キョディッテル大森林の奇襲
国境の宿場町ヴァース・クリンを出立した俺達は一路、西に向かっていた。
パルノメキア山脈を右に望みながら進む街道は、メタノシュタットとカンリューンの交易のために整備され道幅も広く安全だ。この時間、数多くの行商や個人の馬車とすれ違う。
いつもならプラムが学舎へ登校する頃には、カンリューン公国の領内へと馬車は進んでいた。国境は小さな看板があるばかりで特に入国審査もない。両国の友好関係が長い間良好なお陰だろう。
ちなみに学舎はいま「秋の収穫休み」ということで休みだ。
村の農家の子供達が、借り入れの手伝いに駆り出されて休んでしまう季節にあわせて、学舎では十日ほどの「秋休み」を設けている。お陰でイオラもリオラも、プラムもヘムペロも宿題はあるにせよ、こうして旅に出ていられるのだ。馬車のメンバーが静かなのは、それぞれが宿題を片付けているからだ。
だがイオラとリオラは夕べのうちに宿題は全部終わらせたとかで、プラムとヘムペローザの宿題を手伝ってくれている。何かと頼りになる兄と姉と言った感じだ。
「賢者にょ! 馬車が揺れて字が書けぬのじゃが!?」
「そうか? この馬車は足が自慢だし、字ぐらい書けるはずだぞ。それが無理なら馬車が止まったときにすればいい。森で魔物に襲われれば止まるからな」
「賢者の冗談は笑えんにょ……」
「プラムの宿題は絵日記なのですー、マニュのお姉さんに絵を教えてもうのですー!」
「了解。まずはの基本と構図とパース、そしてペン入れの……」
「マニュ、そこまでやらんでいい!」
そんな平和の時間を過ごしながら進んでいると、なだらかな丘陵地帯の続く光景はやがて、緑の立ち木が目立ち始める。徐々に併走していた馬車達は、様々な方向へと分かれて進んでゆき、徐々に他の馬車の姿はまばらになった。
俺達は『パルノメキア山脈へ』という立て看板を右に折れ、北へと進路を変えた。目の前には黒々とした原生林が広がっている。これがキョディッテル大森林だ。
「ググレ、ここからは索敵結界を展開するね」
「頼んだぞ。疲れたら交代しよう」
「うん!」
屋根の上であぐらを組んで座っていたレントミアが、澄んだ声色でそう告げた。ハーフエルフとはいえ森の民エルフの血が騒ぐのか、レントミアは元気だ。
エルフ耳をぴんと立てて、鋭い目線で森を見つめている。
街に居るよりも「勘」も冴えるのだとか。
この森には危険な昆虫型の魔物や竜系の魔物が棲んでいる。戦闘が目的ではないこのパーティは、可能な限り遭遇を避けながら、馬車を進ませる必要がある。
その為にも「索敵」は重要だ。目と耳に頼るだけでなく、障害物に影響されない魔力糸の特性を利用した索敵結界は、パーティの生命線でもある。
「マニュ、忌避の祝福を馬車に唱えてくれ」
「了解。……魔の者、災い、危険、病、迷い、遠ざかりますように。祝福――!」
マニュが御者席の傍らで、呪文を詠唱し腕を振り上げ印を結んだ。いつもは特殊性癖ダダ漏れの残念少女だが、僧侶としての実力は折り紙つきだ。
この『祝福』の効果で低級な魔物や、遭遇しなくてもいい怪我や事故などをかなりの確率で防げるはずだ。
「完了。ググレ君、これでしばらくは安全……」
「ググレ! 上空五十メルテ、翼竜系が接近してくるよ」
マニュがいい終わらないうちに見張り役のレントミアが声をあげた。思わずマニュと眼鏡越しに目を見開いて見つめあう。
一瞬、馬車の空気が緊迫するが、上空を大きなコウモリのような羽を広げた細いトカゲのような魔物が静かに通過していった。
「……ラッキーだね。こっちを気にしていない。マニュの魔法のおかげだね」
レントミアがほっとした様子で屋根の上から顔を出して、俺達を覗き込んだ。
マニュの魔法は十分効果があったようだ。
「狼狽。わたし、逆を唱えたかと思った……」
「ははは、流石に俺もそう思った」
俺が笑うと、表情を強張らせていたマニュが、はぁと息を抜き小さく微笑んだ。赤みを帯びた瞳と白い肌が、森の中ではいつもと違う妖艶な雰囲気を醸している。
『祝福』は、マニュの『幸福消失』とは真逆の属性だが、逆もまた真なりなのだろう。
――治癒魔法を使える数少ない僧侶でありながら、禁忌の腐朽魔法という相反する二つの属性を、生まれながらにしてその身に宿しているマニュフェルノ。
ディカマランの英雄として俺達と共に旅をする以前は、生まれ故郷で忌み嫌われ、蔑まれ、半ば幽閉生活を送っていたという。
僧侶マニュフェルノは自分から積極的に話してくるタイプではないが、こちらが話しかければ普通に話してくれる。だが、いつもマイペースで他人とは違うと自ら一線を引き、集団の輪には入ろうとしない。それはどこか「俺」によく似ているのだが……。
馬車は徐々に深くなる森の中を、静かに進み始めた。
◇
道は大森林の中を縫うように走り、最終的にパルノメキア山脈を越える。だが、俺達の目的地は、山脈の手前にあるという「竜人の里」だ。
里のおおよその場所は、過去の冒険者達が書き残した日記や書籍から、俺の得意魔法、検索魔法地図検索で照合済みだ。
最後は多少歩かねばなるまいが、馬車だけで今日中にそこまでは至れるはずだ。
昼近く、俺達は森の置くのやや開けた場所で昼食と休息を取っていた。
そこは馬車を止められるスペースと湧水があり、太く年老いた木々が視界を遮っている。通常なら思わず気を抜きたくなるが、レントミアと俺は交代で警戒を続けている。
安全を確認した上でイオラとリオラ、そしてプラム達を休ませる。
「うんーっ! なんか身体を動かさないと鈍りそうだー」
「んっ! 私も!」
イオラが鞘に収まったままの剣をぶんぶん振り回す。
リオラも身体を動かしたい年頃なのか、驚くような勢いで正拳突き、中段蹴りと、ストレッチ代わりにこなしてゆく。
「流麗。二人とも若い、元気、かわいい……」
「あぁ、二人ともこのまま活躍しないのが一番なんだが」
「ヘムペロちゃん! チョウがいるいのですー!」
「こ、こらプラム遠くに行く出ないにょ!?」
プラムが水を飲んでからぱっと駆け出した。
秋になって俺の屋敷では見かけなくなったチョウが舞っていたのだ。
プラムはチョウを追いかけるのが大好きで、久しぶりに見る跳ねてはチョウに手を伸ばしている。
延命の薬の効果が何時までもつか――、そんな心配を他所に、今日で三日目を迎えようとしていた。残り二粒の薬は常に俺のポケットにあるが、それが尽きればプラムの命も尽きてしまうギリギリの瀬戸際に居るのだ。
俺は改めて旅の目的の重さに身が引き締まる。
「レントミア、お前も下に降りてきて休めよ」
「うん、流石に……お尻が痛いよググレ」
ぴょん、と俊敏な身のこなしでハーフエルフが屋根の上から飛び降りた。すらりと伸びた健康的な四肢と森の色に溶け込んだ髪の動きに目がいってしまう。
軽やかな着地は、魔力強化外装無しで見せた、レントミアの純粋なものだ。
「要望。お、おねがいレントミア君! 今のもう一回言って……」
「え? ……お尻が痛いよググレ?」
「嗚呼。破壊力すごい……」
くっはぁ! とマニュが頬を赤らめて身をよじる。不思議そうに小首をかしげるレントミア。
マニュ、お前は単語だけでも楽しめて……幸せだな。
俺は生暖かい笑みを僧侶に向けた。
「きゃぁああああああ! ヘムペロちゃんー!」
「にょわわわあああ!?」
突然、少しはなれた木の陰からプラムとヘムペローザの悲鳴が上がった。
「――プラム! ヘムペロ!?」
俺は弾かれたように駆け出した。
――魔物!? 索敵結界は半径五十メルテで展開しているはずだぞ!?
俺が見たものは悲鳴をあげるプラムと、尻餅をついた褐色の肌の少女、ヘムペローザの足に絡みつく人の腕ほどもある赤黒い巨大なミミズのような物体だった。
木の虚から伸びた、グニグニと蠢くミミズがペムペローザの足首に絡みつき、ぽっかりと開いた巨木の中に引きずり込もうとしている。
プラムが半泣きの顔でヘムペローザの腕を押さえ、引きずり込まれるのをなんとか阻止している。
「死肉虫か!?」
俺は駆け寄って、プラムと共にヘムペロの身体を抱きかかえた。
「ググレさまー!」「賢者にょおおお!?」
――地中から!? いや、もともとそこに息を潜めていたのだ。
動かずに潜んでいる相手は岩や木と見分けがつかず「索敵」できない。その脆弱性を突かれた格好だ。俺は焦りつつも、攻撃用の自律駆動術式を探す。そうしている間にも、ズルズルと少しずつヘムペローザがひきづられていく。
「……くっ!」
「おにょれぇええ! 下郎がぁああ! ワシを誰だと思っているにょおお!?」
と――。疾風のように駆け寄った影が、右手に持った短剣を振りぬきヘムペローザの足に絡みつく巨大ミミズを一刀で斬り捨てた。
ズッシャッアァ! と、突撃の勢いを両脚と片手で相殺する。
「イオ兄ィ!」
「にょぉおお! イオ!」
「ヘムペロちゃんっ! 怪我はない!? プラムちゃんこっちへ!」
素早く駆け寄ったリオラが二人の無事を確認し、腕を掴んでそのまま馬車へと駆け出す。
イオラは無言のままの険しい顔で、切断されて地面でのたうつミミズを蹴り飛ばした。
「賢者ッ! お前、敵が来るのが判るはずだろ!?」
「イオラ……」
その通りだ。抜かった。この……俺が。
イオラの物凄い剣幕に思わず俺は気圧された。少年の目は憤りの炎が揺れていた。それは心の底からプラムとヘムペロを心配していたからこその憤りなのだ。
「ったくしっかりしろよ賢者。その……お前だけが頼りなんだ……からさ」
「すまない、助かったよイオラ」
「ば、礼なんか言ってるなよ」
イオラが顔を赤くしてふい、と視線を外す。だが、おしゃべりしているヒマはなさそうだ。
「罠だよググレ! この水場は……連中の『狩場』なんだ!」
レントミアの緊迫した叫びと同時に、全方位の索敵結界が激しい警告を発しはじめた。
地中からの奇襲に気を取られているうちに周囲を取り囲むように魔物が迫って来ていたのだ。
「くっ!? 全員、馬車を背にしろ!」
「プラムとヘムペロは中に入って!」
「にょわわ!」「怖いのですー!」
リオラが二人を馬車に押し込める間に、俺は戦術情報表示を展開し、敵影を確認する。
その数は……10匹を超えている。全て、大型の昆虫型の魔物の群れだ。
「くそ、馬車を止めるべきじゃなかった……」
思わぬ奇襲に焦り、判断を鈍らせる。もはや逃げる事はできない。迎撃するしかない。しかし敵は全方位から来る。レントミアと俺の先制打撃でどこまで削れるか……どうする?
「平常。大丈夫ググレ君、焦らないで。いつもどおりにやればいい」
落ち着いた静かな声色に、思わずハッとする。僧侶マニュフェルノは馬車の横で既に呪文詠唱に入りつつあった。
そうだ。俺が指示を出さねば、この状況は打破できないのだ。
「イオラ、リオラ! すこし……いや、大いに活躍して貰うことになりそうだ」
「あぁ!」「はいっ!」
小気味のいい返事に励まされ、俺はギッと奥歯を噛み締めたまま、眼鏡を指先で持ち上げた。
<つづく>




