8 涙を浮かべる君
白川殿が目を覚ますと目の前に夏基の顔がみえた。頬に温かい感触がし、みてみると彼の手が白川殿の頬に触れていた。涙をぬぐうように。
「え、あの………」
慌てて白川殿はいすまいをただし周囲をみやる。そこは自分の邸の廊であった。気づいていたら夜空を見ながら眠ってしまったようであった。
「すまない。起こそうか悩んでいたら」
涙を流していた為夏基はついその涙を拭ったという。
「いえ、すみません。みっともないところをおみせして」
「みっともないも何も気にしなくていいですよ」
本来は夫婦なのだから。
「………」
「風早中納言の夢ですか?」
「はい。初めて会ったときもこのような肌寒さと夜空でした」
会いたくてたまらない。どうして自分を置いて去ってしまったのだろうか。
「………会いに行ってみましょうか?」
ぽつりと呟く夏基の言葉に白川殿は顔をあげた。
「彼の墓参りに行ってみましょう」
「え、………でも」
本来ならば白川殿と風早中納言の恋仲は許されるものではない。風早中納言の身うちからは主人をたぶらかしたひどい女と認識されていることだろう。そんな彼女が墓参りに行ったと知られればどう思われるだろうか。
「大丈夫です。この時節、宮中の行事で忙しく風早の君には気づかれません」
兄の理基の最近の様子では務め場所の蔵人では現在春の行事で忙しくしている。その部下である風早の君も同様だ。また、鈴姫入内の日取りも決まっており貴族たちはこぞって内大臣家にとりいっているという。
そんな中かつての醜聞の主である二人のことなど世間の中では遠い昔のことのよう扱われている。
「どうです? 行きたくないのですか?」
正直に言えば行きたい。
「ですが、もし風早の君にばれたら………」
自分のことをあまりよくは思っていない風早中納言の子供は、親の墓参りに行ったと知られればどう感じるだろうか。そう思うと白川殿はつらく感じた。だから、白川殿はかの君への想いと思い出のみ心に抱き続けるだけで満足しようとしていた。
「何だったら昔縁があった豪族やら下級貴族の兄妹と偽っていけばいい」
一度でも想い人の傍に行きたいと思っていた白川殿はこくりと頷いた。
◇ ◇ ◇
夜桜が美しい花の宴の中、私は思った以上の人の出入りに疲れ休みたい旨を柚木に言った。それに柚木は頷いてそれとなく彼女を寝所のほうへ案内する。
「ごめんなさい。適当に夜風にあたれば楽になるから柚木は戻って」
せっかくの宴なんだから、というと柚木は首を横に振って近くに控えているという。
「近くに控えていますので何かありましたら呼んでください」
そういい柚木はその場を離れた。夜空を見上げると満月にまだ至っていない月が輝いていた。それをぼんやりと眺めていると庭に人影がうつった。
「っ………」
私は慌てて後ろへ控えようとするが、優しい声が聞こえた。
「やや、すまない。驚かしてしまったね」
それはあの時山寺で出会った男・風早中納言であった。
「あ、あの………私を覚えていますか?」
突然の私の言葉に彼はきょとんとして首を傾げた。
ああ、覚えていないのだ。
一瞬で落胆しそうになったら男はくすくすと笑いだした。
「もちろん覚えているよ。あの時の姫でしょう」
それを聞き私は胸の奥が熱く高鳴るのを感じた。
「あの、これを………」
私は懐にしまっていた手拭を風早中納言に渡した。
「持っててくれたのかい?」
「はい。いつかお返したいと思ったのですが」
「そうかい。ありがとう」
しばらくお互いのことを語り合った。風早中納言は最近起きた宮中での楽しい出来事を面白おかしく語ってくれて私を楽しませてくれた。
宴の堅苦しい挨拶など抜きで気が軽く私にはとても楽しいひとときであった。
時間が過ぎそろそろ戻らなければと風早中納言が去ろうとすると私は声をかけた。
「あの、また会ってくれますか?」
そういうと風早中納言はにこりと微笑んだ。
「こんなおじさんの話でよければまた付き合っておくれ」
それを聞き私は嬉しくなった。翌日彼から文が届けられ、それを返し何度か交流し合った。はじめは友人としての交流だったと思う。しかし、文を交わす毎に内容は熱いものへと変わり、ひと月経った頃には私たちは恋仲となっていた。




