★賢者と作法とダンスのハウトゥ
◇
朝食を終えたキッチンのテーブルには、身支度を終えたレントミア、眠そうな目をこするマニュフェルノ、そして背筋を伸ばしたルゥローニィが座っていた。朝の日差しは相変わらず眩しいほどに差し込んでいる。
それぞれの前にはカップが置かれ、ほんのりと白い湯気が立ち昇っている。
南方で取れるカラス豆を炒って粉にしてお茶にしたもので、コーヒーによく似た薫りのする飲み物だ。この地方では眠気覚ましによく飲んだりする。
「まずはレントミア。昨夜の音の原因となりそうな、魔力振動は検知されていたのか?」
「ビンゴだよ、やっぱりあの時刻、微弱だけど魔力振動が検知されていたよ」
賢くて頼りになる相棒は、大規模魔力探知網の記録を、魔力糸による遠隔接続で調べてくれたのだ。
探知網は王政府直轄の魔法兵団が管理しているという事になっているが、実際は「ひとつの清らかな世界」(クリスタニア)がレントミアの協力で構築した「対魔王警戒監視網」だ。
「ということは、実験室に魔力振動の原因がある、ということか」
「状況証拠から考えて、そういうことになるだろうね……」
レントミアが腕組みをしてうーんと唸る。
だが、俺は逆に安堵していた。本当の魔王復活なら大事だが、これは単なる「誤検知」だ。
俺の実験室の何らかの仕組みが検知されやすい波動を発しているのだろう。
おそらくは複雑な呪文術式を使って行う触媒の合成過程か、ワイン樽を改造した培養槽あたりだろう。
昨夜の音の原因もそう考えれば合点がいく。
タネが明かされてしまえば怖がる必要もない。あの部屋の機材や触媒を調べて原因を突き止めて、魔王復活だのというあらぬ疑いがかからないように対策してしまえばいい。
よし、ほぼ解決。
「この件は後は俺が預かる。ありがとうレントミア」
「いえいえ、どういたしまして」
可愛らしく微笑んでお茶をすする。
「というわけで本題だ、今日は……戦勝記念祝賀会の対策勉強会をしようと思う」
「えー!?」
「勉強。新しい試みね」
「うーむ拙者、鍛練をしたいでござる」
そう――。
俺はメタノシュタット王家主催の「祝賀会」への参加を決意したのだ。
ディカマランのリーダーである勇者、エルゴノート・リカルが行くというのなら、あまり気の進まない祝賀会とはいえ行かないわけにはいかない。
ドタバタ走り回るプラムとヘムペローザのお子様組は、リオラの代わりとして畑仕事の手伝いに出かけているし、今から「ディカマラン後衛組、プラスワン」の勉強会をするのだ。
俺は戦術情報表示を可視モードで展開した。
テーブルから少し離れた位置に、空間を四角く切り取った形の『窓』が光の粒子を伴って現れる。
これは竜人の里で俺が見せた『映像次元変換術式』、要は脳内妄想を二次元アニメーションとして投影する術式だ。
――王宮のパーティ、マナー講座
と、適当なロゴタイトルで画像が表示される。
「おぉ!? 拙者、この魔法は初見でござるよ!」
「綺麗。なんだか前よりも画面がよく見える」
「……絵の粒が細かくなったのかな?」
流石レントミア、いいところに気がついた。
「あぁ、竜人の里で使った時よりも画面の解像度を倍にして、色を光の三原色に分けて表現することで鮮やかさとコントラストを高める工夫をしてみたのだ。更にコマ割の枚数を増やし……」
思わず上機嫌に機能を紹介してしまう俺。この魔法はなかなか有望なので、密かに機能アップを図っていたのだ。レントミアは辛うじて理解したようだが、他の二人は頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。
「よくわからないけど、相変わらずググレの魔法は………………凄いね」
妙に間が空いたが、そこは気にしないでおこう。さて、レッスン開始だ。
「ね、ググレ。招待されたパーティに行くのに勉強が必要なの?」
「拙者が思うに、料理を食べて、ダンスに誘い女性を口どけばよいのでござらぬか?」
「正装。わたしドレス持って無い」
「ええい、この根っから庶民どもめ! 王宮に招待されたということは、王様や王族はもちろん、王政府の大臣や、外国の国賓、それに国の上流階級の貴族連中とも顔を合わせるんだ。それなり作法やマナーが無いと、貴族どもに『ディカマランの英雄もこの程度か、田舎者め、ハハハ』と、小ばかにされてしまうんだぞ!」
ぎりっ、と思わず奥歯を噛み締める。青筋だって浮いているかもしれない。
「な……なるほどね……」
「さ、さすが賢者殿でござるな!」
「納得。ググレくん、す、凄いんだね」
「フゥハハ! 俺は負けん、上流階級を鼻にかける青っ白い貴族や、根性の捻じ曲がった王宮魔術師どもにはな!」
拳を握り締め、もはや私怨があるかのような口ぶりで熱弁をふるう俺。
ちなみに、俺がなぜこんなに熱くなるかというと、自分は庶民で一生そういう世界には縁が無いだろうなと思って生きて来たからだ。
元の世界では普通の家でカップめんや納豆ごはんを食うような生活だったし、この世界に来て賢者という称号を貰っていても質素倹約、貰ったパンと自作のスープをすする毎日だ。
賢者としてこのメタノシュタット近郊に屋敷を貰い、魔王を倒した報奨金でもう少し優雅に暮らすことも出来ただろうが、根っからの「庶民」な俺には無理だったのだ。
せめてメイドは欲しいなと「自作」を試みて、プラムが生まれたのは若気の至りだ。
兎に角、祝賀会とは名ばかりの社交界なのだ。鼻持ちなら無い貴族の魔窟に乗り込むのだ。決してナメられるわけにはいかない。
世界を救った勇者の称号を冠する、エルゴノート・リカルや、ファリアの為にもだ。
「ボクたちはググレが教えてくれるからいいけど、エルゴやファリアはどうするの?」
「お前たちも知ってのとおり、あの二人は別格だ。ファリアはルーデンス族の姫様だ。『族』とはいっても、一つの小さな国と同じ規模があるし、王家としての作法は仕込まれているさ」
大柄な女戦士の豪快な笑顔を思い浮かべて、また逢うのが楽しみだとワクワクする。宿場町ヴァース・クリンでは一晩だけだったが宴会をして楽しかったし、続きがしたい。
「同意。たしかにファリアさんは、物腰が違う……」
「納得でござる。エルゴノート殿は言うに及ばず、でござるし」
勇者エルゴノート・リカルは、カンリューンよりも更に西に進んだ砂漠の果ての王国、幻のイスラヴィアの出身だ。
彼はそこの第一王子だったのだ。しかし今を去ること五年前、国は突如として現れた魔王軍に攻め滅ぼされてしまった。そして彼だけが生き残り、復讐を誓い「勇者」として旅を続け、最後には目的を果たした、いわば悲劇の王子さまだ。
国を失い家族も最愛の人すら失って悲しみを秘めながらも、いつも明るく振舞い、俺達を引っ張って戦い抜いた真の勇者だ。
彼が太陽なら俺は……月か、いや。小惑星に過ぎない。
――時にその輝きが眩しすぎて、俺は……苦しくなることもあるのだが。
「とにかく、俺達はリカルやファリアに恥をかかせない様に勉強するんだ」
三人が深く頷く。心が一つになったところで、『映像次元変換術式』でマナー講座を流してゆく。
ちなみに……俺も王宮のマナーなんて知らない。
今朝起きて布団の中で検索魔法で調べた程度だ。それでも十冊以上の書物は調べたので、ほぼ間違いは無いと思う。
ここからは俺の検索魔法でかき集めた知識、この世界の王宮でのマナーなどをアニメ風に紹介してゆく。
「レッスン1 挨拶のしかた」
「レッスン2 食事のマナー」
「レッスン3 舞踏会でのふるまいかた」
「レッスン4 社交界での粋な会話術」
次々と検索魔法と連動した情報を、俺がアニメにしてレクチャーしてゆく。
舞踏会では女性をダンスに誘うのがマナーだとか、男同士で踊るなとかそんなルールだ。
口で言ってもよく判らないだろうが、こうして絵にすると判りやすい。レントミアもマニュフェルノも、そしてルゥローニィも食い入るように見つめている。
だが、舞踏会の説明の途中でマニュフェルノが口を開いた。
「困惑。わたし、やっぱりダンスとか……無理」
「拙者! 拙者がご一緒するでござるよっ!?」
はいはーいと手を上げるネコ耳剣士だが、マニュフェルノは困ったように曖昧に笑う。
「ルゥは、腰振っちゃうだろ……」
こればかりは俺も頭が痛い難問だ。見た目はなかなかイケているので、女性の方からダンスを所望されたらどうすりゃいい?
「ね、魔力強化外装を使ったらどうかな?」
「――! そうか……自分にではなく踊る人間、つまりルゥローニィにかけるのか!」
魔力強化外装は自分にかけるのが基本だが、うまくやれば他人に「コルセット」のようなイメージで貼り付けて、外側から動かすことも可能だ。
万が一、ルゥローニィがダンスの場に出なければならない時は、俺かレントミアが魔力強化外装でルゥの「腰フリ」を抑えればいいのか。
「魔法をそんなアホな目的で使いたくは無いが、大騒ぎになるよりはマシか」
「……だね」
レントミアが肩をすくめて小さく苦笑する。
「かたじけないでござる……。だが、おかげで心置きなく女性と話が出来るでござる!」
剣士ルゥローニィは爽やかな笑みを浮かべ、親指を立てた。
「ルゥの腰フリを止める為だけに魔法は使えないからな!?」
「練習。ググレくん……ダンスおしえて」
マニュフェルノが机に両手をついて立ち上がり、意を決したように言う。
いや……実演は無理だと、言おうとした俺の手を、何のためらいも無く握ったマニュは、そのままダンスの構えをする。俺は勢い背中に背を回し、身体を支える様に抱き寄せた。
「ちょ……ま」
ち、近い!
俺は慌てた。いつも変態な事ばかり言うマニュフェルノだが、一応は女の子なのだ。こんなに結界の内側まで接近されると、無防備な心臓の鼓動が跳ね上がる。
ていうか、女の子と五秒以上目線を合わせていられない。そうだメガネだ、裸眼じゃないから恥ずかしくないもん、と自分に言い聞かせ視線を合わせ続ける。
メガネの向うに透けてみえる深紅の瞳も俺をじっとみつめている。ほんのりと熟れた果物みたいな香りがするし、その……む、胸が当たってますが!?
「ググレ! 次! 次はボクね!」
「流石に男同士で踊るとかは無いだろ……」
「えー? ボク、女の子役でいいけどな」
「ちょっと今は黙っててくれないか!?」
珍しく興奮した様子のレントミアにツッ込んだお陰で、すこし冷静さを取り戻す。
戦術情報表示を不可視モードで展開して、検索魔法でダンスの仕方について調べる。そして自分とマニュフェルノの脚部に魔力強化外装を展開し、社交ダンスの肝である足裁きを外側からの操作で動かしてみる。
とんっ――、と右足を床の上で浮かすようにスライドさせる。次に左――
制御術式は即席だが、動かしながら組み立てていくしかない。
「お!」
「動作。うごくよ……足が」
なんとか社交ダンス的な動きをする俺とマニュ。
「右、左、そしてターン……!」
いい感じだ、と互いに顔を見合わせて微笑んだその瞬間、ガツッと互いの足がぶつかって、そのままもんどりうって床にベチャリと倒れこんだ。
「もぎゃっ!?」「嗚呼。あぁ!」
気が付けば、モッチリと肉感のある身体が俺の上に乗っていた。
俺が下でマニュフェルノが上なので、マニュに怪我は無いだろう。しかし凄い密着感。こ、これはラッキーナントカというイベントか!?
「弾力。意外と……胸が、厚いのね……」
えへ……へ、と僧侶の口元がヨダレを垂らさんばかりに歪む。もみもみっと俺の胸と股間が揉みしだかれた。
「いっいやぁぁあ!? どど、どこ触ってんだよマニュ!」
「事故。事故なんだから、ね! ハァ、ハァ」
もみもみと右手が胸に、左手が俺の股間をもんでいる。ラッキーどころかアンラッキースケベじゃねぇか!
「いい加減はなれろおおお!」
すったもんだで俺たちは、その後も勉強を続け、昼近くには「貴族っぽい紳士の振る舞い」を一応は頭に叩き込むことができたのだが。
◇
「ふぅ。やれやれだ」
昼近くになり、勉強会に一区切り付けた俺達は、自由な時間を過ごしていた。
俺は自分の書斎でもう一度、礼儀作法を調べようと検索魔法を展開した。
千年図書館から検索妖精が、目的の書籍を探し出し、目の前に次々と情報が表示されてくる。
「ん?」
俺はそこで小さな異変に気がついた。
今朝と同じ検索条件のはずなのに、一件だけ、検索結果が増えていたのだ。
検索魔法はこの世界の書籍や石版といった記録から、情報を抜き取ってくるのだから時間と共に内容が変わることが無いわけではない。
だが俺は、書籍に書きこまれた「文字列」に目を奪われた。
『今度はお城でパーティだって。賢者さまも……この本を読むかしら?』
それは、書籍に書き込まれたメモのようなものだった。
本のタイトルは「王家伝統の礼儀作法」という堅苦しい本だ。おそらくどこかの図書館の奥深くでホコリを被って、十年たっても誰の目にも留まらなさそうな本だ。
これを誰かが読んで、今日……タイミングよく書き込んだのか?
文体は奔放で爛漫な少女を想起するような言葉で書かれている。
僅か数十文字の文字列。
城、パーティ、賢者、本。
そこにある単語は俺を指しているとしか思えなかった。
「なんだ……これ?」
口をついて漏れ出した言葉は、俺の心境そのままだった。
<つづく>




