武器と防具の店、『なまくら亭』
空は高く空気は澄んでいて心地のいい朝だ。
風も無く穏やかで、遥か遠くのパルノメキア山脈まではっきりと見渡せる。旅をするには最高の天気だろう。
俺達は早々に荷物をまとめると宿を後にした。まずは整備を頼んでおいたイオラの剣を受け取りに『なまくら亭』へと向かう。
宿場町ヴァース・クリンは昨夜とは雰囲気が変わり、朝の清涼な空気の中で出発を急ぐ人々が慌しく動いていた。
俺とレントミアは夕べ遅くまで作戦を練り、戦闘への準備も万端だ。
キョディッテル大森林の旅は、否が応でも魔物との戦闘が避けられない。だが緊張感とは違う高揚感があった。こんな風にレントミアとの新しい『連携』の仕組みを早く試したくてウズウズするという感じは久しぶりな気がする。
「えへへ」
俺の横に並び、にこにこと微笑んでいるのは、ハーフエルフのレントミア。森の民であるエルフ特有の緑がかった髪が肩口で揺れている。
レントミアは右の薬指にはめた小さな銀色の『指輪』を眺めて、かなり上機嫌だ。
「……それ、嬉しいのか?」
「うん! だってググレがくれた指輪だしねっ」
「まぁそりゃそうだが……」
陽光にかざした銀の指輪は飾り気のないシンプルなものだ。
実は昨夜、レントミアと二人で急遽宿を抜け出して、夜の大通りの土産物屋で買ったものだ。本当は魔力貯蔵量の多い水晶のアイテムが欲しかったが、丁度いいものが見つからなかったので、銀製のシンプルな指輪にしたのだ。
俺達はその指輪に、戦闘で使う『特殊な術式』を仕込み、魔力糸の接続調整などを二人で協力して仕上げたのだ。
つまり、この指輪は共同作業の賜物だ。
美少年魔法使いが細い指に光る指輪を眺めて、うっとりと満ち足りた笑みを浮かべると、途端に鼻の利くメンバー達がざわめきはじめた。
「うそ……!?」「え……マジ!?」
目を白黒させているのは双子の兄妹のイオラとリオラ。なんだか二人とも肌艶がいいのは、十分いちゃついて心身ともに休んだからだろうか……?
「婚約。遂に決意したのねググレ君、おめでとう! 今から神に誓いをたてる?」
「は?」
目の下にクマを作って生気のない僧侶マニュフェルノが、妙な事を口走る。
僧侶らしく神に祈るしぐさを見せるが、何の神なのかは定かではない。せっかくお風呂に入ったというのに、指先と鼻の上に黒いインクが付着しているし肌つやも良くない。髪はいつもの二つ分けの揺る編みお下げだ。
夕べは徹夜で原稿を描き上げていたらしく、全体的にヨレヨレだ。女子力を神への供物にでもする宗派なのだろうか?
「マニュ、何を勘違いているんだ? 確かに特別な指輪だが、戦闘で使う術式が……」
「特別。キタァ! そう、指輪は特別なものですよね、わかります」
マニュが眼鏡を光らせてうんうん頷く。
「賢者、俺は祝福するぜ! レントミアさんもな!」
「お、おめでとうございます! 賢者様! レントミアさま!」
「成立。ググレカス君×レントミア君、そして私の原稿も完成」
マニュがパチパチと手を打ち鳴らし、双子の兄妹が祝福の言葉を投げかける。周囲の通行人や屋台の店主までもが何事かとこちらを伺う。
「ググレさまー、ケッコンして『おとーさん』になるのですかー? プラムは、プラムはどうなるのですかー?」
なぜかプラムまでが涙目になり俺のローブの裾をつかむ。赤毛の長い髪はリオラにツインテールにしてもらったらしい。
「種族や性別なんて些細な問題にょ! 賢者らしいにょ。……悔しいがお似合いにょ!」
ヘムペローザが爽やかな笑顔で親指を立てる。
「同性。南国のキャニフォールでは認められている。移住すれば無問題」
「だからなんで俺らが結婚するみたいな事になってんだよ!?」
「みんなありがと! これから二人でがんばるからね」
素早く俺の腕を絡め取って、周囲に微笑み応える美少年ハーフエルフ。
「お前も混乱を助長するような事を言うなぁああ!」
レントミア、お前絶対ワザとやってるよな……。
◇
朝から頭痛がしてくるような誤解を解くのにたっぷりと時間を費やしてから、俺達は武器と防具の店『なまくら亭』の扉をくぐった。
イオラの短剣は新品のように打ち治され、昨日までは錆が浮いていた中古品とは思えないほどにピカピカだ。
「お、おぉ! すげぇ! ありがとうよ! 賢者!」
フォン、と空気を切り裂く音も心持ち澄んだ音色がする。店内にいた強面の戦士がイオラの素振りを見て、「いい太刀筋だ、ボウズ」と真剣な様子で漏らしてくれた。
聞けばイオラの父親は「護衛業者」だったらしい。ある程度の剣術の基礎は父親から習っていたのだろう。その父親もかつての魔王戦乱で村を守る為に奮戦し戦死したのだ。
「イオ兄ぃ、なんだかかっこいいのですー」
プラムが羨望の眼差しをイオラに向けている。それはプラムだけではなくヘムペローザもマニュフェルノも、妹のリオラも同じようだ。
イオラは勇者志望だしこれくらいのオーラがあっていいだろう。なんて、自分に言い聞かせてみてもなんとなく胸が苦しいのはいつもの事だ。イオラには人を惹きつける輝きみたいなものがあるのだが、それはきっとこの先いろいろな場面で救いをもたらすだろう。
と、顔の刀傷が特徴的な店の主人が、俺に顔を寄せ囁く。
「賢者のダンナ。妙な連中が、嗅ぎまわってましたぜ」
「……妙な、とは?」
「おそらく聖堂教会の息のかかった奴らですが、賢者一行を見なかったかと。もちろん知らんと言ってやりましたが、気にくわねぇ。あいつらの目は……、俺らを見ちゃいねぇ」
――『ひとつの清らかな世界』(クリスタニア)か。やはり追って来たか。
「そうか、ありがとう」
俺は一枚の金貨を店のカウンターに置いた。
こういう生の情報は、検索魔法では決して手に入らないものだ。
店の主人にとって俺達は上客だ。ディカマランの英雄時代も世話になった店でもあり、得体の知れない連中に余計な事は言わずに居てくれたらしい。
俺は礼を言うと、店の扉に手をかけた。
「それと――」
店の親父がダミ声で、俺たち全員に聞こえるように声を上げた。
「ルーデンスの王族が、近々この町に湯治に来るらしいですぜ?」
「!」
俺は思わず足を止めた。それはレントミアも、マニュフェルノも同じだった。
ルーデンス。メタノシュタット王国の北に連なるファルキソス山脈に住まう勇猛な部族。それは俺達ディカマラン最強の女戦士ファリア・ラグントゥスの故郷でもある。
その「王族」となれば、しかも湯治となれば、腰痛持ちのファリアの父親が思い浮かぶ。しかも父親を一人でよこすとは思えない。家族水入らず、おそらくはファリアも来る。
「戦士。ファリアちゃんが……来る?」
「でも、ボク達の旅には間に合わない」
マニュもレントミアもすぐに理解したようだが、その通りだ。
「だが……こいつは、運が向いてきた」
そう――、いざというときの「保険」にはなりそうだ。
俺は武器屋の主人に言伝を頼むべく、金貨を更に渡そうとしたが、顔に傷のある主人は首を横にふり、筋肉で出来た顔面に笑みを浮かべる。
「賢者のダンナみずくせぇぜ! あのお仲間の女戦士さんでしょう? ルーデンス族のあのバカでけぇ『斧』を整備した事は今でも覚えてまさぁ。言伝があるなら、アッシが責任を持ってお伝えしますぜ!」
「そうか……、すまない恩に着る」
俺は武器屋の主人に『竜人の里』ヘ向かう事を教え、もしルーデンスの女戦士が来る事があれば伝えて欲しい、と言い残し店を後にした。
――ファリア、また逢えるといいが。
俺は屈強な身体と、鎧の匂いと、エメラルド色の瞳を思い出していた。
◇
程なくして俺達は駐馬場へと戻ってきた。
「さて、『施錠魔法』を解呪するか……、ん?」
何やら、俺達の馬車「グラン・タートル号」の前に立て札がある。昨日俺達が去ってから立てられたらしい即席のものだ。見れば手書きの注意書きだ。
『盗賊のみなさまへ。
悪いことは言わない。この馬車に手を出すのだけはやめておけ。
盗賊を擁護する気は無いが……気の毒で見ていられない』
俺が立て札を眺めていると。隣に停めてあった行商馬車の主がやってきて、
「昨夜だけで五人がその馬車の周りで発狂したようにのたうちまわって、そりゃもう大変だったんだぞ……」と苦虫を噛み潰したような顔で溜息をついた。
「きゃはは、効果抜群だったみたいだね」
レントミアがけらけらと笑う。
隣の馬車の持ち主は、おかげで賊は全員檻にブチこまれたようだがな、と日焼けした顔で笑っていた。まぁ何にせよ馬車が無事だったのは良かったが。
「だが、妙なヤツらも捕まっていたなぁ」
「……?」
「教会の僧侶みたいなヤツと、白マントのカンリューンの魔法使いらしいヤツだったが……」
――クリスタニアか。
メタノシュタット聖堂教会とカンリューンの魔法使い軍団は繋がっている。赤いローブの上級魔法使い、ディンギル・ハイドとその仲間、『四天王』がそうだったように。
「うかうかしてはいられないな……」
だが、これで連中の目的が見えてきた。
魔王の復活を阻止する、という名目を唱えて活動しているが、それだけじゃない。
狙いは俺が見つけ出した『竜人の血』の秘薬を合成する方法か、もしくは、人造生命体――プラムそのものではないのか?
なぜならディンギル・ハイドは決闘の前、「屈強な兵士を作るため、ファリアの一族、ルーデンスの血脈が欲しい」とその行動の理由を明かしていたのだ。
その延長に『竜人の血』による生命強化の可能性、つまりは兵士そのものを強化する方法としての、『竜人の血』を求めている可能性があるのではないか?
これはあくまでも憶測だが、俺達を捕まえる為だけに追ってきたのなら、ここで襲えばいいのだ。それをしないという事は、俺達を『泳がせる』つもりなのだろう。
「準備。完了。ググレ君、皆乗り込んだ」
「ググレにょー、早く馬を動かすにょー!」
――竜人の里か。一筋縄では終わりそうにないな。
俺は全員が馬車に乗り込むのを待ちながら、遥か遠方に広がる青い山並みを見つめ、ひとりごちた。
<つづく>




