千年図書館(サウザンド・ライブラリ)の闇
俺は走っていた。走るのは苦手なのだが急いでいるので仕方がない。
深い森の中に忽然と切り開かれた竜人の里は異文化の香りに満ちていて、出来る事ならゆっくり散策などしたい。だが今は、曲がりくねりながら巨大樹の方へと伸びる道を走り続けていた。
結界に護られて外からは見えないと言われていた竜人の里は意外と広く、先ほどまで死闘を繰り広げていた広場を玄関口として、奥へ進むに従って家々の間隔は広くなり、野菜の植えられた畑や竜人の住まいが木々の間に隠れるように散在している。
あの広場は『出島』のような場所で、商売や物々交換などを行う、竜人と外界との交流の場なのだろう。
俺とファリアが目指す巨大樹はもう少し先だ。
「はぁ、はぁ……ちょ、ちょっとまてファリア、魔力強化外装が切れて辛い」
「まったくググレは相変わらず体力が無いなー。では、運んでやろうか?」
「い、いらんわっ!」
ファリアが伸ばした腕を、俺は身を屈めてひょいと避ける。
「まぁ遠慮する事は無いだろう、……な?」
「なんだよそのお姫様抱っこしたいオーラは!?」
俺は破裂しそうな心臓にムチを打って走る速度を加速させる。「いいぞ、まだ元気じゃないかググレ!」と、巨大な戦斧を背負った女戦士が、鉄製の鎧をガシャガシャ鳴らしながら笑顔で追いかけてくる。
一晩走り続けたすぐその後に、激しいバトルを繰り広げて俺を助けてくれたファリア・ラグントゥスには感謝感激の気持ちでいっぱいなのだが、俺の姉というか保護者気分で御姫様抱っこするのは勘弁してほしい。
「はっはっは、遠慮するなよ虚弱なんだから」
「うるさいお前が体力バカすぎるんだっ」
まてこいつー、うわぁあ!? と、男女で追い駆けっこなんて青春の一ページみたいにも見えなくも無いが、女戦士に捕まって「お姫様抱っこ」で運ばれたら事だ。
そんな状態のまま皆と合流でもしたら、賢者の威厳とか、信頼とか、リーダ的な信用とかが本格的に……ヤバイ。
とはいえ、実際俺は魔法力を相当消耗していた。四天王にボロボロにされた結界の修復に魔力を回したので、魔力強化外装まで手(魔力か)が回らないのだ。
それにファリアがトドメを刺したカンリューン四天王のアンジョーン、ベアトゥス、そして窒息寸前で悶絶していたウリューネンの「事後処理」に幾分俺は手を焼いたのだ。
結局俺は、それぞれ百回近い真名聖痕破壊術式を放ってようやく連中の魔術の源となる神や悪魔との契約を「破棄」できた。
今回の苦戦の原因となった真名聖痕破壊術式を見事に拒絶した連中の手段は「木を隠すには森の中」という諺の通りだ。
拒否防壁とはいうが、呪術や魔術の類ではなかった。
俺が対象となる情報を知るのは、検索魔法の「書物や石版の文字情報を読み取る」という特性によるものだ。連中がその特性に気がついたかどうかは知らないが、魔法剣士アンジョーン、筋肉強化魔術師のベアトゥス、そして熱線使いのウリューネン。三人がこの世に生を受けて初めて刻まれる「真名」が記された「出生記録」や「赤ちゃん手帳」に百近い偽の名前が書き込まれていたのだ。随分と地道でご苦労な事だが、俺との戦闘を想定し用意周到に準備されていたことが伺える。
そして俺はまんまと連中の「策」に嵌り、正確な「真名」を知ることが出来なかったのだ。
そう。実のところ俺の賢者しての「脆弱性」を突かれたのだ。
――俺の検索魔法が知りえる情報は、元となる書物に「間違い」や「嘘」が書かれていた場合、それを検証する術を持たないのだ。
そこまで考えた時、「闇」が千年図書館の書架の迷宮の奥で、息を潜めて俺をじっと俺を伺っている幻想が脳裏を過ぎった。
それは深く暗い深遠を、縁から覗き込んだ時の感覚に似ていて思わずゾッとする。
――プラムは……どうなんだ?
あの太古の書物から拾い集めた人造生命体の製法は……絶対に正しいと言えるのか? 俺は間違いなく書物から集めた知識の通りに練成を行った。だが結果はどうだ?
寿命の設定術式で与えた三日を過ぎてもプラムは生き永らえた。三十日を遥かに過ぎた今、プラムは寿命を迎えようとしている。
その誤差は、どこから来たのだろうか?
製法の何処かに間違い、あるいは……今回の四天王がそうしたように書物そのものに後から「書き加えられた」可能性は無いのだろうか?
超古代の魔法先史文明の書物だと俺が思い込んでいた資料に、最近書き加えられた項目は無いだろうか?
ゾワリ、と冷たい手が心臓の裏側をなぞった。
――と。
その時、俺の眼前に浮かべていた戦術情報表示の向こう側で、異変が起きた。
◇
「にょ!? なんだか妙なのが一匹残っているにょ……」
「……どうしたのですかヘムペロちゃんー?」
プラムの水晶ペンダントを通じて送られてくる映像中継の向うで、ヘムペローザがじぃっと何かを睨んでいた。プラムもその視線を追う。
二人ともワイン樽のゴーレムに乗ったままだが、もう周囲に危険な土人形の影は無い。
足元に山積みになった土砂がゴーレムの残骸であり、激しい戦いを物語っていた。
先ほどまで周囲に溢れていた恐ろしい土人形に代わって、竜人の子供達が好奇心に満ちた瞳でプラムとヘムペロの周囲に群がっていた。
更にその向こうでは、イオラとリオラが共に戦った竜人達に囲まれて何かを話している。笑顔を浮かべて話している表情から察するに、感謝されているようだ。
見ればイオラは早速、同じ年頃の竜人の女子達に囲まれていた。竜人の衣装は身体の一部を覆うだけのものが殆どで、腹部や胸が大胆に露出している。イオラは目のやり場に困るようで顔を赤くして竜人の娘たちの質問攻めに答えている。
傍らで半眼で兄を睨んでいるリオラがちょっと怖い。
とはいえきゃっきゃっと華やかな声が響いている所が流石は「主人公属性」を持つだけはある勇者のタマゴだな……と俺は半ば呆れ顔で嘆息する。
里に残っていた竜人族は殆どが老人と女性、幼い子供ばかりだった。更に驚いた事に「魔物」と俺達が呼んでいた、カブトムシ男やクワガタ男のような生き物が神殿の奥から怯えた様子で出てきた。
検索魔法で調べてみると、どうやら竜人の村では魔物から「瘴気」を抜き、共に暮らす方法があるという記述が確かに見つかって、俺は少々面食らう。
それでも四天王の侵略に立ち向かった里の男衆数名が大怪我をしているとの事で、マニュフェルノが馬車を「野戦病院」として治癒を続けていた。
アネミィの兄は復活したようで、妹アネミィと共に他の若者の面倒を見ている。
レントミアは馬車の上に立ち引き続き周囲の索敵を行ってくれているが、森の民エルフと竜人は友好関係にあるらしく、馬車の下から数人の竜人の娘たちが話しかけていた。
そして、ヘムペローザが先ほどから睨んでいるのは「巨大樹」の幹をくり貫いて造られた神殿の物陰だった。
目を凝らすと、確かに一体の土人形が周囲に紛れて隠れているのが見えた。土のゴーレムと見た目は同じだが……何かがおかしい。
「イオ兄ィ! あそこに最後の一匹がいるにょ!」
「なんだって!?」
ヘムペローザの声に、竜人達が一斉に怯えた表情を浮かべる。イオラがその声に短剣を抜き払い颯爽と駆け出した。リオラも兄の後を追う。
途端に、神殿の影に隠れていた土人形がビクッ! と驚いて逃げ出した。しかし数歩走ったところで盛大に転び、腰が抜けたようにあわあわと足掻いている。
「まてこの化け物!」
イオラの怒号に慌てて立ち上がったところで、バッ! ……と無抵抗、降参のポーズをとる。土人形なのに妙に感情が豊かだ。まるで土の中に何かが入っているような……。
「おまえ……ここを襲った土人形の親玉か?」
土人形がブンブンと首を振る。怪しすぎる。
「ねぇ……中も土なの?」
リオラが静かな声で言いながら……ガッ、とアイアンクローで土人形の顔面をワシ掴みにした。栗色の髪でその表情は伺えないが、なんだか怖い。
容赦なくジタバタと暴れる土人形の頭をギリギリと締め付ける。
「お、おいリオ……?」
イオラがその迫力に手を出しあぐねていると、「ぎゃわー!?」という悲鳴と共に土人形の顔面が割れ、中から人間の顔が現れた。
年の頃は若い……少女だった。ブラウンのショートカットの髪に赤茶の瞳。
全身を土で塗り固めて土のゴーレム百体を操っていた事から察するに、上級の魔術師であることは間違いないようだ。
レントミアの索敵結界で検知出来なかったのは、泥で表面を覆い、魔力の放射を遮断していたからだ。策敵の術式は土や木の中に潜むような敵は見つけにくい特性があるらしく、今後の改良点として留意しておこう。
土人形を操っていた少女は、どうやら四天王の手下らしかった。
リオラは相変わらずコメカミに食い込ませた親指と中指を離していない。
「痛い! ……いたたたた!? ちょっ!? ……ごめ! ……ごめんなさぃいいいい! いえ、すみませんでしたぁあたたた!」
ギリギリ……と見ているこっちが痛くなる万力のような握力。そういえばリオラは「おやつです」と軽く微笑んでクルミの殻を手で割っていたっけ。ファリアといい勝負が出来そうだな。
「お、おいリオ、もうそのへんで……」
「……女の子だから……?」
「へっ……?」
リオラが光彩の無い瞳で半笑いを浮かべていた。
イオラが目を白黒させて硬化する。その狭間でドロまみれの少女は失神寸前だ。
「あ、頭が割れちゃいま……す……」(ガクッ)
なるほど、四天王の真名聖痕を破壊しても、土ゴーレムが動いていた理由はこれだったのか。
だが、どうやらこれで完全決着というわけだ。
<つづく>




