プラムの、たたかい
メタノシュタット城の尖塔が、真昼の日差しを浴びて水晶のように輝いて見えた。
『賢者の館』が建っているフィボノッチ村は、王都メタノシュタットの城壁をくぐってから馬車で一刻ほどの距離の近郊にあるが、随分とのんびりした村だ。
ぐるりと見渡せば、刈入れの終わった麦畑と野菜を育てる畑が、パッチワークのように広がっている。農家の三角屋根がぽつぽつと麦畑の向こうに散在し、それらを繋ぐ村道は緩やかな丘の上にある村の中心部に繋がっている。赤い屋根の教会を中心に、学舎や村役場、何軒かの商店が軒を連ねる以外は、広場と水場があるだけで取り立てて珍しいものは見当たらない。
俺とレントミアは、何人かの人影が見える村の中心部を横目に、東側へつづく村道を駆けぬけた。
脚部に展開した魔力強化外装によって、超人的ともいえる速力と歩幅で駆けてはいるが、ひたすら走って移動するのは体力を想像以上に消耗する。
だが俺は、弱音を吐き始める心臓と肺に鞭打って速度を落とさない。いつも俺に吠えかかってくる水車小屋の番犬の声が、歪みながら後方に消えていった。
「くっ! レントミア、索敵結界に反応は?」
「はあっ、まだ……見えないよ!」
流石のレントミアも苦しそうに喘ぐ。緑がかったエルフの髪が、麦の若葉の様になびいている。
最大直径で千メルテ(約一キロメートル)。それが俺達の展開する索敵結界の限界到達距離だ。
魔力糸を直線で伸ばすだけならば数千メルテは届くのだが、索敵結界は周囲の魔物や人間の動きを検知し、その情報を伝えるという魔法術式を編みこんだものなので、そこまでの距離は伸ばせないのだ。
竜人の里へ向かう途中の馬車で、探知できた距離が僅か3百メルテ範囲だったことから判るとおり、術者の状態や集中の度合いによっても効果範囲は変わってくる。
プラムたちが居るという村はずれの畑は、ここから更に東へ半里(約2キロ)程走った先にあった。距離だけならばもうすぐだが、道は傾斜した丘に沿って迂回している。全力で走っても二分はかかる。
まるで夢の中を走っているかのようにその距離はとてつもなく遠く感じられた。
その時――、戦術情報表示に「接続」の文字が浮かび上がった。今まで距離が離れすぎたせいで、一時的に魔力糸の接続が途切れていたのだ。
「映像中継が繋がった! プラムのペンダントだ」
目の前に更にもう一つ小さな窓が浮かび上がり、違う場所の景色を映し出した。そこは村はずれの麦畑だった。
「みんな無事なの!?」
「プラム!」
レントミアと俺は同時に呼びかけた。可視モードで展開しているので、映像中継の表示窓は、二人三脚のように並んで駆けるハーフエルフの瞳にも見えている。
画面は激しく揺れていた。プラムの返事はなく悲鳴も聞こえない。だが、
『離せこのッ……化け物おぉッ!』
イオラが叫びながら画面の方向に突進を仕掛けた。プラムが持っているはずの水晶ペンダント目掛けて、栗色の髪の少年が飛びかかってきたのだ。それが既に「異常事態」である事を物語っていた。
武器は何も身に付けておらず、必死の形相で猛然と体当たりを敢行する。だがイオラの身体は、画面の端から現れた、黄土色の皮膚に覆われた太い「腕」に薙ぎ払われてしまう。
ぐっ!? と短い悲鳴を上げてイオラが地面に転がるのが見えた。しかし、すぐに立ち上がり、必死に飛び掛かろうとする。
『イ……ォ兄ぃ……』
苦しげに呻くプラムの声が聞こえた。
――プラムが……何かに捕まっている!?
『プラムにょぉおお!』と、ヘムペローザがプラムの名を叫ぶと、にゅる、と何かが画面の半分を塞ぐように蠢いた。それは赤黒いブツブツとした吹き出物のようなもので覆われた粘液塗れの……「舌」の一部である事に俺はようやく気がついた。
その時、水晶ペンダントの向きが変わり、今までとは違う方向を映し出した。
そこには「巨大なガマガエル」の口を必死で押さえるプラムの姿があった。にゅるると伸びた舌がプラムの体に巻きついて、丸呑みにしようとしているのだ。
『食べても……おいしく……ないのですぅううう……!』
プラムの両腕は、ガマ口の上下をそれぞれつっかえ棒のように押さえている。涙目で歯を食いしばって耐えているが、その細腕ではもう限界かと思われた。
「プラムいま行く、もう少しの辛抱だ!」
『グ……ググレさま!?』
プラムの感涙交じりの悲鳴が聞こえてきた。
――巨躯の蝦蟇! と、いうことは……
「レントミア! 魔物の数は何体か判るか!?」
「今、索敵結界の圏内に入ったよ! えと……獣系、イノブー三体に……カエルが二匹! プラムちゃんたちと殆ど重なってるよ!?」
魔物の進行方向にはやはりプラムたちが居たのだ。嫌な予感が的中する。
ここから全力で走ってもあと2、3分はかかってしまう。だが、剣士ルゥローニィが先に行った筈だ。少しでも早く……たどり着いてくれ。
イノブーと呼ばれた魔物は、猪とブタを足したような突進形の魔物で、あまり危険は無いが、秋と春に現れては農作物を食い荒らした入りする害獣だ。
そして、カエル、つまりギガンティア・フロッグは牛よりも大きな、超大型の肉食カエルだ。家畜の羊や、時には人間の子供でさえ長い舌で絡め取って丸呑みしてしまう。
おそらくイノブーを追って、村の畑まで這い出して来たのだろう。そして、カエルの化け物はカップリングした二匹で現れることが多い。
つまり、化けガエルはもう一匹居るはずだ!
映像中継の揺れ動く画面の向うに現れた、別のギガンティア・フロッグがヘムペローザに飛び掛った。
姿はヒキガエルそっくりだが、目を疑うほどの巨大さだ。手足の太さは人間の胴体と同じ程で、身体は牛よりも大きい。口は左右に裂けていて、その端からだらしなく伸びた赤黒い舌が粘着質の唾液を散らしている。
全身は緑黄色でブツブツと盛り上がった表皮は不気味なイボがびっしりと並び、生理的嫌悪を掻き立てる。
『ヘムペロ! 逃げろッ――』
イオラは叫びながらヘムペローザを庇い、カエルの前に立ちはだかるが、そのまま飛び跳ねたカエルの巨体に押しつぶされたかのように見えた。
スローモーションのような画面の向こうからは、何の声も悲鳴も聞こえなかった。
ビョンッ……! と、牛よりも大きなカエルが飛び去った後、イオラの姿は既に消えていた。
『イォ兄ぃいいいいいいー!?』
叫んだのはプラムだった。それは今まで聞いた事が無いほどの悲鳴だ。ヘムペローザは半ば放心状態で、その場にへたり込んだままだ。
――く、喰われた! イオラが!?
俺はあまりの事に、走りながら呆然としよろめく。しかし耳元で「ググレ! しっかりしてよっ!」という透き通ったレントミアの声で、辛うじて我に返る。
「くっ……、急ぐしかない!」
俺の脳裏では、ついさっき目にしたばかりの予言の詩が繰り返し聞こえてきた。
『秋の畑で慟哭する、かわいそうな賢者さま。骸は冷たくうごかない。ずっと楽しく暮らせるはずだったのにね』
心臓は暴れ続けているのに、死神の冷たい手で喉元を押さえつけられたかのように息が出来なくなった。走り続けて限界なのか、それともこれが「絶望」なのか?
運命や予言なんてクソ喰らえと、四天王に啖呵を切ったあの時の自分は、果たしてこんな絶望に立ち向かう覚悟があったのだろうか……?
だが、その時――。
『イォ兄ィ……を……返し……てくださいなのですぅううううッ!』
地の底から響くような声を搾り出したプラムが両腕に力をこめた。ぐぐぐ、と口を押し返し、そして飛び跳ねるような動きで思い切りカエルの喉元を蹴り上げた。
勢いはそのままに、足をのど元に踏ん張って、体に絡みついた舌を引きちぎらんばかりに全身のすべてを使ってを屈伸させてゆく。
「プ、プラム!?」
俺は我が目を疑った。その力はまるで――
『う、にゅぅぁあああああッ!』
ビチッ……! と舌の付け根が嫌な音を立てて汁を飛び散らせた。途端に舌の力が緩み、プラムはそのまま後方へとすっ飛んだ。が、両脚で着地したプラムは信じがたい事に、そのまま地面を蹴って化けガエルの喉元めがけて体当たりをぶちかました。
グギャッ!? と湿った悲鳴を上げたカエルはそのまま横転し、巨大な四肢でむなしく空を掴むように動かした。
プラムはそのまま着地するとフゥ、ゥ、と鼻から荒い息を吐き、もう一体のイオラを飲み込んだギガンティアフロッグを睨みつける。
燃えるような紅い瞳、そして踊る緋色の髪。今まで見せた事のない険しい顔と、全身にみなぎる力は、竜人そのものだった。
――ばかな、プラム!? なんて……力だ。
『プ、プラ……ムにょ?』
ヘムペローザも信じられないという面持ちでプラムを見つめた。
もう一匹のギガンティア・フロッグは口をゆっくりと開き、巨大な舌を喉の奥からの発射態勢へと整えてゆく。目標は目と鼻の先のヘムペローザだ。
ビャッ! と飛び出した舌先がペムペローザに達する寸前、一陣の風が吹き抜けた。
次の瞬間、舌は粘液を散らしながら宙を舞い、ドチャリと畑の上へと落下し、
ギョゲッ!? とカエルの悲鳴が響き渡った。
「女子を泣かす輩は……容赦せぬでござるよ!」
猫耳の剣士、ルゥローニィ・クエンス。
凛々しい目元の奥で強い光を放つ、菫色の瞳。
剣を両手で構えた痩身の少年剣士は、二匹の化けガエルと、プラムとヘムペローザの間に割って入る立ち位置で、静かに剣を構えた。
<つづく>




