再生の秋 姉妹酒
瑛美には、炊事場の床を濡らさないで洗い物をするスキルは、ついていないらしい。
拭き掃除してくれるとはいえ、なんだかなあ。
みんなして甘やかしたせいかな。この子の雑務能力は「微妙」だ。できなくはないんだけど、ギリギリ合格なんだけど、微妙。
あ、泡が跳ねた。
中3と高1の姪の方が手際が良いっていったい。
でも、裏方としてはアレだけど、ウエイトレスとしては優秀だ。
この子が「いらっしゃいませ」って笑うだけで、お店の空気がパーッと明るくなる。
たまたま訪れたオタクさんたちが、「えいみゃんのエプロン姿、尊い!」って、号泣していたし。
そりゃ、人気声優の実家に聖地巡礼に来て、本人からご注文聞かれたら、感極まるわ。
瑛美の動向に我関せずなのは、本日看板娘の座を明け渡したヒトミだけだ。
「ヒトミちゃん、ますますおばあちゃんになったね」
「うん。これなら、ベル子に喧嘩売る心配ないわね」
照明を落としたカウンターで、瑛美が買ってきてくれたサングリアを開けた。
クリスタルグラスに注ぐと、瑛美は「瞳子姉ちゃん、飲酒解禁おめでとう」と目を細めた。
間接照明の光を受けた髪が、ピンクゴールド輝いている。
この子は、生まれつき肌や目や髪の色素が薄い。緩くカールした髪も天然で、染めたこともパーマをかけたこともないらしい。
本当に、少女漫画から抜け出したみたいに綺麗な子だ。
「飲兵衛のお姉ちゃんがお酒禁止とか、拷問だったでしょ? 冴俊くんは下戸なんだよね? 一緒に飲むときは、ぶりっ子しとけよんww」
……て、喋ると台無しなんだけど。
「ねえ。ベル子って龍生くんに預けてるでしょ?」
瑛美のマシンガントークが始まる前に会話の主導権を握ると、瑛美はちょっとだけ目を丸くして「そうだけど」と頷いた。
「それで王子様みたいになったのネ。ペットは飼い主に似るなあ。ねえ、ヒトミ?」
若い頃のヒトミは、たいそうやんちゃでトンガっていて、ヤンキーだった頃のお姉ちゃんにそっくりだった。
今はどちらも足を洗って、それぞれ食堂を盛り立てている。うん、ほんとよく似てる。
「いやいや、今は私が面倒見てるから、私に似て超かわいいんだよ? あいつに似たら、もっと腹黒よ?」
ちょっとピッチが早い飲みっぷりを見て見ぬふりをしつつ、「自惚れない!」と、デコピンしてやった。
瑛美はしばらくの間、自分と四つ足に共通するかわいさについて語り始めた。私は、一緒に住んでいた頃みたいに、ウンウンと相槌をうつ。
なんでかな。会話の内容はアレなのに、この子の声は昔から耳に優しい。こころがほっこりとする。
しばらく好きに喋っていたけど、なにか覚悟を決めたのだろうか。急に真顔になった。
「瞳子姉ちゃん」
「なあに?」
「今から言うこと、お母さんやお姉ちゃんには内緒にしてくれる? 冴俊さんはいいけど」
「いいけど」
「ベル子ね、黒原龍生のマンションで飼ってるの」
「ふーん」
「驚かないの?」
「同棲してるって言われたって、違和感ないけど?」
それより、それを瑛美が打ち明けてきたことの方がびっくりだ。
びっくりすると声が出なくなる私を、冷静な次女だとでも思ってくれているのだろうか。ちょっと安心したみたいに眉を下げている。
「ちょっとややこしいことになってるんだけど。ベル子の世話をするために、あいつのマンションに通ってるの。同棲してるわけでも、つきあってるわけでもなくて」
「はあ。なんかよくわかんない状況ね」
「今、あいつ、海外で仕事してんの。ベル子はすっかりあの家の子になっちゃったから、今更よそにやれないから、押しつけた私が面倒見ろって。そーゆー話なのよ」
えーっと。
海外で仕事している間、ネコの世話と部屋の管理を頼まれるって。引き受けるって。
「瑛美は、ベル子の世話だけしてるの? 郵便物とか、車の維持とか車検とか保険とか、もろもろあるよね? そこら辺は放置?」
「う」
「なるほど。確定申告も?」
「あー、それ! マネさんの仕事のはずなのに、おかしいよね?」
「うん。おかしい。年収知ってて、資産まで管理してるのに、つきあってないって無理がありすぎる。私だって、冴俊くんの年収なんか、ざっくりとしか知らないわよ?」
「……」
沈黙は、雄弁な肯定、か。
私は、2本目の栓を抜いて、新しいグラスに酒精を注いだ。
スパークリング日本酒って、そそられる響きだわ。
「いつから?」
「2年前の春、かな?」
「自分のアパートより、彼のマンションにいる時間の方が長そうだね」
「あ」
いやいや。今、気がついたって顔されても。
瑛美は自他とも認めるおっさん好きで、若い男の子には目がいかない子だ。
過去に紹介された男はみんな40歳以上だったし、お父さんより年上の男性さえいた。
それでいて、不思議に変な人や悪い人はいなかった。不倫もない。この年代の独身で、よくこんな真っ当な男性を見つけてくるなあと感心するくらい。
この子の感覚だと、龍生くんは若過ぎるのかしら。
「龍生くんにしても、なんとも思ってない女の子に、そんなこと頼まないよね?」
「や、なんか、実家に頼るのはちょっとアレみたいで」
「だとしても、お金を払って外注すればすむことを、あえて瑛美にお願いしたんだよね? 瑛美だって、一緒に住んでたときは事務的な家事を全部私に押し付けてたのに、彼のお願いを引き受けたんだよね?」
「えーっと……」
柔らかいライトの下で赤くなった顔をからかえば、きっとお酒のせいにするだろう。
でも、あんたってアルコールには酔わない女よね。お姉ちゃんは騙されないよ?
「告白くらい、されてるんじゃないの?」
一日中つけっぱなしのエアコンが、ぶいーんと鳴った。
「……否定は、しない」
いつになく歯切れが悪い。理由なわからないけど、恋にストップをかけたくなる何かがあるのだろう。
瑛美はカウンターから離れて、ゆり椅子で寝ているヒトミを抱き上げて、特等席をぶんどった。
ヒトミは力なく「ぐー」と抗議してから、瑛美の胸に顔をフニフニして、また眠ってしまった。
「何。この美魔女、かわいすぎる」
長い尻尾を掴んでは、威嚇されて泣いていた子が、おばあちゃんになったヒトミを抱いて和んでいる。時の流れって、優しくて残酷だ。
「こんなこと言ったら引かれるだろーけど。若い男とつきあうの、懲りたんだよね。中2で」
「ん? 初彼は、中3のときの保険医じゃなかったの?」
「その前に1年上の先輩と付き合ってたの。全校生徒の前で告白されて、断ったらこの人ダメージすごいだろうなってOKして。でも、そこそこ楽しかったのよ。えっちするまでは」
……さすが、ヤンキーの孫で娘で妹。
いろいろ素早いな。
「10代男子なんて盛りのついたサルだから、当たり前っちゃー当たり前なんだけど、自分が気持ち良くなることしか考えないじゃん? こっちはもー、痛くて痛くて。ヤル度にキライになったんだよね」
「それは……まあ、よく聞く話だわね」
「その点、次に付き合った先生は優しかったから。若いのは無理だ!って刷り込まれちゃったのよねーw」
いやいや。そこからそっちに飛躍すんな。
「肉食を自認するくせ矛盾してるんだけど、ナシならないでも一緒にいてくれる男が、理想なの。だから、冴俊くんは私の中ではすっごいイケメン枠。だってお姉ちゃんが入院中に再会して、手術後にプロポーズでしょ? ずーっとヤレない相手を一途に好きってイケメンが過ぎるよね」
「いいでしょ。あげないわよ?」
「いらんわ。冴俊くんかカッコいいのは、お姉ちゃんの婚約者だからです」
近未来の義兄を、全肯定する義妹か。
冴俊くん目線でも、そーとー可愛いだろうな。あげないけど。
「だから、かな?」
「何が」
「若くてかっこいい人は面倒。好みがかぶるもん。先輩とつきあってた時、わりと頻繁にイヤガラセされたしさ。まあ、やり返したけど。別れてからは、周りがもう優しいのなんのって」
瑛美。それ、美人の宿命よ?
まあ、本人はいろいろと荒むだろうけど。
「おかげで、高校生になる頃にはすっかり人間不信よ? アイドルのくせに、オヤジ転がして遊んでたし。でもね、お姉ちゃんたちも、お墓参りしたんだよね? ありあの。ありあとその彼氏の命がけの純愛を目の当たりにしたらね、自分も真面目に恋したいって思うようにはなったの。でも、やっぱり年上しか対象に思えなくて」
「そっかー……」
いろいろ衝撃的なワードが飛び出したけど、追求はしないことにする。まあ、時効だし。
ヤンキーとアイドルに挟まれて育った私は、割と何を聞いても人生なんでもありで納得する傾向がある。
「黒原龍生は悪い人じゃない。同業者として尊敬もしてる。けど、あいつから声優「来宮瑛美」じゃない私自身を求められても、どうしていいかわかんない」
「ふぅん」
「あと、あいつモテすぎる。それも、思い込みの激しいタイプの女に。総合的にめんどくさい。会いたくて震えるとかないし。むしろ、地球の裏側にいてくれて、すっごく楽なの」
ヒトミに顔を埋める仕草が、小さな女の子みたいにあどけない。けど、困ったようにため息をつく横顔は、ドキッとするほど色っぽい。
可愛い妹にこんな顔をさせるなんて、龍生くんも隅におけないなあ。
「3年後に帰国だから、気持ちが変わらなかったらプロポーズするから。それまでベル子の世話をしながら悩んどけって投げ方、どう思う?」
「控えめにいって、のろけ?」
「いやいやいやいや。割と真剣に困ってるんだけど? あと半年で帰ってきちゃうし。つうか、私の意見、ガン無視だし。なんなのよ。オレ様? 王子様? 仕事なだけじゃん!」
「あ、多分、それだわ」
ポンと手を叩くと、きょとんとして顔を上げた。
「あなたたちが、お似合いだなーって思う理由」
「は?」
「瑛美が、彼が王子様なのは仕事だって、理解してるからじゃない? 彼もあなたのこと、ヒロイン役のイメージに当て嵌めないんじゃない?」
「えー?! そんな当たり前なことが?!」
だって、あの顔だもん。あの声だもん。
生きてるだけで、乙女と乙女だった女の子たちの、願望と妄想を煽りまくってるんだもん。「めんどくさい女」にモテるわけよね。
「瑛美。結婚はね、当たり前が噛み合う人とするのよ?」
「知らない。ちょっと酔いさましてくる」
ヒトミを丁寧にソファに戻して、ついに瑛美が逃げた。
乱暴に開かれた扉は、ベルの音を盛大に鳴らしながら閉じていった。
残された私は、スマホを手にLINEをたちあげる。
さ、お膳立てはしたわよ? 近未来の義弟くん。
この機会に、ちゃんと捕まえなさいね。




