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「わあっ おさかなさんだー!」
混乱に煙る頭に甲高い声が新鮮な空気のように差し込んだ。
反射のようにその主を探そうとするが、視線をさまよわせるまでもなくそれは叶多の目の前に飛び込んできた。
「ねぇっすごいね!おにいちゃん!」
叶多の前で軽く飛び跳ねた少女は、高い位置で二つに結われた柔らかそうな髪を魚のようになびかせている。
返事をしない叶多にはすぐに興味を失ったのか、いや、元々大して興味はなかったのだろう。直ぐに少女は叶多の横を通り過ぎて行った。
走っては止まるを繰り返し、次々と窓を覗いてはきゃらきゃらとはしゃいでいる。その様子は微笑ましいものだが、そこだけ切り取られた様に場違いだった。
そこでようやく周りを気にする余裕が生まれた叶多はくるりと首を回す。
自分のそばに佇む金髪の少女、今走り去った子供のほかにも数人の姿があった。
30代くらいだろうか、小太りで目の細い男。ほっそりとした20代後半から30代前半くらいの女性。あとは運転手らしき中年男。
目が合った女性が微笑む。
「大丈夫ですか。なかなか起きられないので心配しました」
所々座席が外れ見渡しの良くなったバスの中、今の今まで起き上がっていなかったのは自分だけだったのだと気付き、叶多は目の下に熱が集まるのを嫌というほど感じた。
「すみません……ご心配をおかけして。あの…その、取り乱したり……」
羞恥心から口をまごつかせる。
それを見てか女性は更に笑みを深くした。
「ふふ、大丈夫ですよ。それは皆同じですから」
女性が意味ありげに視線を向けた先には、膝を抱えて何やらぶつぶつと呟いている運転手の姿があった。
耳を澄ますと「何でこんなことに……」という言葉が聞き取れる。
自分よりよっぽど取り乱している姿を見て不謹慎とは思いながらもホ と肩の力が抜けるのを感じた。
彼はこうなった責任を感じているのだろうか。 しかし天災で運転手に重い責任があるとはそう思えない。
叶多はのそりと立ち上がり運転手の元に向かった。
「なあ、運転手さん? 大丈夫か」
男の肩を揺らすが反応は無い。
「おい!あんた年長者だろ! しっかりしろよ!」
更に力を込めて揺すると、男はどこか虚ろとした目をドロリ と向けてきた。
そのことに若干怯んで身を引くと、「放っといてくれないか」と一言呟いて元のように自分の膝に視線をもどした。
「彼はずっとあの調子なの」
女性は肩をすくめて言う。
それに倣うように肩をすくめて身を離した。
少しの沈黙のあと、小さな影がその女性の脚に飛びついてくる。
「おかあさん!」
「ん、なあに。美夏」
女性は少女の母親だったらしい。優しく頭を撫でる手を少し羨ましく感じたことに気付き、かぶりを振る。
得られなかったものを羨んでもしかたない。あれはもう自分には必要のないものだ。
「ここはすいぞーかん?」
「…水族館? そうね、ううん……」
女性は言葉に詰まる。確かに今の状況をこの子供に説明するのはひどく難しく、酷だ。
「美夏ちゃん、魚は好きかい?」
何とか助け船を出さなければと口を挟ませた。
「すきー!」
警戒心ひとつない笑顔で返事が返る。
子供はいつだって全力で、無邪気で、可愛い。何でこんな生き物に辛く当たることが出来るんだろうと浮かんだ親の顔に眉を寄せかけて急いで誤魔化した。
「そっか。じゃあ今日は見れて良かったなぁ」
「うん!」
その元気の良い声と共に美夏が母親を振り返る。
「ねぇねぇあかあさん、しゃしんとろっ? おとうさんにもみせてあげよう?」
「…そうね」
その会話のどこに引っかかる所があったのだろう。母親の笑顔はどこか引きつっているように感じた。
しかしその違和感も親子の次の行動に霧散する。
取り出された携帯にハッとした。
電波さえ繋がっていれば救助を呼べるかもしれない。
急いで自分のズボンのポケットを漁るが、目的のものがその硬い感触を返すことはなかった。
横転した時にどこか遠くに飛ばされてしまったのだろう。あからさまに落胆する。
「携帯を探しているのかい」
その様子を見ていたのだろう。
聞きなれない声が叶多にかけられた。男の声だ。