★勇者になりたいと言われても
華やかな王都――メタノシュタットの西の外れ、麦畑の広がる農村風景の中に俺の屋敷は建っている。
地方領主の邸宅といった趣きを持つ屋敷は、通称『賢者の館』と呼ばれている。
ヒネリの無い呼び名だが、村人たちにそう呼ばれているのだから仕方ない。
白い漆喰が塗られた壁に、赤い屋根瓦という外観は小さいながら趣のある佇まいを見せ、見事に周囲の農村風景に調和している。
敷地は背丈ほどの高さの石垣に囲まれていて、結構な広さがある。
石塀の外側には綺麗な小川が流れ、石造りの古い橋が架かかり、その先は近隣の村人たちが行き交う道が畑の間を縫うように小さな家々を繋いでいる。
青い空にぷかぷかと白い雲が浮かぶ昼下がり。
村の広場では暇なマダム達が世間話に花を咲かせている時刻だ。
つい先日、ここから歩いて半刻(約30分)ほどの村の広場で、俺はマダム達の噂話を聞いてしまった。別に盗み聞きをしたわけではなく、買い物のついでに散歩をしていて耳に入ってしまったのだから仕方ない。
『賢者ググレカス様はお一人で大変ですわね』
『でも村長さまのお宅が王政府から支援を受けていて、賢者様にお食事を運んだり、お掃除をしたりしておられますのよ』
『あらま、それなら安心ですわね!』
『それに……噂では若いメイドさんが身の回りのお世話をしているとか』
『んま!? 賢者様はお若いんでしょう? ということはホラ……ねぇ』
『あらあら!』『んまぁ!?』
「んがぁああ!?」
そんなことを思い出し、書斎で一人悶絶する。
傍から見たら心に病を抱えた人のようだが、実際そんな噂が村のマダム達の間に広がっているらしい。
――あのアホ(プラム)に、買い出しを頼んだのは失敗だった……。
「あいつめ、村で何を喋ったんだ……?」
俺は、苦々しい思いで屋敷の庭に視線を戻す。
「まてー! まつのですー!」
眼下に広がる広い庭の木々の間を、緋色の髪の少女が駆けている。それは、俺が創り出した人造生命体のプラムだ。
どうやら脳天気に蝶々を追いかけまわしているらしい。
くるりとまわって追い回し、べちんと転ぶ。
俺の悩みなんてお構いなしで能天気この上ない。
一番のお気に入りとなっているこの二階の書斎から眺める景色はなかなかだ。
まず、涼しげな木陰を提供する広葉樹が植えられている広い庭が目に入る。
元の自然を活かすように設計された庭は、季節の花が楽しめる粋な配慮までなされている。
おそらくは王城お抱えの一級の庭師の仕事だろうが、今のところ手入れは王政府で全て手配してくれているようだ。
更に遠くに目を転じれば、地平まで続く麦畑と木陰をつくる木々とのバランスがなんとも牧歌的な風景が広がっている。青空に綿雲が浮かぶ様などは、一枚の絵画を見ている気分にさせてくれる。
今日のように天気の良い日は、遥か遠く白亜のメタノシュタットの王城の尖塔が望める。それは、大陸の大部分を統治するメタノシュタット王の住まう城だ。
俺はここでの暮らしが結構気に入っていた。
一日のんびりと読書をしながら、時折『検索魔法』で、借りに行くのも面倒な本をちょっと読んだりして過ごす。
腹が空けば村の給仕担当が届けてくれる食事を頬張り、時々ヒマだとじゃれついてくるプラムをあしらうという日々は悪くない。
隠遁で怠惰な生活に俺はすっかり馴染んでしまっていた。
『六英雄』の仲間だった勇者や剣士は、そんな平穏な生活が性に合わないらしく、俺抜きで秘宝探しや悪代官退治といった難易度の低いクエストをしながら、気ままな旅をしているらしい。
友人だった僧侶や魔法使いは、すぐ近くの王都にいると聞いてはいるが、この3ヵ月、特に連絡もとっていない。
「あいつら、今は何処でどうしているのやら……」
俺は少しだけ寂しさを感じ始めていた。
魔王が消えた世界、ハッピーエンディングを迎えた平和な世界には冒険なんて、もう残されてはいないはずだった。
俺が遠くに見える王都に視線をむけて感慨に耽っていると、どたどたという足音と共にプラムが勢いよく飛び込んできた。
「ググレさまググレさまー! お客様ですよー!?」
「だからせめてノックぐらいしろ」
俺だってプライバシーというものがだな……。
「玄関でお客様がお待ちかねですー」
「客? 誰だ……?」
客が来るとは珍しい。
俺は首を傾げた。
高名になったとはいえ、訪問してくる人間はあまり居ない。
別に人望がないとか人を惹きつけるオーラが無いとかじゃない。王政府が気を回し「賢者さまは休養中。火急の御用でも無い限り、近づかぬように」という御触れを出し配慮してくれた、というのが真相らしい。
そのせいか訪れてくる人間と言えば、掃除洗濯、食事担当の村のおばちゃん組合と、村長の娘セシリーさんぐらいのものだ。
ちなみに、セリシーさんは16歳。花も恥らうお年頃でなんといっても女子力が高い。長く美しい金髪を後ろで束ねて、切れ長の目が印象的な『村一番の美人』さんだ。
昨日も手作りのサンドイッチを運んできてくれたというのに、プラムがゲロ風味の煮込みにしやがったのだ。
出来ればお近づきになりたいと思っているのだが、『賢者様とお話なんて……とんでもない』といった風に、いつもそそくさと逃げてしまうのは何故なんだ?
「ググレさま? お客様は二人ですよー」
「……2人? どんなお客さんだ?」
俺はプラムに尋ねた。
プラムは指先で唇を持ち上げながら、難しい数式でも解いているかのように眉をまげて、うーん? と一呼吸。
「男の子と……女の子ですー!」
プラムはどうも記憶力が弱いので、玄関からこの部屋に来る途中で要件を忘れる事だってしょっちゅうで、根気よく話を聞いてやらねばならない。
俺の失敗作である人造生命体は、脳味噌が手抜きなのは否めない。アホの娘なのは俺の責任でもあるのだ。
二人の客が来た、と思い出せただけでも進歩だが、それ以上は聞き出せそうにも無い。
「男の子……と女の子? 村の子かな? まぁ……客人とあらば、出迎えねばな」
「はやくはやくですー!」
俺は急かすプラムに手を引かれながら、玄関へと向かった。
◇
「アンタが賢者ググレカスか!?」
「イオ! いきなり失礼でしょ!」
ぺちこん!
「痛っ!? 何すんだよリオ!」
いきなり頭をひっぱたかれた男の子が、殴った女の子に食ってかかる。
なによ? と睨み返した女の子とガンを飛ばしあい、ケンカが始まりそうな勢いだ。
「えと…………、君たちは?」
玄関前にはプラムが言うとおり、二人の客人が俺を待っていた。
二人の寸劇に呆気に取られていた俺は、かろうじて切り出した。
「「――あ!?」」
はっ、とした様子で二人が姿勢を正すと、同時に声を上げる。
「オレはイオラ!」
「す、すみません……。私はリオラと申します」
男の子――イオラと名乗った子は、元気だけが取り柄といったふうの少年。
女の子――リオラと名乗った子は、思慮深そうな瞳の落ち着きのある少女。
2人とも背格好はプラムよりも頭一つ大きい。年のころは12歳か13歳ぐらいだろうか?
「えと、……君たちは兄妹?」
「そう、俺が兄な!」
びし! と元気よく親指を立てて。
「不本意ながら……。妹のリオラです」
ぺこり、と行儀よく頭を下げて。
訪問客二人はどうやら『兄妹』らしい。しかもどうみても双子だ。
幼さを残した可愛らしい顔立ちに二重瞼の鳶色の瞳。髪はさらりと柔らかそうな栗色で、二人の共通仕様らしい。
イオラの髪は短く、リオラは肩にかかる程の長さ……と、それ以外は髪型を取り換えたらどっちがどっちか判らないんじゃないか? というほどよく似ていて、まぁ、なんとも可愛らしい。
「俺がググレカスだが、一体何の御用かな?」
俺はゆっくりと、穏やかな口調で問いかけた。
世間では賢者というとジィさんのイメージが一般的だ。若いというだけで俺が賢者だと俄かには信じてもらえない事だってある。
俺を訪ねてきたという二人は、俺の顔を見て驚いた様子でぽかんとしていたが、イオラが気を取り直したように一歩踏み出したかと思うと、高らかに声を上げた。
「賢者様、オレを……勇者にしてくれっ!」
「……え?」
俺はいきなりの突拍子もない申し出に、ずり落ちそうになるメガネを、指先で持ち上げた。
<つづく>