賢者、エネルギーを充填する
「すぅ~はぁ……すぅ~はぁ……」
くんかくんか、と俺は思い切りその香りを吸い込こんだ。
鼻腔を満たす芳醇な薫り。
あぁ……たまらないよ最高だ……と思わず口元が緩む。
誤解しないでほしいが、別に変態行為をしているわけじゃない。
俺が薫りを楽しんでいるのは「古書」だ。
古い紙とインクの醸し出す芳醇な香り。重厚ななめし皮の背表紙の時間を濃縮したような深い肌触り。
久しぶりに帰ってきた賢者の館のとある一室。
館の二階の奥にある賢者専用のミニ図書館。王都の古書店から買い集めたり、行商に頼んで手に入れたりしたこの世界のいろいろな本が所蔵してある。
集められた秘蔵の書架の数々は、俺の賢者エネルギーの源と言ってもいい。
ページを開いて顔を押し付けて、すぅはぁするとなんだか落ち着くし元気が出る。
ただ、それだけのことだ。
――賢者エネルギー。
それは俺が名づけた「賢者」としてこの世界で生きる為に必要な心のエナジーだ。
主に読書と思索と瞑想で補給され、不遇な事態に遭遇すると徐々に失われる。消費するのは簡単だ。外を出歩いて衆目の中で奇異の目に晒されたり、不毛な戦いを行えば消耗する。
他には、女の子と楽しく笑ったり仲良くしたいのに上手く話せない……なんて時もちょっと減る。
効率よく溜めるには、本を読んだり、検索魔法で情報の海をサーフィンするといい。
旨い食べ物と誰にも邪魔されない快適な部屋があれば最高だ。
だが、
最近はそれ以外にも溜める方法を見つけた。
プラムや仲間達と話をしたり、旅をしたり。そんな事でも充填可能だった。
思い起こせばディカマランの英雄たちと旅をしていたころは無我夢中で、賢者エネルギーなんて事は考えもしなかった。
半年ほど快適な館に引きこもり、俺は少し何かを忘れてしまっていたのかもしれない。
レントミアが俺に「ググレは、変わっちゃたね……」と寂しげに言った言葉は、あながち間違いではなかったのかもしれない。
「む、もうこんな時間か」
気が付くと午後4時を過ぎていた。
今日はずっと本や検索魔法で調べ物をしながら、時折息抜きに本を読んで……って全部本ばかりだ。
プラムの相手をあまりしてやれなかったことを少し悔やむ。
『賢者の館』の窓から外を眺めると、秋の澄んだ空気のせいかメタノシュタットの王都がよく見えた。
ちょうど「腕を伸ばして親指を立てたような」大きさに見えているのが王都メタノシュタットの城だ。ひときわ高い尖塔をもつ白亜の城は、大陸一の荘厳さと豪華さを誇っている。
とはいえ、城を建てたのは百年も前の成金趣味の王だったとかで、実際に近づいてみると、あちこちが破壊されて装飾が剥げ落ち、魔王大戦の傷跡が残っている。対空迎撃網を突破して飛来した翼魔竜を迎撃しきれずに被害を受けた痕跡が今も残っているのだ。
魔王大戦の傷もまだ癒えない土地もあり、城の修理にまで手が回らないらしい。
城に寄り添うようにして建ち並ぶ大きめの建築物は、国家の中枢となる王政府の施設だ。以前「決闘」をした円形闘技場などもそこに含まれている。周囲には貴族や役人の住む城下町があり、魔法使いや騎士になるための上級学舎などもある。
更にその周りをぐるりと取り囲んでいるのが、商人や一般住民が住む住居の群れだ。
視線を近くの畑に戻すと、フィノボッチ村の麦畑は既に秋の収穫が終わっていて、来年の春に向けて種まきが行われている最中だ。
イオラやリオラ、そしてプラム通う学校――学舎は、今は「秋休み」と呼ばれる期間であり、農家の子供が多いこの村では、皆農作業に借り出されている。
「あれは、イオラとリオラか……?」
畑の隅で種をまいているのは、イオラとリオラ、そしてセシリーさんだろう。栗色の髪や背格好からおそらくあの二人だ。村長の家に居候中のイオラとリオラも手伝っているらしい。
麦畑で種をまく少年と少女、そして麗しい村娘の構図は、まるで一枚の絵画のように見えた。
兄妹は俺と共に一週間ほど旅をしきてたばかりだというのに、村の畑仕事を手伝うなんて感心だ。俺は結構へとへとで動く気にもならないのだが。
と、
「ググレさまー、字はこれであってますかー?」
プラムが、窓辺で佇んでいた俺にかけ寄って来て、紙を差し出した。
一生懸命書いたらしい、ミミズの這った様な文字だが、読めなくは無い。
翻訳魔法無しでも俺は、日常で使う文字程度なら読み書きできるようになっていた。正直、魔法無しではプラムと大差の無いレベルだがそれでも以前とは大分違う。
「うーん? 『遊びに来ますです』じゃなくて、『遊びに行きます』だな、そこは」
「おー? むずかしいのですー」
どうやら竜人の村に手紙を送りたいらしい。だからずっと一人で大人しくしていたわけだ。
一度行ったことのある場所ならばそこらのカラスを捕まえて魔法をかけて手紙を運ばせるという手段が使える。
もっとも、この手段は途中で捕食でもされてしまえばそれまでなので、あまり確実な手段とは言えない。手紙の送付を請け負う職業魔法使いもいるが、彼らは事故に備え同時に複数を飛ばすのが通例だ。
「でも上手だよ。上等な手紙だ。あとで魔法でアネミィに送ってやる」
「楽しみですー! アネミィちゃんに読んでもらうのですー」
「あぁ」
プラムが手紙を胸に抱きながら瞳を輝かせて、つま先だけでぴこぴこ上下する。
楽しそうに笑顔を見せるプラムは、いまのところ薬のおかげで元気だ。
竜人から貰った貴重な血で、すでに「延命薬」を一年分ほど造ってあるので当面の心配は無いだろう。
後は本来の目的である根本的な治療薬をつくるだけだ。とはいえ……人造生命体の「命の核」の仕組みだけを、永続的なものに置き換えるという、前例の無い困難な作業だ。
俺は館に帰ってきた日から仮眠をとる程度で、ほぼ不眠で研究を続けていた。
検索魔法をフル活用し、古代の失われた文明の魔法技術から、近代の先端魔法研究までを調べ漁り、使えそうな情報を掻き集めた。
図書館で本をめくっていたら百年は必要だとさえ思える量を調べ続けた。
だが、おかげで基礎理論は完成しつつあった。
――プラムの身体の奥で働いている「命の核」は、竜人の血が放射する生命力を少しづつ変換して消費しながら、人造生命の身体を維持する為のエネルギーを供給している。
それを、俺達のような生物と同じ「食事」からエネルギーを生成する形式のものに置き換えればいいのだ。
それには一種の『運搬役』として、特殊な逆浸透型自律駆動術式を造り、それに新型の「命の核」を運ばせればいい。
「フフフ……完璧だ」
俺はこみ上げる笑いを抑えつつ、メガネを指先で持ち上げた。
この理論は、検索魔法で集めまくった魔法の知識と、俺がいた世界の先端科学からのアイデアの融合だ。
貴重な高校生活の日々を、伊達に図書館に一人篭って、科学雑誌やオカルト誌の創刊号から最新号まで読みふけっていたわけじゃない。
無駄と思える知識でも、こうして役立つときは必ず来るのだ。
「同志。ググレくん……、わたし徹夜二日目……」
俺の書斎の扉を押し開けて、幽鬼のような足取りでマニュフェルノが入ってきた。
そのままソファに前向きに倒れて、動かなくなる。
「マニュさんー、だいじょうぶなのですかー?」
「天使。目の前に、赤毛の天使が……いる」
虚ろな顔で弱々しくプラムに手を伸ばすが、ガクリと崩れ落ちた。
プラムが心配そうに覗き込むが、精神が混濁しているようだ。
「お前の徹夜と、俺の徹夜を同列に語るなよ!?」
「同列。何かを作り上げようとする心は……ひとつ」
首だけをこっちに向けて、親指を立てる。
「ひとつじゃねーよ!」
旅を終えたあの日、マニュフェルノは行くところが無いと涙ながらに訴えた。
たしか同人誌販売店が政府のガサ入れを受けたうけたんだった。不憫に思った俺は仕方なく、館に暫く住まわせる事にした。空いている部屋はいくつかあったし、別に……女の子とはいえ旅の仲間だ。知らぬ仲じゃない。ただし、いくつかの条件つきだが。
1.次の居場所が見つかり次第、退去する
2.夜這いしない
3.ゴミを散らさない
「感謝。ググレくんにはお世話になりっぱなし」
「気にするな。それより、ここを同人誌販売の拠点にするなよ?」
「同意。ググレくんの館に潜伏つつ、新しいアジトを見つける」
「潜伏とかアジトとか言うな!」
ったく、唯でさえ「怪しい」だの「魔王復活の拠点」だのと言いがかりをつけられているのに、その上違法同人誌販売の拠点にでもなってみろ。
そのうち王都を護る神聖騎士団に包囲されるぞ。
「空腹。…………」
「そうか」
「死因。餓死……」
ガクリ、とマニュが拗ねたように、力の無い声で言う。銀色の長いお下げ髪がダラリと床に落ちている。
「あー! もうわかったよ。仕方ない。そろそろ夕飯の支度でもするか……」
外を見ればいつの間にか日は傾き始め、落ち葉が風に舞っていた。
食事は村のオカン連合が作ってくれたり運んで来てくれるのだが、ここ最近は村の麦の収穫だの種まきだので忙しく、俺が作ったりしていた。
女子力皆無のマニュに家事なんて期待していない。
「プラムも、プラムも手伝うのですー!」
「そうか、じゃぁ一緒に何か作ろうか」
「はいなのですー!」
プラムが俺の腕にぎゅっと抱きついて、引きずるように台所へと引っ張り始めた。
◇
キッチンでプラムと一緒にすったもんだで作った煮込み料理は、野菜と肉と……まぁシチューのような「何か」だ。一応はそれらしく見える。
味は保障しない。
「ごはん、出来まし…………あ」
「どうした? プラム」
プラムが、動きを止めて外の方を眺めながら目を瞬かせた。
同時に、俺の魔力糸も何かを検知する。
屋敷に向かって走ってくる人間の気配だ。
プラムの勘のよさは、最近ますます精度が上がっている気がする。おそらくは薬の副作用だろうが。
「……ったく、ヘムペロのやつめ」
毎度毎度、飯時になると現れる野生動物のようだ。
しかし、ヘムペローザは屋敷の外の石塀の向うに隠れたまま、何故だか動こうとしなかった。
「ヘムペロちゃん、きっとおなか空いて倒れたのですよー!?」
「んなわけあるか」
大方、皿に盛り付けるタイミングでも見ているのだろう。
だが丁度いい、この料理の人柱……いや、味見をしてもらおう。
俺は勝手口を開けて、褐色の肌の少女に呼びかけた。
「おい……!」
「にょ!?」
ヘムペローザの声が聞こえた。心なしか涙声にも聞こえだが。
「ヘムペロ、なにやってんだ? 早く来いよ」
「い、今はダメじゃ! お、おまっ……おまえがよくじょーしてしまうっ!」
「……はぁ?」
何で俺が欲情せねばならんのだ? 何言ってんだと渋面を浮かべつつ、俺は玄関から来いよと声をかけて勝手口を閉じた。
「ヘムペロちゃんー! まってるのですー!」
ヘムペローザには困ったものだが、旅ではプラムをいろいろと助けてくれた。それに最近は俺を頼りにしているみたいで……放ってもおけない。
毎回メシ時に来て土産まで掻っ攫っていくくらいなら、もういっそヘムペロもここに住……いやいや。あいつを慕っている兄妹たちが居るようだし、そういうわけにもいくまい。
だが、プラムも喜ぶし食事が賑やかなのはいいことだ。
楽しいと賢者エネルギーも充填されるしな。
――このまま、毎日が平和だと助かるのだが……。
<つづく>




