自覚してる事実だろ」
キャンキャンわめく瑛美から身を離して、ガス燈に照らされる銀杏に近づく。
オレが王子役で瑛美が侍女役だった、アニメ「エイミと白い花」のラストシーンに描かれた大木。
コンクリートの駐車場で頑強な根をはる巨木は、聖地巡礼にふさわしい荘厳さだ。近くてみれば見るほど、枝振りのみごとさ、大量の落ち葉に圧倒される。
まるで、この駐車場だけ金色の雪が積もっているみたいだ。
この巨木は、来宮家の人々と「猫の目食堂」見守ってきた氏神みたいな存在なのだろうか。
「……神社の神木みたいだ」
「でしょ? まさか本当に採用されるとは思わなかったけど」
魅入られたように呟いたら、いつのまにか瑛美が隣に並んでいた。
こちらから迫ると逃げ腰なくせに、手放すと寄ってくると。ほんと、猫みたいだ。
「リメイク版でも再現しようって案もあったけど。アニメとゲームは別ものだしな」
「ゲームはマルチルートだけど、アニメは超モテモテなフレデリックルートだもんね」
「まあ、ユーザーアンケートでは、フレデリックルートがダントツで、2番人気がハーレムルートだからなあ。そうなるわな」
「私は先生一択だから、ゲームの方が好きだけどね」
「おっさん好きが、ブレねえな」
「うん。先生は独身だから、純愛って感じするじゃん? 昔、二ノ宮がつっこんでたんだけどさ、フレデリック王子の婚約者がエイミに意地悪すんのは、ダメだけどわかんなくはない。男が悪いって。婚約者を横からブン取られるなんて、新人ルーキーにドラフトを総ざらいされるような悔しさだろうって、例えがわかりにくくない?」
「いや、この上なくわかりやすいけど。しっかし、すげーな。乙女ゲームをやりこんで、そこまでメインヒーローを考察する野球少年て」
「妬いてただけでしょ。愛しい彼女が、イケメンなイケボイスにきゃーきゃーいってたから」
「中の人は、そのもと野球少年に妬いてるんだけどな? 因果なもんだな」
「あたしが片思いしてたの、10年も前だよ? いまさら? めっちゃ過去じゃん!」
「お前って、意外に男を見る目があるんだよな。相手がおっさんでも、野球少年でも。ハラたつったら」
瑛美は、パチパチと瞬きをして「?」と首を傾げた。自覚しろよ。こんちくしょう。
その野球少年に「男が悪い」とバッサリやられたフレデリック王子を演じた当時、オレはまだ高校生だった。
無名だったオレの出世作だ。
あの作品を愛してくれた少女の遺言で、瑛美はアイドルから声優に転身した。数年後、リメイク版でヒロイン役を演じることになったんだから、これも縁だろう。
「野々宮ありあに、感謝してる」
ガス燈に照らされる梢を見上げながら、闇夜に祈りをささげる。瑛美が彼女を失って、もうすぐ10年が経つ。
「彼女のおかげで、沢山のファンがお前に出会えた。たくさんの作品が世に出た。でもそれは、彼女の死と引き換えに得た名誉じゃない。きっかけを与えられたお前が、自身の努力で引き寄せた結果だ」
「……」
「オレのことは振ってもいーけど。かといって簡単に諦めてはやらねーけど。今言ったことだけは、忘れないでほしい」
振り返ると、瑛美も金色の梢を見上げていた。
大輪の葉の中から、特別な1枚を探しているかのように。
「ねえ。うちらって、エイミの収録の時期が、人生で1番喧嘩したよね?」
「ああ」
「あの時は、こん畜生って思ったけど。厳しくしてくれたリュウに感謝してる。瞳子姉ちゃんのこと、考えすぎずにすんだし。なにより、ありあとの思い出に引きずられたまま役に挑まなくてよかった。ありあが大好きだった世界に泥を塗るとこだったよ。ありがとね」
白い頬に、透明な雫が溢れおちた。
いく筋も、いく筋も。それを拭う細い指が、ガス燈の灯りで煌めいて見えた。
「ありあに、会いたい。私が声をあてた作品、全部見せたい」
「ああ」
「10年前も今も、誰よりもあの子を愛しているの。あなたよりも。こんな私に、本気でプロポーズするの?」
「それを言わずに別れた歴代の彼氏たちに、心ん中で謝っとけ。男がまっとうならまっとうなだけ、本音を聞きたかったんじゃねえの?」
「……そうなの?」
「オレに関してはノーカンだけど。惚れる前から知ってたから。」
柔らかな髪をくしゃっと撫でて、濡れた指や頬に口づけを捧げた。瑛美は泣き笑いで俯いて、オレのセーターの裾をちょんと掴んだ。そして、そのままその場で泣き崩れた。
親友の死。
愛して結ばれなかった男たち。
仕事。
姉の病気と回復。
「瑛美」
しゃくりあげながらも、声は拾ってくれてるみたいだ。全身で次の言葉を待ってくれた。
「半年後、本気でプロポーズするから」
「……」
「頷けよ?」
「い……今してるのと、変わらないじゃん」
それこそ、今すぐ承諾するって宣言してるのと変わらないけど?
「いや、変わるよ。受けてくれたら抱くから。遠慮なく、ゴムなしで」
「えーー?! そ、そういう話だったの?!」
首まで赤いし。目が泳ぎまくりだし。
肉食を自称する割に、純情なヤツだな。
でも、少しだけ、ほんの少しだけ、瑛美の中で止まっていた時間が動きはじめて、オレの存在とか必要性を認識したような気がした。手ごたえがあった。




