旅立ちの朝と、新しい故郷
早朝の空気は冷たく、あたりはうっすらと靄がかかっている。
気の早い森の動物たちはもう目覚めているだろうが、俺以外の面々は遅くまで騒いでいたようで眠い目を擦りながら、ようやく馬車の荷台に乗り込んだところだ。
「ねむいのですー……」「にょぅ……まだ眠いにょ」
「ほらほら、さっさと支度をしろ」
目をつぶったまま歩いているプラムとヘムペローザの顔を冷たい川の水で洗ってやり、歯を磨かせ、髪を梳ってやる。って、何故に俺が二人分面倒を見にゃならんのだ?
実は昨夜のカブトムシ娘に飲まされた「樹液の酒」のお陰で、早々に「落ち」てしまった俺は、今朝の目覚めはスッキリだった。あの酒には疲労回復効果もあるらしい。
「不眠。夕べ、誰も来てくれなった……勝負下着……だったのに」
徹夜明けのような生気の無い顔で、フラフラと馬車に乗り込むマニュフェルノ。竜人の若者の「結婚したい」を本気にして待ってたのか……と、すこし不憫に思う。
出発の準備を整えた俺たちの馬車の後ろには、もう一台の馬車が停まっていた。
捕縛された四天王をカンリューンの王都まで送り届ける為、竜人達が用意したもので荷台は干し草を運ぶ時に使うような屋根の無い簡易的なものだ。
荷台には項垂れた二人の男と一人の老婆、そして短い髪の少女が手足を縛られたまま座っている。アンジョーンにベアトゥス、そしてウリューネンだが、完全に抜け殻のようなような状態で、逃げ出したり反抗するとは思えない。
さらに馬車には年配の三人の竜人が乗り込んで睨みを利かせている。御者も併せてれば四人の竜人が彼らを護送するつもりらしい。
魔法が唯一使える「土人形術者」トロノ・パックは、俺が真名聖痕に「引金」を仕掛け、王都につくまでの間に魔法を使った場合、真名聖痕破壊術式が発動するようにしてある。
これで万が一にも悪さは出来ないだろう。
俺が一筆書いた「賢者の手紙」も懐に忍ばせてあり、これで面倒な手続きもなく王政府へ引き渡せるはずだ。
ちなみに竜人達の馬車を引くのは馬ではなく、「カブ吉」と「カブ蔵」と名付けられた二匹のカブトムシ怪人のオスだ。馬車というよりは甲虫車だろうか? 二匹とも力自慢でタフなのだとか。
俺のスターリング・スライムエンジン・スタンディングモードと互角のパワーでぶつかり合った魔物と同じ種族なので、確かに馬の代わりにはなるのだろう。
森を抜けて街道を出てカンリューンの王都までは、魔物との遭遇戦に備え、俺達と隊列を組んで進むことになる。来る時と違い迷う道も無いので速度を上げ、一日ほどでこの森を抜ける計画だ。そこから更に二日かけて王都サウルまで護送する。連中の仲間が襲ってくることも考えて、俺達も王都見学がてらついていくつもりだ。
俺は後ろの馬車に近づいて、カンリューン四天王のアンジョーンに声をかけた。
「一つ聞かせてくれ」
「……なんだ」
「『一つの清らかな世界』(クリスタニア)の誰が、お前たちを扇動したんだ?」
「答える義務は無い」
力の無い乾いた口調で言う。
俺が竜人の血を俺が探していた事やプラムの薬の事は、クリスタニアの魔術顧問として協力していたレントミアが漏らしたという点は間違いない。
問題は、メタノシュタット王国の誰が、隣国の魔術師であるはずの「四天王」に情報を流したのかということだ。
「メタノシュタット王国に巣食う『虫』の名が知りたい」
「…………」
「ならば直接、脳に聞く」
俺は声を低め、中指と人差し指をアンジョーンの額に向ける。コケ脅しだが、賢者は何をするか判らないという恐怖からか、元魔法剣士は反射的に顔を引き攣らせ首を小さく振る。
「……ま、まて! 我らは『あのお方』の……御言葉のままに動いているだけだ」
「『あのお方』 ……とは?」
「そ、それは……」
俺はアンジョーンの言葉を待つ。
と、
「ムドゥゲ・ソルンの生まれ変わり……。預言者、ウィッキ・ミルン様よ」
――予言者、ウィッキ・ミルン?
それは聞いたことの無い名だった。
預言者を名乗るからには未来を見通す力でもあるというのか? まぁ正体の詮索は後だ。そして「ムドゥゲ・ソルン」は八百年前の予言者だ。俺の屋敷の本棚にも彼の書籍は置いてあるほどの人物だ。
つい先日も俺はムドゥゲ・ソルンの詩集を読んでいた事を思い出した。
――六つの希望、世界に僅かばかりの平穏が訪れるだろう
やがて禁を犯す者、王都の門番、第七の鍵
天神が進軍のラッパを吹き鳴らす時、光は再び集まるだろう
淀みを宿した者が、その列を乱すまで
意味ありげで、読む者によってはどのようにも解釈可能な四行詩を書き残し、破滅的な未来と、魔王の降臨を予言したとされている。
「なるほど? お前たちの行動は、、ウィッキ・ミルンの予言とやらに従っているというわけか?」
「そうだ……。魔王大戦も六英雄の登場も……竜の血を求め、摂理を破壊する『裏切り者』の出現も! すべて『あのお方』はお見通しよ」
六英雄? 裏切り者? バカげている。信じられるかそんな話。
「ググレカス、お前は『あのお方』の予言した運命には決して、勝てない」
「……なに?」
俺の僅かな心の揺らぎを目ざとく見つけ、アンジョーンが嗤う。
「ハハハ! 貴様の破滅、そして六英雄の敗北、全てが未来の運命――、我ら、ひとつの清らかな世界こそが最後に――」
高揚し叫んだところで見張り役の竜人に押さえつけられ、言葉は遮られた。
周囲で俺達を見送ろうと集まっていた竜人達も驚き注目する。ねじ伏せられたアンジョーンは呻くと、それきり言葉を発さなかった。
「運命? そんなもの……、俺が全部ひっくり返してやるよ」
俺は素の言葉でそう言うと、血走った目を向けるアンジョーンを睨み返した。
プラムの命を造りだしたあの日から――、俺はもうこの世界の「摂理」とやらから外れているのだ。
いや……違うな。
俺はそもそも世界の外側、摂理の向うから来たのだ。この世界に来た最初の日から、運命は自分の手で切り開く以外にない、そんな風に生きてきた。
死ぬはずだった自分を生かし、負けるかもしれない戦いを勝利に導き、魔王に滅ぼされるはずだった「世界」を救った。
ファリアやレントミア、マニュフェルノ。そして剣士ルローニィに勇者エルゴノート・リカル。三年以上共に旅をした仲間達と共に学んだことがある。
それは「予言」や「運命」、「摂理」なんて言葉よりも「今、生きている」人間の方がずっと強いって事だ。
「今さら何が『運命』だ。賢者をナメんな」
俺は外套を翻すと、心配そうに顔を覗かせる仲間たちの方へと歩き出した。
◇
「いろいろお世話になりました。長老様」
「賢者殿、それはこちらとて同じ事、全ては大樹のお導きじゃ」
見上げると天を覆う程に葉を茂らせた大樹が、朝日を浴びて金色に輝いていた。俺達がここを離れると同時に結界が作用し、大樹も竜人の里も外からは見えなくなる。
「…………プラム、病気がなおったら、遊びにきてね」
「くるのですー! そのときはお空を飛んでくるのですー」
「…………うん、必ずね」
「はいなのですー!」
ぎゅっと手を握るプラムとアネミィは、えへ、と互いに小さく笑ってから手を離した。
静かに見守る馬車の面々。ファリアにマニュフェルノ、そしてヘムペローザ。
イオラとリオラは御者席の、俺の左右に座っている。
レントミアはいつもの定位置の屋根の上だ。
出発、と声を上げようとしたその時。
「賢者殿……」
長老が何かを決意したような眼差しで、俺たちを呼び止めた。
「長老様?」
「最後に、聞いていただきたい話があるのじゃ……。これはもう……10年も前になるが、この村から一人の竜人が、外の世界に希望を求めて旅立ったのじゃ」
俺は、その言葉に耳を傾けた。
「魔法に長けた、美しく、大変心優しい若者じゃった……。すぐ戻るといって出て行ったきりそやつは、二度と戻らなかった。そして……その名を再び聞いたのは、3年ほど前じゃ」
「三年? ――まさか、その若者の名は……」
「……ルフュエル・デンマーン。……どこで道を間違え、迷いの森に入ってしまったのか。世界を……闇で覆うなどと……、魔王などと……」
長老の皺だらけの顔に苦渋が浮かぶ。
「にょ……、デ、デンマーン様、じゃと?」
ヘムペローザが身を乗り出す。
「あのお方は……とっても優しかったにょ! 黒い姿になられても、ワシや……忌み嫌われていた魔物をすべて愛して下さったにょ!」
長老がはっと目を見開き、ヘムペローザに視線を向ける。その言葉の意味を直感で真実と見抜いたのだろうか。
「寵愛の魔法をつかう、心優しい魔法使いじゃった。癒しと浄化。それが……奴の得意な魔法じゃったのに」
「人間共が……デンマーン様を、いぢめたからにょ……」
そう言って元悪魔神官ヘムペローザは唇を噛み締めて、押し黙ってしまった。
「そして、魔王となったあやつの噂を聞いて、もう一人、この里から旅立った女がおった」
「回想。あの……女性の竜人……? 怪我をしていた、一人旅の……」
「あ、あぁ!」
マニュフェルノが眼鏡の奥で目を丸くして、俺に視線を向ける。
……そういうことか、あの怪我をして倒れていた女の竜人、あの時助けた彼女はデンマーンを探していたのか。
「……ワシの孫娘じゃ。デンマーンを愛していたんじゃ」
長老が天を見上げ、ため息をつくように言葉をつむいだ。
「長老……おそらくそれは、我々が3年前、怪我をしていたところを助けた女性に違いありません。ですが……その後の行方は……」
俺は小さく首を振った。
「あぁ、良いのじゃ、賢者殿……ついな、つい……孫を思い出してな」
はは、と寂しげに笑うと長老は馬車から離れ、竜人達のほうへと踵を返した。しかし一度足を止め、皺だらけの眦を下げて、
「そのプラムという幼子が……あやつが小さかった頃に、よーく似ていたものでな。最後にもう一度、顔を見たくての」
「――!」
そうか、プラムを作り出した元になった「血」は、あの時、竜人を助けた時の血だ。
俺とマニュフェルノのローブに付着した血液が元になっている。
つまり、同じ遺伝子情報を持つ人造生命体、それが……プラム。
「ヒゲのおじぃちゃんー……!」
とたたっとプラムが馬車を飛び降りて、長老のもとへと駆けてゆく。
そのまま、わしっ! と抱きついて、
「また、ここに来ますのですー! アネミィちゃんも友達も、ヒゲのおじいちゃんも、カブ太くんも、みんなすきなのですー!」
「お、おぅおぅ……! いつまでも、待っておるぞ……幼子よ」
長老が目を細めて、プラムの頭を優しくなでる。
「はいなのですー!」
プラムが朝日のような笑みを浮かべて手を振って、馬車に駆け戻ってくる。
「さぁ、いくぞ!」
荷台に乗り込むと同時に、俺は馬車を発車させた。
後ろでは竜人達が手を振っていた。
プラムもヘムペロもぶんぶんと、いつまでも手を振り続けた。
――帰ろう。そしてまた……ここに戻って来ような、プラム。
「これから、どうするのですか?」
リオラが俺に尋ねる。隣のイオラも同じように首を傾ける。
「カンリューンの王都に寄り道してから……、そうだなヴァース・クリンでもう一度温泉に入りたいな」
「わぁ! また温泉に入りたい!」
「あぁ、俺も」
イオラとリオラが俺の両側から顔を見合わせて、微笑む。
「おぉ! それはいい! 私も実はまだ風呂に入っていないのだ!」
ファリアが女子としてはどうかと思う発言をする。
「そういえば、ファリアは温泉に、親父さんと来ていたんじゃなかったのか? 呼び出してしまって大丈夫だったのか?」
「あぁ、心配ない。父は二週間の湯治で泊る予定だから、まだヴァース・クリンに居る。グ、ググレ、今度は一緒に……しょ、食事でもどうかと……」
「ファ、ファリアの親父さんといっしょにか……?」
巨漢の鬼のような顔が思い浮かぶ。
「おー? あのおっきな人ですね! プラムも会いたいのですー」
「う……そうだな、考えておくよ」
俺達の馬車は徐々に速度をあげてゆく。
後ろに流れてゆく森の景色と空を眺めながら、これからの帰路に思いを馳せた。
秋の木漏れ日が、黄色や赤に色づき始めた葉の隙間から輝いていた。
<「◆6章 竜人の里へ! 編」 完>




