ディカマランの後衛組、思い出話をする
「吃驚。随分と早いお帰り……、ってヘムペロちゃんどうかしたの?」
「ヘムペロちゃん……、何かあったの?」
俺とヘムペローザが賢者の館の玄関の扉を開けるなり、マニュフェルノとレントミアが出迎えてくれた。館を出てから僅か二十分もしないうちに舞い戻ってきた俺達を見て、何かあったのかと心配顔だ。
レントミアは俺と同等以上の魔力糸による対人警戒網を常時展開しているのでおそらく……おおよその人間の動きは掴んでいたはずだ。
ヘムペローザが号泣したのは屋敷の全体が見えるほどの距離、二百メルテも離れていない場所だったからだ。とはいえ、会話の内容まで判別出来るわけではないのだが。
玄関の入り口で立ったまま、うつむいて口を開かないヘムペローザに、マニュフェルノが心配そうに近づいて膝を折り、目線の高さを合わせて静かに覗き込んだ。
「涙跡。……ググレくん……まさか?」
きっ、とマニュのメガネが鋭く光る。
普段は妄想ばかりしているくせに、こういう時は普通の「女子」の顔つきだ。まるで同級生のメガネ委員長みたいな目つきで俺を睨む。ずるいぞ。
「あのな、マニュが考えているような事は何も無いからな?」
「疑念。私がこの屋敷に居ても指一本触れてこない……おかしいと思ってた」
「別におかしくないだろ!?」
「嗜好。ググレくんは食べごろの熟れた果実より、青い果実がいいの?」
もう何を言ってるのかよく判らないので、とりあえずマニュはスルー。
ちなみにマニュを果実だというのなら、ちょっと変な汁が垂れている果実だと思うが。
「ググレ、平気だった? その……」
レントミアは俺に顔を寄せて、切れ長の美しい瞳を僅かに細め、背後の暗闇に視線を巡らせる。流石に気がついているようだ。背後に潜んで様子を伺っている人物に。
「大丈夫さ。ちょっとだけそこであってな。実は……」
「ヘムペロちゃんー!?」
リビングから飛び出してきたのはプラムだった。
「もう暗いからお外に出ない方がいいですよー! 今夜はお家にいてくださいーっ!」
妙な理屈をつけて、必死な様子で褐色の肌の少女の手を握り引っ張る。俺の顔をちらちらと伺いながら、外は暗いよ危ないよとアピールしている。
――あぁ、プラム。もう心配は無いんだ。今日から……
すっ、とヘムペローザが顔を上げた。黒曜石のような瞳に光を灯して、口元はゆるやかな弧を描いている。
「マニュフェルノ姉ぇ。レントミア兄ぃ。プラムにょ。……ただいま」
その言葉に、マニュフェルノとレントミアが顔を一瞬見合わせる。お、あ! と、ふたりの唇が自然にほころんだ。
「……ググレ!」
「歓迎。おかえり」
「ヘムペロちゃん、おかえり……なのですー!」
プラムが嬉しそうにヘムペローザの手を掴み、微笑んだその時、
「いやぁ……事情は大体わかったでござるよ。まったくググレカス殿も、そうならそうと最初から言ってくれればいいでござるのに」
玄関の外に広がる闇の向うから静かに、足音一つ立てずに現れた人物――
「再度。おどろいた! ルゥローニィ……くん!?」
「ルゥ、ひさしぶりだね」
「マニュフェルノ嬢に、レントミア殿。お久しぶりでござった! 懐かしい、僅か半年かそこらなのに……はは!」
俺と背丈は変わらない少年、半獣半人のネコ耳が特徴的な剣士が心底楽しそうな笑顔を見せる。
屋敷の明かりの下で見るルゥローニィの瞳はスミレ色で、髪は紫がかったブロンドだ。
切れ長の瞳は精悍で、体つきも俊敏そうなのだが、ネコにそっくりな耳が大きく突き出していて、「ほにゃ」っと水平ぐらいの角度で垂れ下がって見える。それが剣士らしからぬ可愛らしさを演出していた。
「実はそこでバッタリ出会ってな、丁度この屋敷に来るつもりだったらしい。ヘムペロといろいろ話し合っていたところを見られて……」
「わー!? ネコのお兄さんなのですー!」
「プ、プラム危ないにょっ!」
ヘムペローザが慌てて叫んだ時、既にプラムは剣士に駆け寄って、間近でその顔を下から見上げていた。
俺の隣に並び立つネコのお兄さん――剣士ルゥローニィ・クエンスは、少し吊り上った目を細め、その顔に少し苦笑を浮かべていた。
「いやはや拙者、ネコではござらんよ?」
「えー? おみみ、お耳がネコさんですよー?」
「ちょっ……まてプラムにょ」
プラムがおぉ……? と口を三角にしてじぃっと「ネコ耳」から目が放せない様子だ。獣人や亜人はこの世界では珍しくないが、このタイプは初めてだものな。
「この子がググレカス殿の……えと、『人造』の養子でござるか?」
「まぁ、そういうことだ。プラム行儀が悪い。ちゃんと挨拶をしなさい」
「は、はいなのですー! プラムといいますですー」
しゅたっ、と背筋を伸ばして変な敬礼をする。それを見たルゥローニィは、ほぉ! と口元を緩め、手をパチパチと打ち鳴らした。
口元には犬歯、もといキバのような八重歯が見える。
「プラム殿でござるな? 愛らしいでござる。拙者ルゥローニィ・クエンス、でござる。あ……呼びにくい場合は、ルゥでもローニィでも構いませんゆえ」
「セッシャルゥロー……?」
小首をかしげるプラム。今のところ八文字以上の名前は無理らしい。
「あ、いや、ルゥでいいでござるよ……」
「ちょっと待つにょぉおお!? なんで襲われないにょ!? その変態剣士に!」
俺の背後に隠れながら、ヘムペローザがルゥローニィを指差す。先ほど抱きつかれて腰を擦り付けられた恐怖から、剣士に近づこうともしない。
さっき俺とヘムペローザが先に屋敷に入ったのも、ワシに近づくでないにょ! 離れて歩くにょ! というリクエストがあったからだ。
「そもそもルゥローニィは女性に反応して抱きついてしまうが……流石に幼女や子供には反応しないはずなんだよな……?」
「にょっ!? そ、そうなのかにょ?」
褐色の肌の少女が俺のローブの裾を掴んだまま、目をぱちくりさせる。
「ま、おまえは、少し前までは……」
俺はそこで逡巡する。元悪魔神官ヘムペローザ。屈託の無い笑顔を見せるプラムの友達は、以前は胸の大きい、もう少し大人の神官だったのだ。
今はちょっと痛い言動をする唯の子供でしかないのだが、その頃の気配をルゥローニィは察知したのだろうか?
実は最終決戦の場で、対戦してもいるのだが流石に同一人物だとは思わないだろう。
ヘムペローザは何故か曖昧に笑いを浮かべて、汗をたらりと滴らせ、旧知の友のようにじゃれあうプラムとルゥローニィを呆れたように眺めていた。
◇
「いやー、あの時は焦ったでござるよ」
「そうだね……ボクも死を覚悟したよ」
「同意。絶対絶命……ってあるんだね」
「俺が機転を利かせなきゃ、全滅した」
――あははははは!
賢者の館は深夜だというのに、思い出話に花を咲かす四人の笑い声で溢れていた。
剣士ルゥローニィ、魔法使いレントミア、僧侶マニュフェルノ。そして俺。
プラムとヘムペローザは既に夢の中だ。二人でなかよく同じベットに寝かしつけたので、朝までは起きないだろう。
リビング兼キッチンのテーブルにありったけの食料を並べ、ツマミ代わりにブドウジュースで乾杯だ。
ディカマランの六英雄のうち、四人が集まったのだ。僅か半年ほど離れていただけだが、命がけの旅をしてきたパーティの面々だ。盛り上がらないはずがなかった。久しぶりの華やいだ雰囲気に、酒を飲んでいるわけでも無いのに酔いしれる。
ちなみに今、話題になっていたのは、かつての冒険の旅の途中、魔王との決戦で必要な武器を借り受けるために訪れた、西のアーメリア大陸最強の軍事国家アベルリアの「鉄槌王」との謁見の時の事だった。
白銀の無敵甲冑に身を包んだ最精鋭の魔法剣士兵団、およそ百人が並ぶ謁見の間で、アベルリアの鉄斎王が愛して止まないという愛娘、キュア・ファト姫に、事もあろうに欲情した剣士ルゥローニィが抱きついて王の眼前で……腰を振った。
「にゃー! にゃぁ!」
「ななな、なんですのー!?」
装飾の施された広い謁見の間に、ルゥローニィのネコ撫で声と姫の悲鳴が響いた。
ビキシッ! という王の青筋が浮き上がる音に、その場の全員が凍りついた。
俺も、勇者エルゴも顔面蒼白で石化して、あのファリアですら卒倒しかけていた。マニュは微笑んで天を仰ぎ、レントミアは「自爆……自爆魔法?」と焦点のズレた瞳で笑っていた。
魔法剣士兵団百人が一斉に剣に手をかけた。
正直、死んだと思った。だが俺は――
「すみませーん! ウチのネコが粗相を……こらっ! だめじゃないか!」
俺は何食わぬ顔で襟首を掴み、にゃーにゃーいう剣士を引き剥がした。
姫は少しアホの子だったようで、
「ネコちゃん……なんですか?」と尋ねた。
「はい! ネコです。メタノシュタットではこれが……ネコなんですよ」
俺は笑顔で、力強く答えた。
「まぁ……! 知りませんでした」
「ネコ?」「なぁんだネコか」「ははは、そうか」「では……仕方ないな」
その場に居た大臣も、老中たちも全員が顔を引きつらせながらうんうん頷き、魔法剣士達も王さえも「そういうこと」にしてくれた。
ばかばかしい危機だが、俺の機転で全員が命拾いした、そんな事もあった。
「――いやはや! かたじけないでござる!」
あはは、と剣士が笑う。
「いまだから笑って済ませられるがな、あのファリアが卒倒しかけたんだからな……。いい加減そのクセを治せよ……」
この場に戦士ファリア・ラグントゥスと勇者エルゴノート・リカルが居ないのは残念だが、「後衛の三人組」プラス「中盤の剣士」という、どちらかというと日陰の裏方的な、後方支援メンバーだけというのも悪くない。
先日、竜人の里を出発した俺達は、カンリューンの王都サウルに四天王たちを護送し、無事王政府に引き渡す事ができた。
竜人達は事情聴取を受け、かなり大騒ぎだったようだが、ディカマランの英雄達が証人という事で、謀反の罪として四天王たちは裁かれることになった。
魔法使いの処罰は通常、魔法を使えないようにする去勢措置と呼ばれる刑が処せられるが、既に三人は処置済みだ。あとはカンリューンの名君と湛えられるチョッキム王が公正な捌きを行うだろう。
その帰り道、ファリアと共に宿場町ヴァース・クリンに戻った俺達は、二週間の長期滞在で湯治をしていたファリアの親父さん、つまりルーデンスの族長――、アンドルア・ジーハイド・ラグントゥスご一行と合流し、料理に風呂にと宴に興じ、旅の疲れを癒した。
とはいえ、鬼のような顔の親父さんに「娘をどう思うか?」と何度も何度もクダを巻かれ、生きた心地がしなかったが……。
翌日、しばらくは父の湯治に付き合うというファリアを残し、俺達は帰路に着いた。
「そういえばルゥ、何か用があるって言っていなかったか?」
俺はルゥローニィに尋ねた。
「! そうでござった! この手紙を……渡すのが本来の用事でござった」
ごそごそと、剣士は胸のうちから手紙を取り出した。
マニュとレントミアが興味深げに覗き込む。
表には「招待状。 賢者 ググレカス殿へ」とあった。差出人は……メタノシュタット王!?
――招待状、それも王、直々の手紙だと……?
俺は酔いが一気に覚めていくのを感じていた。
<つづく>




