晩秋
駐車場の銀杏が、すべて散ってしまった。
鮮やかな黄色を失った町は、本格的な冬を迎えた。
「今年の銀杏は、いつもよりきれいだったね」と、数日前に帰省して、鉄砲玉みたいに戻った妹の声が、やけに耳に残っている。
妹は25歳。東京で、声優をしている。
高校時代は、地元でアイドルをしていた。
何歳になっても、声が可愛い。
地元に残された私は、お店の窓から、丸坊主になった大木を見上げている。
駐車場に根を張る銀杏は、枝振りがダイナミックで華々しい。
近所を案内する人が目印にするくらいノッポなのに、幼稚園児がジャンプしなくても届くほど枝が低く垂れさがっている。
大きな、大きな銀杏の木。
黄葉の時期は掃除が大変と、おばあちゃんもお母さんも、3代目店長のお姉ちゃんも嘆いている。
嘆く人が変わっても、銀杏は盛大に葉っぱを落としまくるから。
嘆きながら朝昼夕と掃き掃除にいそしむ「猫の目食堂」の店長の姿とシャッシャと鳴る箒の音は、秋の風物詩だ。
私、来宮瞳子は、店長の妹で従業員をしている。
従業員というか……店番?
たいそうやる気のない店で、8時に開店して11時までがモーニング。
ごはんは2種類の定食をランチタイムのみ。
閉店は3時。
政令指定都市の片隅の、のんきな田舎町にふさわしい、のんきな喫茶店なのだ。
お客さんは近所の人と、入れ替わりやってきてたまに常連化するオタクさんたち。
何年か前に、駐車場の銀杏が「エイミと白い花」というアニメのラストシーンに使われたのだ。
そのアニメでモブの侍女役を演じた声優が、「高台の銀杏の喫茶店の末娘」ってのが、オタクさんたちの琴線に触れたらしい。
主題歌だけが大ヒットした携帯乙女ゲームを、配信5周年記念にアニメ化したとかなんとか。
めちゃくちゃヒットしたわけでもないのに、DVDの売り上げは地味に3年間100位から落ちてないらしい。あと、乙女ゲームなのに、なにげに女の子がかわいいから、男子人気が高いらしい。
というのが、アニメではモブの侍女を演じ、春にプレステ連動スマホゲーム「エイミと白い花 リメイク版」でヒロインのエイミ役をつかんだ妹「来宮瑛美」こと、SNS名「えいみゃん」のご高説だ。
「えいみゃん」は、小さい頃に滑舌の悪かった私が「瑛美ちゃん」と呼べなかった名残,
それをそのまま世界配信しちゃうのは、どうかと思う。
アイドル時代に優等生キャラを演じ飽きたから、声優としては天然系不思議ちゃんでいきたいって熱弁してたけど。
ツッコミキャラの瑛美に、天然キャラなんて務まるのかなあ?
とりあえず、優等生キャラだったアイドルはあまり成功しなかったらしい。有名アイドルグループの地方サテライトのセンター。
それが、高校時代の瑛美のポジションだった。
それなりに知名度があって、少なくないファンもいたけど、ごはんを食べていけるレベルじゃなかった。
天然キャラが成功しているかどうかは謎だけど、ちゃんと声優でごはんを食べているから、大したものだと思う。
ヒロインのエイミ役はアニメで最終落ちしたので、ゲームのリメイク版で抜擢された時は、たいそう鼻息が荒かった。
あの子、乙女ゲームなんて好きだったかしら?
仕事の為にはやってたけど、夢中なのは、おっさんキャラを自作できる格ゲーのような…?
高校生までは、ずば抜けて頭が良い子だった。塾にも行かずに、偏差値が70もある進学校に合格するくらいに。
合格した日にスカウトされて、気がついたらアイドルになっって、成績がガタ落ちしたらしい。
それでアイドルを優先したなんて、私やお姉ちゃんだったら許されなかったんだろうな。顔が追いつかないから、それ以前の問題か。
アイドルに見切りをつけた瑛美は、高校卒業と同時に上京してきた。
予備校に通って大学を目指すとは思いきや、アルバイトをしながら声優の養成学校に通いはじめたからビックリ。
親は、なんかもう諦めてた。
せっかく上京したのに、遊びもしなかった。
養成学校の課題に没頭し、毎週のようにオーディションを受けまくっては、結果に一喜一憂していた。
「東京はチャンスが多くてすごい!」と、キラキラしく笑った瑛美。
生活時間が合わない私に気を使って、一人暮らしをしようとするのを、何度引き留めただろう。
若さというか何というか、寝食を忘れるほどで、ある意味、狂気に取り憑かれていた。
その頃の私は、大きなホテルのレストランでパティシエをしていた。
バリスタとワインソムリエの資格も持っている。
ゆくゆくは自分のお店を持ちたくて、それなりに頑張っていたけど、瑛美ほど無理をした覚えはない。
なのに、うっかり身体を壊してしまった。
病気がわかったのは、去年の今頃だ。
職場で受けた健康診断の結果を見た瑛美が、「検査して!お願いだから!」と泣いて取り乱して暴れたからだ。
泣く末っ子と鬼には勝てない。
あの子の安心を買うために、仕方なく、なけなしの休日を惜しみつつ、分不相応に大袈裟な検査を受けたら、そのまま入院が決まった。
命に関わるような、大病だった。
発見がはやかったからか、お薬がよく効いたからか。
手術で悪いところを全部とれたからか。
術後の予後は、すこぶる良好だ。今年の夏に退院してから、風邪ひとつひいていない。
「自覚症状がなくて急に進行が早くなる病気だから、気がついた時にはだいたい手遅れなんだよ。っていうか、フツーはあと2年くらいは気がつかないよ。すげー」……って、腕はいいけど言動がチャラい担当医が、びっくりしていた。
退院するとき、「念のため5年は経過観察するけど、今のところ、ほとんど完治に近いレアケースだよ」って言われた。
それを聞くなり、瑛美が泣いた。
人目も憚らずにワンワン泣いた。
家族には「瑛美はほんと、瞳子が大好きだよねえ」ってほのぼのされたけど、私は違和感を覚えた。
瑛美は、大人の顔色を伺うのが得意で、自分が可愛いことをよく理解してる、実にあざとい末っ子だ。
でも、愚痴とか弱音ははかない。つまんないことでグダグダ文句は言うけど、辛いとか、悲しいとか、苦しいとか、そういうことは一切口にしない子だ。
その瑛美が、泣いた。
「ミコ姉ちゃんが治って良かった」と、号泣した。
確かに、命にかかわる大病だったし、薬の副作用で10キロ近く体重が落ちてしまった。。
でも、手術ははやく終わったし、同病者のSNSでたびたび話題になる「気が狂いそうな痛み」を感じたこともない。
辛くて苦しい闘病生活とはおよそ無縁で、手術直後と薬の副作用で気持ちが悪い時以外は、すこぶるのほほんと過ごしていたのに。
あの子がどんな子なのか、途端にわからなくなった。
今も、よくわからないままだ。
病気をしたからかもしれない。わからないことが引っかかるようになったのは。
街を歩けばスカウトされる美人で、有名進学校に合格するほど優秀だけど、僻むとか、妬ましいとかはまるでなかった。生活時間が違いすぎたせいか、ケンカらしいケンカをしたことさえない。
私は小学生の頃からソフトボールクラブに所属していて、中学高校時代もソフトに明け暮れ、放課後も休日も部活ばかりしていた。
さらに、あの子が中学生になった年に、東京の調理師専門学校に通うために家を出ている。
瑛美が上京してきて、一緒に暮らしている間もすれ違いまくりだった。
揃ってごはんを食べた記憶が、あまりない。
瑛美の分を作り置きして帰ってくると、使った食器がきれいに洗ってあった。そんな毎日だった。
2歳違いのお姉ちゃんとは、どんなに部活が忙しくたって、毎日ケンカしまくったのに。
6歳も違う瑛美については、「かわいい末っ子」のまま、思考停止している。
成人式も過ぎて大人になったあの子の中には、悲しみや苦しみが存在する。そんな当たり前のことを、想像したことさえなかったなんて。
そんな自分の薄情さに、ちょっと愕然とした。