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猫の目食堂  作者: 芳野みかん
瞳子 AGAIN
11/14

再生の秋 姉妹酒

瑛美には、炊事場の床を濡らさないで洗い物をするスキルは、ついていないらしい。

拭き掃除してくれるとはいえ、なんだかなあ。

みんなして甘やかしたせいかな。この子の雑務能力は「微妙」だ。できなくはないんだけど、ギリギリ合格なんだけど、微妙。

あ、泡が跳ねた。

中3と高1の姪の方が手際が良いっていったい。


でも、裏方としてはアレだけど、ウエイトレスとしては優秀だ。

この子が「いらっしゃいませ」って笑うだけで、お店の空気がパーッと明るくなる。

たまたま訪れたオタクさんたちが、「えいみゃんのエプロン姿、尊い!」って、号泣していたし。

そりゃ、人気声優の実家に聖地巡礼に来て、本人からご注文聞かれたら、感極まるわ。

瑛美の動向に我関せずなのは、本日看板娘の座を明け渡したヒトミだけだ。


「ヒトミちゃん、ますますおばあちゃんになったね」


「うん。これなら、ベル子に喧嘩売る心配ないわね」


照明を落としたカウンターで、瑛美が買ってきてくれたサングリアを開けた。

クリスタルグラスに注ぐと、瑛美は「瞳子姉ちゃん、飲酒解禁おめでとう」と目を細めた。

間接照明の光を受けた髪が、ピンクゴールド輝いている。

この子は、生まれつき肌や目や髪の色素が薄い。緩くカールした髪も天然で、染めたこともパーマをかけたこともないらしい。

本当に、少女漫画から抜け出したみたいに綺麗な子だ。


「飲兵衛のお姉ちゃんがお酒禁止とか、拷問だったでしょ? 冴俊くんは下戸なんだよね? 一緒に飲むときは、ぶりっ子しとけよんww」


……て、喋ると台無しなんだけど。


「ねえ。ベル子って龍生くんに預けてるでしょ?」


瑛美のマシンガントークが始まる前に会話の主導権を握ると、瑛美はちょっとだけ目を丸くして「そうだけど」と頷いた。


「それで王子様みたいになったのネ。ペットは飼い主に似るなあ。ねえ、ヒトミ?」 


若い頃のヒトミは、たいそうやんちゃでトンガっていて、ヤンキーだった頃のお姉ちゃんにそっくりだった。

今はどちらも足を洗って、それぞれ食堂を盛り立てている。うん、ほんとよく似てる。


「いやいや、今は私が面倒見てるから、私に似て超かわいいんだよ? あいつに似たら、もっと腹黒よ?」


ちょっとピッチが早い飲みっぷりを見て見ぬふりをしつつ、「自惚れない!」と、デコピンしてやった。

瑛美はしばらくの間、自分と四つ足に共通するかわいさについて語り始めた。私は、一緒に住んでいた頃みたいに、ウンウンと相槌をうつ。

なんでかな。会話の内容はアレなのに、この子の声は昔から耳に優しい。こころがほっこりとする。


しばらく好きに喋っていたけど、なにか覚悟を決めたのだろうか。急に真顔になった。


「瞳子姉ちゃん」


「なあに?」


「今から言うこと、お母さんやお姉ちゃんには内緒にしてくれる? 冴俊さんはいいけど」


「いいけど」


「ベル子ね、黒原龍生のマンションで飼ってるの」


「ふーん」


「驚かないの?」


「同棲してるって言われたって、違和感ないけど?」


それより、それを瑛美が打ち明けてきたことの方がびっくりだ。

びっくりすると声が出なくなる私を、冷静な次女だとでも思ってくれているのだろうか。ちょっと安心したみたいに眉を下げている。


「ちょっとややこしいことになってるんだけど。ベル子の世話をするために、あいつのマンションに通ってるの。同棲してるわけでも、つきあってるわけでもなくて」


「はあ。なんかよくわかんない状況ね」


「今、あいつ、海外で仕事してんの。ベル子はすっかりあの家の子になっちゃったから、今更よそにやれないから、押しつけた私が面倒見ろって。そーゆー話なのよ」


えーっと。


海外で仕事している間、ネコの世話と部屋の管理を頼まれるって。引き受けるって。


「瑛美は、ベル子の世話だけしてるの? 郵便物とか、車の維持とか車検とか保険とか、もろもろあるよね? そこら辺は放置?」


「う」


「なるほど。確定申告も?」


「あー、それ! マネさんの仕事のはずなのに、おかしいよね?」


「うん。おかしい。年収知ってて、資産まで管理してるのに、つきあってないって無理がありすぎる。私だって、冴俊くんの年収なんか、ざっくりとしか知らないわよ?」


「……」


沈黙は、雄弁な肯定、か。

私は、2本目の栓を抜いて、新しいグラスに酒精を注いだ。

スパークリング日本酒って、そそられる響きだわ。


「いつから?」


「2年前の春、かな?」


「自分のアパートより、彼のマンションにいる時間の方が長そうだね」


「あ」


いやいや。今、気がついたって顔されても。

瑛美は自他とも認めるおっさん好きで、若い男の子には目がいかない子だ。

過去に紹介された男はみんな40歳以上だったし、お父さんより年上の男性さえいた。

それでいて、不思議に変な人や悪い人はいなかった。不倫もない。この年代の独身で、よくこんな真っ当な男性を見つけてくるなあと感心するくらい。

この子の感覚だと、龍生くんは若過ぎるのかしら。


「龍生くんにしても、なんとも思ってない女の子に、そんなこと頼まないよね?」


「や、なんか、実家に頼るのはちょっとアレみたいで」


「だとしても、お金を払って外注すればすむことを、あえて瑛美にお願いしたんだよね? 瑛美だって、一緒に住んでたときは事務的な家事を全部私に押し付けてたのに、彼のお願いを引き受けたんだよね?」


「えーっと……」


柔らかいライトの下で赤くなった顔をからかえば、きっとお酒のせいにするだろう。

でも、あんたってアルコールには酔わない女よね。お姉ちゃんは騙されないよ?


「告白くらい、されてるんじゃないの?」


一日中つけっぱなしのエアコンが、ぶいーんと鳴った。


「……否定は、しない」


いつになく歯切れが悪い。理由なわからないけど、恋にストップをかけたくなる何かがあるのだろう。


瑛美はカウンターから離れて、ゆり椅子で寝ているヒトミを抱き上げて、特等席をぶんどった。

ヒトミは力なく「ぐー」と抗議してから、瑛美の胸に顔をフニフニして、また眠ってしまった。


「何。この美魔女、かわいすぎる」


長い尻尾を掴んでは、威嚇されて泣いていた子が、おばあちゃんになったヒトミを抱いて和んでいる。時の流れって、優しくて残酷だ。


「こんなこと言ったら引かれるだろーけど。若い男とつきあうの、懲りたんだよね。中2で」


「ん? 初彼は、中3のときの保険医じゃなかったの?」


「その前に1年上の先輩と付き合ってたの。全校生徒の前で告白されて、断ったらこの人ダメージすごいだろうなってOKして。でも、そこそこ楽しかったのよ。えっちするまでは」


……さすが、ヤンキーの孫で娘で妹。

いろいろ素早いな。


「10代男子なんて盛りのついたサルだから、当たり前っちゃー当たり前なんだけど、自分が気持ち良くなることしか考えないじゃん? こっちはもー、痛くて痛くて。ヤル度にキライになったんだよね」


「それは……まあ、よく聞く話だわね」


「その点、次に付き合った先生は優しかったから。若いのは無理だ!って刷り込まれちゃったのよねーw」


いやいや。そこからそっちに飛躍すんな。


「肉食を自認するくせ矛盾してるんだけど、ナシならないでも一緒にいてくれる男が、理想なの。だから、冴俊くんは私の中ではすっごいイケメン枠。だってお姉ちゃんが入院中に再会して、手術後にプロポーズでしょ? ずーっとヤレない相手を一途に好きってイケメンが過ぎるよね」


「いいでしょ。あげないわよ?」


「いらんわ。冴俊くんかカッコいいのは、お姉ちゃんの婚約者だからです」


近未来の義兄を、全肯定する義妹か。

冴俊くん目線でも、そーとー可愛いだろうな。あげないけど。


「だから、かな?」


「何が」


「若くてかっこいい人は面倒。好みがかぶるもん。先輩とつきあってた時、わりと頻繁にイヤガラセされたしさ。まあ、やり返したけど。別れてからは、周りがもう優しいのなんのって」


瑛美。それ、美人の宿命よ?

まあ、本人はいろいろと荒むだろうけど。


「おかげで、高校生になる頃にはすっかり人間不信よ? アイドルのくせに、オヤジ転がして遊んでたし。でもね、お姉ちゃんたちも、お墓参りしたんだよね? ありあの。ありあとその彼氏の命がけの純愛を目の当たりにしたらね、自分も真面目に恋したいって思うようにはなったの。でも、やっぱり年上しか対象に思えなくて」


「そっかー……」


いろいろ衝撃的なワードが飛び出したけど、追求はしないことにする。まあ、時効だし。

ヤンキーとアイドルに挟まれて育った私は、割と何を聞いても人生なんでもありで納得する傾向がある。


「黒原龍生は悪い人じゃない。同業者として尊敬もしてる。けど、あいつから声優「来宮瑛美」じゃない私自身を求められても、どうしていいかわかんない」


「ふぅん」


「あと、あいつモテすぎる。それも、思い込みの激しいタイプの女に。総合的にめんどくさい。会いたくて震えるとかないし。むしろ、地球の裏側にいてくれて、すっごく楽なの」


ヒトミに顔を埋める仕草が、小さな女の子みたいにあどけない。けど、困ったようにため息をつく横顔は、ドキッとするほど色っぽい。

可愛い妹にこんな顔をさせるなんて、龍生くんも隅におけないなあ。


「3年後に帰国だから、気持ちが変わらなかったらプロポーズするから。それまでベル子の世話をしながら悩んどけって投げ方、どう思う?」


「控えめにいって、のろけ?」


「いやいやいやいや。割と真剣に困ってるんだけど? あと半年で帰ってきちゃうし。つうか、私の意見、ガン無視だし。なんなのよ。オレ様? 王子様? 仕事なだけじゃん!」


「あ、多分、それだわ」


ポンと手を叩くと、きょとんとして顔を上げた。


「あなたたちが、お似合いだなーって思う理由」


「は?」


「瑛美が、彼が王子様なのは仕事だって、理解してるからじゃない? 彼もあなたのこと、ヒロイン役のイメージに当て嵌めないんじゃない?」


「えー?! そんな当たり前なことが?!」


だって、あの顔だもん。あの声だもん。

生きてるだけで、乙女と乙女だった女の子たちの、願望と妄想を煽りまくってるんだもん。「めんどくさい女」にモテるわけよね。


「瑛美。結婚はね、当たり前が噛み合う人とするのよ?」


「知らない。ちょっと酔いさましてくる」


ヒトミを丁寧にソファに戻して、ついに瑛美が逃げた。

乱暴に開かれた扉は、ベルの音を盛大に鳴らしながら閉じていった。


残された私は、スマホを手にLINEをたちあげる。


さ、お膳立てはしたわよ? 近未来の義弟くん。

この機会に、ちゃんと捕まえなさいね。



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