傘は水曜日に
「ねえ、この家、呪われてんのかなぁ?」
薬局に入ると同時に、なんの前置きもなく、さも当然のようにそう告げられた。いらっしゃいませは、どっかに忘れてきたらしい。
レジに座敷童子のような幼馴染がいつも通りぽけーっと、制服姿のままの座っている時点で外れかもしれないと思ったが、今日は大外れの日だったらしいな。
腰に手を当てて、マフラーの中に口元を埋め小首を傾げて考える。
処方箋の薬だし、素直にコイツの両親が店に居る時に出直そうかと踝を返そうとした途端、俺の動きを先回りするようにして友香はドア横の傘立てを指差し、勝手に話し続けた。
「その傘立てあるよね? 今日、晴れてるのに、ドアの一番近くに一本だけ――」
コイツ……そういう、気付いたらアウトな系の怪談っぽいのを本人に断りもなく話し始めるなよ、と、思うが、指摘されてしまえば唯一の出入り口のドアを潜る事には躊躇してしまう。
ああ、もう!
「その傘がどうしたっていうんだよ」
レジの隣の病院で先生に向かい合うときに座るような黒の丸椅子に座りながら、カウンターに肘を乗せて友香と同じ方向を見つめる。
「あ、お茶飲む? もう二月なのに今日も外、寒かったもんね」
「お前、薬買いに来た相手に、そんな長話する気かよ」
とか言いつつも、マフラーとコートを脱いで友香に渡してしまうのは、ずっと昔からそうしてきた刷り込みのせいだろうか? 途中までしか聞いていないが、なにかいわくのあるらしい傘を気にしつつ、家庭的ではある幼馴染がそれをレジの後ろの生活空間に掛けるのを見守る。
友香の実家がこの店だからか、レジ裏には電気ケトルから煎餅、カップ麺、小型テレビに漫画、小説、その他友香とその両親が店番し易いような様々なものが溢れている。小さな町の薬局の品揃えよりも、ある意味、そっちのが気になる品が多そうな感じだ。
まあ、この丸椅子も年寄りの客を相手にするために設置されているものだし、駅の方には大きなドラッグストアがあるので、住宅地に近く住人に慕われている点を重視しているとのことだ。香澄おばさん曰く。
事実、同じ中学の連中も帰り道にこの店があったとしてもそっちに向かうし、俺自身、学校帰りに町医者で去年と同じ花粉症の薬を処方してもらったからって理由だしな、友香の家を薬局として利用しに来たのは。
てか、そんな店なんだから、そういう呪いだのなんだのはダメなんじゃないだろうか? 店が潰れる前触れのようにも感じてしまう……。
「来年になれば、アタシは中三だからねー。こんな風に、年下と遊んでる時間も少なくなるから、今の内に構ってあげないと」
俺の思考を読んだのか、それとも偶然の産物なのか、友香がより金の掛かる進学の話をしだしたので、俺は複雑な気持ちで眉根を寄せ、再び膝掛けを足に掛けて椅子に座るその姿を眺めて呟く。
「納得いかねえ」
二月二十六日生まれの友香は確かに一年先輩なんだが、四月十二日生まれの俺とはたかが二ヶ月の差である。それで学年を分けるって言われても、なんか釈然としない。
そもそも、俺の方がお兄さんって感じの立ち居地だと思うから、なおさら。
「わざわざ会いに来たくせに、照れるな下級生」
暖房の利いた室内だからか、膝掛けをおざなりにスカートの端から乗せて膝を隠し、にんまりと笑った先輩幼馴染。
心の中で、高校受験か大学受験できっと同級生になるな、なんてひとりごちながら、処方箋をカウンターに置くも、自分じゃそれを処理出来ないと分かっているからか、完全に処方箋を無視して背中側の急須に――既に茶葉は入っているのか、お湯を注ぎ始めた友香。
多分、一杯目はさっき自分で飲んでたんだろうな。
基本はあまり考えずに行動しているものの、意外と細々した事をきちんとしていたりするので侮れない部分はある。急須でちゃんとお茶を入れるぐらい誰でも出来ると言えばそうかもしれないが、飲んだ後に茶葉捨てて急須洗ってとか色々するのが面倒で、インスタントコーヒー派になった俺としては、そういう部分は一目置いている。
小学校の頃に授業の一環で、近くの史跡に行った時に友香が作った――とはいえ、模様を描いただけだが――それこそ呪いのような絵が描かれた湯飲み茶碗がカウンターに置かれ、そこに急須でお茶を注ぎながら友香が口を開く。
「でね、その傘なんだけど」
あ、店番が暇で引き止める口実とかじゃなくて、それはそれで本当になにかあるんだ……。
まあ、いいけど。
改めて傘に視線を向けると、それは白い傘で百円とかのじゃなさそうだ。男性用のような大きくて長い傘で、所々に水色の模様がある。大の大人の男が使うにはやや可愛らしいような感じもあるが、ひょろりとした優男とかが使う分には似合いそうな感じの傘だ。使ってない時に手首に引っ掛けるためか、傘の柄と金具の間の部分にスマホのストラップみたいなプラスチックのアクセサリーがついていて、大事に使っていそうな雰囲気がある。
一通り傘を観察してから、うん、と、頷いて再び子供っぽいくりくりの大きな瞳の友香に視線を戻す。
頷き返して、溜めを入れた友香はさも重要そうに「ずっとあるの」と言ってきたので……拍子抜けした。
そりゃそうだよな。大事な用件のプリント、学校の机の中に週に二度は忘れる友香なんだから、呪いや事件ったってこの程度だ。
身構えたことが馬鹿らしくなった俺は、頬杖ついてほうじ茶で唇を湿らせてから、ははん、と、馬鹿にするように肩を竦めて言い放った。
「誰かの忘れ物だろ、店番ついでに来る人に聞いてみろよ」
大通りにも面していない薬局なので、新規のお客は少ないだろうし常連のだれそれが忘れていった傘ってオチ以外には考えられない。いや、ずっとあるってことは、仕事で一度だけこの町に来た人がたまたま忘れていったとかそういう傘の可能性のほうが高いか?
いずれにしても、ずっとあるだけで呪いとか言うなら、学校の傘立てにはもっと古くておどろおどろしい雰囲気の傘はたくさんある。
なんの時かもう忘れたけど、友香のお母さんの傘かもしれない黄色い傘、小学校で見つかったこともなかったっけ?
しかし、俺の完璧で誰でも思いつく予想に、不満そうに膨らませた頬をぷるぷると揺らしながら、首を左右に全力で振る友香。ゆったりボブの髪が、首の動きに合わせてさらさら揺れている。
友香はぽっちゃりってわけじゃないけど、なんか頬の曲線が……幼いんだよな。中学で童顔もなにもあるか! とか、友香のお母さんが荒ぶったこともあるけど、事実としてなんか二年って感じしないし。
「さっき、お母さんに聞いたら、絶対に触るなって言われた」
む――と、唸りながら不満そうに俺を見つめて顔を突き出してくる友香。
学校じゃないし、クラスメイトなんて寄らない店だから、コツンと額をぶつけてから言い返す。
「いや、それ、お前が壊すからだと思う。……さっき?」
そこでふと、より重要な部分がひっかかって、ついでにそれも訊ねてしまった。
「うん、アタシが帰って来たら、スーパーで夕飯の買い物にいっちゃった」
不意に、トスン、と、椅子に座りなおした友香。もしかしなくても、話題が途切れたと思っての行動なのかもしれないが――。
まあ、確かに店に誰もいなくなったらまずいよな。
って、あれ? おじさんは、今日は何か用事で出てるんだろうか? まあ、そういう日もあるんだろうけど……。って、小学校の頃から俺達が店番してることもあったし、不思議でもなんでもないか。
ツウチョウニキチョウ、とか、おじさんの外出の理由、小学校の頃に、意味も知らずに丸暗記で覚えちまったしな。
しかし夕飯の買い物なら、近くの肉屋とスーパー何件か回る程度だろうし一時間ぐらいで帰ってくるだろう。明日にして忘れても嫌なので、このまま友香と遊んであげてればいいかな、なんて考えていると、友香は不意に俺が質問する以前の話題を思い出したようで、キッと眦を吊り上げて詰め寄ってきた。
「あ! で、壊すとかじゃなくて、先週の土日に霙だったから、その忘れ物だったらどうするのかって訊いたんだよ、アタシも! そしたら、それはいいから、触るなって。あと、誰のでもないからもってかれないようにしろってぇ!」
さっき俺が指摘した位の事なら自分でも考え付くと主張したいのか、無理してくりくりの子供っぽい瞳で睨んで憤慨していたが、その時点でもう答えは明らかになっていると思う。
まったく、これだから単純すぎる幼馴染は。
「いや、お前、それ、開店や閉店作業で使う用の置き傘ってことだろ?」
おじさんかおばさんがいなければ店を開け閉めできないので、それなら友香が使う必要はない。
友香に、傘とか棒っ切れ持たせたら小学生男子みたいに振り回す絵が容易に想像できるし、おばさんが釘を差した気持ちも理解できる。
しかし、再び、ふるふるとさっきよりも軽やかに首を横に振った友香は「店のシャッターは、外からしか開かないから、こっちのドアは使わないし、そもそも土日の霙の時にも、その傘使わなかったもん」と、多分これに関しては俺は知らなくて当然のことなので、さっきの指摘をバカにされたと感じなかったようで、どっかニュートラルな表情でそう言い返してきた。
ふむ……。
いきなり、手詰まりだな。
土日、霙が降った以外に、なにかあったかな? 積もりはしなかったし、交通機関にも影響は出なかったはずだけど。
いや、そもそも――。
「これ、もっと前からここにあったとかじゃないのか?」
「なんで?」
こてり、と、首を傾げて俺を見詰める友香。
「いや、使った跡結構あるし、今週買ったにしては古そうだから」
よくよく見れば、柄の部分も何かに当たって削れたような部分とか、傘の開閉をする金具にも微かな錆がある。土日に使って濡れたからって、そんなにすぐに錆びることはないだろう。一ヶ月とか二ヶ月? 場合によってはもっと前からあってもおかしくないのかも知れない。
じっと、友香を見詰めていると、ゆらゆらとその頭が左右に揺れ。
「あー……うー? う?」
三拍子で鳴いたので、当てにしないことにした。
気付いたのが土日ってだけで、それ以前からあったと仮定して推理してみよう。
まず、ここまでの情報を整理すると……。
男物のような大きくてしっかりとした傘で、誰かの忘れ物でも、店の置き傘として使われてもいない。なのに、使われている形跡はある。にもかかわらず、店のひとり娘の友香は、使われている場面を見ていない。
傘だけど、傘として使われてない?
掃除用もしくは、柄の湾曲で棚の高いところのものを取るため。
いや、それなら、おじさんおばさんよりも背の低い友香に使うなって命令は変だ。確かにやらかす属性が友香にはあるけど、それなら最初からそういう用途の物を置かないはずだし……。
ふむ、と、口元に俺が手を当てていると、暖房が効き過ぎだしたのか、友香がストーブのスイッチを切ってぽてりとカウンターに頬をくっつけて横に……?
「ん? なんだこれ?」
てか、友香、気にしなさすぎだろう。店の名前入ってるんだし、大事なモノだったらどうするつもりだ。
友香が頬の下に敷いている、名刺サイズの鈴木薬局と書かれたシンプルな紙を救出してしげしげと見詰めれば、温かくなって眠くなったのか、どっかぽけぽけした声で友香が答えた。
「お店のポイントカードだよ。持ってなかったっけ? 五百円で一個ハンコを押して、三十個たまったら百円割引」
最短で一万五千円分の買い物をして百円か。手押しのタイプなので、五百円刻みで端数は切り捨てと考えると、それ以上の出費で百円なんだから、そんなにお得感はなさそうな気もするけど……。
「いや、俺、そんなに客としては来てないし――。って、これ、いつから始めた?」
「秋頃かな」
ふぅん、と、鼻で生返事しながら二つ折りのそれを開いた所で、全て理解してしまい、ジト目で友香を見詰めてしまった。
「お前な……」
んにゃ? と、さっきよりは女の子らしい声で鳴いた友香の目の前に、ポイントカードを開いて突きつけ、指でその中の一文をなぞって見せる。
「水曜午前はポイント二倍……それがどうしたの?」
素直にそれを読み上げても、友香はまだ気付いていない様子だったので、仕方なしに俺は傘立ての方へと向かって、周囲のものを落とさないように注意しながら傘を広げて見せる。
友香が今さっき読み上げたのと全く同じ内容が、そこには書かれていた。
「そのキャンペーンの告知用って事だな」
友香が弄る前に再び傘を閉じる俺。
ちょうだい、と、手を伸ばすも傘を畳まれて膨らんだ友香。
「水曜の午前中は普通に俺達学校だしな、使ってる場面をほとんど見なかったんだろ?」
「冬休みとか祝日――」
「いや、俺、休みの日の午前にお前が行動してるの記憶にないから。夜更かししてるのは知ってるけどさ」
夜中まで無料通話の出来るアプリのソライプでメッセージ送ってくるので、翌朝確認すると二~三件は通知が入ってる。
それも、夜中の零時から一時頃に。
そのぐらいの時間、俺いつも寝てるんだから、起きてるときだけ連絡すればいいのにといつも思う。内容も、基本的に他愛無い事なんだし。
図星を衝かれたからなのか、それとも繋がらない夜中の連絡を思い出したのか、もっと他に理由があるのかはわからないけど、なんとなく普段接していて違和感を感じるタイミングで微妙に不機嫌になった友香がさらに追求してきた。
「傘の理由は?」
「多分だけど、水曜日に水って漢字が入ってるからそこからの連想じゃないか? ああ、あと、去年の秋雨長かったろ? 多分それで、外出先で買った傘とか余ってそれで再利用したんじゃないかな?」
友香もそうだけど、友香のお母さんもそうした単純思考というか、安易な連想をする。友香との違いは、余った傘を再利用しようとかそういう経済的思考の部分かもな。
「ああー、そういえば、アタシもよく学校に傘忘れて、それで次の日雨で――」
「いや、お前の場合は、俺の傘に入るか車で送ってもらってただろ。だから、おじさんかおばさんが使ってた大きい傘が余ったんじゃないか?」
ぽん、と、手を打って頷く友香を遮って、冷静にツッコむ俺。
てか、友香の場合、失くす前提で物を与えてるとか、いつぞや香澄おばさんが言ってた気がするし。梅雨時でも友香に折り畳み傘を渡さないのは、鞄に入れてたはずの折り畳み傘がどこかに消えるミステリーのせいだったとも思う。
むー、と、なにが不満なんだか知らないけど、欲求不満といった顔をした友香がとてとてとどっか覚束ない足取りで、ドアの前に立つ俺の方へと近付き――。
「相合傘」
と、言いつつ、傘も開いていないし、隣で俺の学ランの裾を摘んだだけだけど、にへっと友香が笑う。
「いまさら過ぎる」
中ぐらいの地方都市なので、そこそこには人が居るけど、そこそこには田舎なので、いっつも一緒の俺達をからかう人間は少なくはなかった。だけど、おばさんが……台詞までは覚えてないけど、なんか、周囲のちびっ子に向かって――まあ、当時は俺達もちびっ子だったが――思春期で恋愛も出来ないなんて可愛そうだこと、みたいな感じに挑発して以降、自然とこんな感じで落ち着いたんだよな。
軽く嘆息して、いまや見おろせるだけの身長差になった友香のつむじを視界に入れながら、手持ち無沙汰に傘を揺らしていれば……。
「あら、いらっしゃい。って、友香! 傘、弄るなって言ったでしょ!」
おばさんは、来ると思っていた家の奥の玄関からではなく、背後のお店のドアから入ってきたのでビクッと肩が震えてしまった。
そしてそれは友香も同じようで、一瞬声が裏返ったものの「ちが、なんの傘か言ってかなかったから、気になったのぉ! それに、弄ってるの慶だもん!」と、多分照れ隠しに怒りながら叫んでいる。
い、いや、俺達別にくっついてただけで悪いことしてたわけでもないんだし、堂々としてれば良いのは解っているが……。あ、違う、傘は弄ってしまったので、そこは大人しく罰せられるべきなのか?
おばさんから視線を向けられたので、素直に頷く俺。
「ああ、そう、アンタが弄ったんじゃなきゃいいのよ」
そうかそうかと、あっさり納得したおばさんに、俺の背中に隠れながら「納得いかねぇぜ」なんて、友香が毒づく。
「いや、日頃の行動を鑑みれば当然のことだから」
傘を傘立てに戻したついでに、友香のお母さんに処方箋を渡す……が、友香よりも雑な手つきでぽいっとそれを投げ、先に家の奥の冷蔵庫へ卵とモヤシを仕舞うとの事なので、結局居間にお邪魔することになってしまった。
薬貰うの夕飯後かな、なんて考えながら、居間の隣の台所で料理するおばさんに、ぽつぽつと尋ねてみれば、傘にした理由も概ね予想通りだった。そして、友香が傘の用途を知らなかったのも、午前中は用事がないと部屋のベッドから出てこないせいだとも。
最近特に夜更かしだし風呂も遅いしで、片付かないわー、とかなんとか、おばさんの愚痴をBGMに、友香がぱたぱたとテーブルの下で足を揺らしながら囁いた。
「探偵になれるね」
「いや、無理だから」
そもそも、友香がポイントカードの存在を知りつつなぜその推理が出来なかったかの法が疑問だし。
暇だからなのか、空腹だからなのか、テーブルでくてーっとしている友香。
不意に台所との境目の引き戸が開いて、おばさんが出来たての肉野菜炒めをテーブルに載せながら友香の額を弾いた。
「そうよー? アンタ、バカなんだから、薬剤師の資格は慶くんが取らなくてどうするの?」
「あー、そっかー」
わーお、凄いな、躊躇無く俺の進路を決定したぞ、この母娘は。
どの程度本気なんかはともかくとして、ずっと言われていることなのでいまさら動揺はしない。
しないけど……。
「ん?」
肉野菜炒めの湯気越しに、解ってるんだか解ってないんだか。天然なのか養殖なのかわからない態度の、二ヶ月だけ年上のせいで学年がひとつも違ってしまっている先輩の鼻をむぎゅっと摘む。
「アタシは、かふんひょうはにゃー」
途中からめんどくさくなったのか、そんな風にあざとく噛んでる友香。
伝わってるんだか伝わってないんだか。
そもそも杓子定規の友人か恋人の二択ではなく、どの位置にお互いがお互いを置いているのか。
水曜日専用の傘にさえ気付けない、察しの悪い先輩幼馴染に、はにゃっ、と、溜息を吐いて、深く考えることを止めた俺はのんびりと夕飯を一緒したのであった。