★ヘムペローザ、大きくなる
【作者よりおしらせ】
この特別篇は「ヘムペロちゃん目線の三人称」形式となります。
次回から元に戻りますので、御了承ください。
◇
「にょ?」
コツ、と指先が固い何かを探り当てた。
皮袋の底に隠れていたそれは、ガラスの小瓶らしい。
ヘムペローザは小瓶を指でつまんで取り出して、窓辺の光にかざしてみる。中には赤い小指の先ほどの小さな錠剤が、一粒だけ入っていた。
「これは、プラムの薬ではないかにょ」
黒曜石のように輝くぱっちりとした瞳にストレートの黒髪。王都メタノシュタット近郊でも珍しい褐色の肌のダークエルフ「クォーター」のヘムペローザが、指で髪を耳にかきあげながら思いをめぐらせる。
体つきは同じ年頃の少女に比べて細く華奢だ。「魔王大戦」の後、悪魔神官としての魔力と記憶を失い「子供」として彷徨い歩いていたところを保護されて、この施設に来てから既に1年以上が過ぎていた。
始めは収容所のような酷い所だったが、仇敵であるはずの賢者がが王政府に働きかけ、役人どもに待遇改善を確約させてからは大分暮らし向きは良くなっていた。
孤児院の狭い部屋の一角にある窓辺は、ヘムペローザのお気に入りの定位置だ。
歪んだ木枠の窓ガラスは曇っていて、外の風景はあまりよく見えない。それでも木々の色合いの変化や、空の色が感じられて好きなのだ。
今は秋も深まり、木の枝に残った茶枯れた葉が寂しげに風に揺れている。
一粒の「プラムの命を繋ぐ薬」――。
それは、賢者ググレカスが「竜人の里」で決死の闘いに挑む直前、最後の一粒をヘムペローザに託したものだ。
幸いに薬の出番は無く、ヘムペローザが腰にぶら下げた「小物入れ」の奥に仕舞い込んだまま、しばらく忘れていたらしい。
賢者たちとの苦しくも楽しい冒険の旅から、ヘムペローザは数日前に帰ってきたばかりだった。「竜人の血」は手に入れられたのだから、この薬はもうさほど大切なものではないかもしれない。
じゃが――。
「賢者のところに持っていけば、美味い夕飯にありつけるかもしれんにょう……?」
にひひ、と白い歯を覗かせて悪戯っぽい笑みを浮かべる褐色の少女。
『わざわざ持ってきてくれたのか、ヘムペローザ』
『カカカ、プラムが困っているかと思ってにょ!』
『寒かっただろう? 丁度夕飯なんだ、よかったら一緒にどうだ?』
『け、賢者がそこまで言うなんら仕方ないにょ!』
「にょほほ……、悪くないにょ!」
ディカマランの「賢者」ググレカス――。
敬愛する魔王デンマーン様を倒した憎っくき仇のはずなのだが……、妙に気になるのだ。
飄々とした風貌に、怪しく光るメガネ。何を考えているかよくわからない表情で、時折「フフ……」とか「フハッ」と妙な笑いを漏らす。そして幼女と美少年魔法使いが好きな特殊性癖の持ち主らしく、油断がならない。それなのに……何故だか、優しい。
おそらく油断させ「どす黒い欲望のはけ口」として愛くるしいワシを狙っておるのじゃろうが……。
それでもプラムがいつも楽しそうにしているせいで、つい賢者の隣に座ってみたくなったり、手を繋いで歩きたくなったり。おまけに美味い物を食わせてくれるので、知らず知らずのうちに賢者ばかり目で追っている自分に気が付いて、ヘムペローザは頬を赤らめる。
――こ、これはきっと……賢者の魔法のせいにょ。
と、
「へむぺー、なにそれ?」
「あ、飴だ! キャンデーだ!」
「にょっ!? ち、違う、これは大事なものにょ」
施設の年下の子供達がやってきて、腰と肩にまとわりつく。半獣のケモナー少女と、やはり半獣の血を引く精悍な顔の男の子だ。
「よこせよー、ずるいぞー!」
「あ、こら! ベロッカ、や、やめるにょ! あっ!?」
しゅぽんっ、とビンの口のフタが開き、中の赤い丸薬が、空中に放り出された。
あっ! と叫んだヘムペローザの口の中に、それは見事に吸い込まれた。
「ごく……っ。て!? のの、飲んじゃたにょ!?」
「あーあ、ヘムペーずるいのー」
「い……、いこうぜ!」
慌てたように二人の子は部屋から飛び出してゆく。ヘムペローザはしばらくの間、目を白黒させながら喉を押さえたり、胸をたたいたりする。
プラムの命を繋ぎ止める「延命薬」だとすれば少なくとも毒ではない。むしろ、命が延びる? いやいや、確か竜人の里で怖い連中が襲ってきたのは、この薬や血にいろいろな「効果」があるからだと言っていた気が……。
――ドクン!
心臓が物凄い勢いで脈打った。口から飛び出しそうなほどに暴れだし、熱い。
熱が伝わるような感覚が身体の中心から湧いてきて全身を包む。目の前が閃光に包まれたかのうように白くなり、見えなくなった。
「にょ!? にょ……おぉおおお!?」
◇
気がついたとき、ヘムペローザは同じ所に立ったままだった。
倒れていなかったところをみると、一瞬意識が飛んだだけだったようだ。が、
「にょ? なんだか部屋が小さい……って!?」
ヘムペローザは自分が「大きくなって」いることに気がついた。
「…………!?」わさわさっと顔を、肩を、そして……胸を揉んでみた。
「おっぱいおっきくなってるにょぉおおお!?」
叫んだ声も妖艶な「女」の声だ。髪もずいぶんと伸びている。
「ちょっ!? どどど、どうなって!? あ……あの薬の効果にょ!?」
あたふたと妙な動きで頭を抱えながら考えてみると、原因はそれしかない。
プラムの薬の成分は「竜人の血」、それは強靭な生命力をもつ彼らの命の力を使い、命を繋ぎとめる秘薬なのだとか。
この姿はかつて悪魔神官と呼ばれていた頃と同じ姿だ。つまり、魔王デンマーンの寵愛波動を浴びた頃と同じうら若き17歳の僧侶の頃の姿だった。
気がつけば服はピチピチで、へそとお腹が丸出しだ。
足もミニスカートかと思うほどに短い。ていうか下着が食い込んでヤバイ。褐色の頬が見る間に赤く染まる。
「とっ……とにかく、賢者のところに……!」
混乱したヘムペローザは、それ以外思いつかなかった。
賢者の館まで走り事情を説明し、何とかしてもらうしかない。
ヘムペローザはそのまま施設を飛び出した。
子供達に「だれ?」「だれですかー?」と声をかけられたが、とりあえず曖昧に笑ってごまかして玄関を飛び出し、ひたすら走った。
いつも賢者の館に行く道のりは一刻(約一時間)ほどもかかる。だが、大人になった身体で走ってみると、目線の高さと相まって、まるで一跨ぎのようにも思えてきた。
「か……身体が、軽いにょ!」
それは大人になったからだけではなく、あの薬の効果がそう感じさせるのかもしれない。ヘムペローザはいつもなら橋まで迂回しなければ通れない小川を飛び越えた。
「――大人、最高にょぉお!」
たゆゆんっ! と着地の衝撃で胸が揺れた。意外と重い。幸いピチピチの衣服が支えてくれているが、走るたびにゆっさゆっさと物凄く揺れて痛いほどだ。
こんなところを誰かに見られたら……と思うと、カァっと赤くなり胸を片手で押さえながらの疾走となった。
暫く走ると意外にも早く「賢者の館」の屋根が見えてきた。地方領主の館というには小さくて、「別荘」のような瓦屋根の屋敷だ。
はぁ、はぁ……ん、となぜか艶かしい吐息を漏らしながら、速度を落として歩く。
そもそも、冷静に考えてみれば、この姿で何か不都合があるのだろうか?
「…………? 別に……かまわんではないか?」
効果がこの先一生続くなら、それで何も問題は無い。
この肉体美、頭脳、そして……魔力。と、流石に魔力はゼロのままのようだが。しかし少なくとも普通の大人の女性として暮らしてはいける。
うふ、と唇の両端を持ち上げてみて、胸の位置をきゅきゅっと整える。髪も手ぐしで整えて、色気もなかなかだ、とほくそ笑んだ。
特殊性癖の賢者だが、この胸を見て冷静でいられるだろうか? 劣情のままむしゃぶりついてくるかもしれない。
「にょほほ、賢者めワシの本当の姿、見せてくれるにょ!」
――じゃが……。
賢者はこの姿を見て、なんと言うじゃろうか?
いつものように、やれやれと嘆息しつつも頭を撫でて、優しく屋敷に招き入れてくれるのだろうか?
あやつは……可愛そうで哀れな子供のワシじゃから、プラムの友人だからこそ優しく接してくれたのではないだろうか?
不安が、大人の姿になったヘムペローザの胸に去来する。
空を見上げると、秋の空は急速に暗くなり、夕闇が背後から迫ってきていた。
遠くに見える村の家々の明かりが灯り始める。
冷たい風が、長い黒髪を揺らした。
「くちっ……」
寒い。
秋の夕暮れの中を、露出狂かと思えるような格好のまま走ってきたのだ。
思わず両手で肩を抱き、トボトボと賢者の館を囲む石塀から、中を覗く。
ちょうどそこはキッチンの窓が見える場所だった。
青黒く沈む夕刻の世界のなかで、その窓だけが黄色い光を放っていた。
暖かそうな部屋の中で、プラムの赤毛が横切るのが見えた。
「プラムにょ!」
だが、それ以上ヘムペローザは声を出せなかった。
賢者が鍋を両手で持ってプラムの後ろから現れた。夕飯の支度らしかった。
何か会話を交わしながら、時折笑顔を浮かべている。
いつもなら、「食うのを手伝ってやるにょ!」 なんていいながら、突撃賢者の晩ゴハンとばかりに飛び込んでいけたのに。
「…………」
ヘムペローザはうな垂れると、来た道のほうへ歩き出した。
と。
「おい……!」
「にょ!?」
賢者の声が聞こえた。勝手口を開けてこちらを睨んでいる。賢者は魔力糸を館の周囲に張り巡らせて、誰が来ても判るようにしてあることを思い出す。
「ヘムペロ、なにやってんだ? 早く来いよ」
「い、今はダメじゃ! お、おまっ……おまえがよくじょーしてしまうっ!」
「……はぁ?」
本当に心のそこからの「はぁ?」だった。
いつもの賢者の呆れた声に、思わずぽろりと涙が出る。
「ぐすっ、じ……実はにょぉっ!?」
と、石塀から身を乗り出そうとしたところで、石壁がずんずん空に向かって伸びていく事に気がついた。
否。ヘムペローザ自身が縮んでいるのだ。
――にょわわわわ!?
全身の骨が不快な音と痛みを訴えたが、それはすぐに和らぎ、ピタリとある一点で停止した。それは、いつもの見慣れた景色だった。
子供の目線でみる、世界。
「玄関から入って来い、夕飯を食わせてやる」
「ヘムペロちゃんー! まってるのですー!」
石塀の向うから、そんな二人の声が聞こえた。
俺の手作りだから味は保証せんがなフフフ。と賢者の含み笑い。
「ぐ……にょ……にょほほ! いま、今行ってやるにょ!」
涙声は、すぐにいつもの調子にもどってゆく。黒髪をふわりと翻して、褐色の肌の少女は軽やかに駆け出した。
<「幕間」 おしまい>




