焦熱の円環魔法(サイクロア)!
「招来。幸福消失――!」
御者の席で呪文詠唱を終えた僧侶マニュフェルノは、馬車を止めようと前方で体当たりを繰り返す狂狼属の群れに向け、両腕を振り上げた。
途端に、マニュの手の先から紫色の霧のような光が放たれて、狼の群れに降り注いだ。それは俺の開発した「演出魔法」に似ていた。
「わー、なんだか綺麗なのですー!」「これは何の魔法にょ!?」
背後で様子を見ていたプラムとヘムペローザが目を丸くして俺の背後から顔を覗かせる。
「危ないプラム! この光は危ないんだ」
俺は二人を手で押しとどめる。
マニュフェルノの放った紫色の光は狼たちを包み込むと、すぐに霧散し消えてしまった。
毒霧のような光に包まれてた狂狼属は、さして意に介したふうも無く、再び俺の操る「魔法の馬」への体当たりを敢行しようと、陣形を整え直してゆく。
「気をつけろマニュ、俺たちを巻き込むなよ!?」
「笑止。ググレ君、私の魔法なんか効かないはず……」
「お前の魔法はどこからどこまでが効果かわからんだろうが!」
思わず横で丸眼鏡を光らせて薄ら笑いを浮かべている僧侶に、ツッ込みを入れる。
そう。僧侶マニュフェルノの魔法の恐ろしさは、ここから始まるのだ。
先頭を疾走していた狼属の一匹が、馬への体当たりを狙って方向を変えたその瞬間、――ゴキリ、と鈍い音が響いた。
ギャウッ!? と悲鳴をあげた狼は、そのまま体勢を崩して転び、ゴロゴロと草原の向うへと消えていった。どうやら狼は「不幸にも足を挫いて」しまったようだ。
と、反対側を走っていた狼が突然嘔吐。口から何かをキラキラと撒き散らしながら戦線を離脱してゆく。どうやら「不幸にも」食べたものに当たったらしく、突然腹痛に見舞われたらしい。更に後続の狼は、その吐瀉物で足を滑らせて転倒、したたかに頭を打ち付けてた。不幸すぎる。
「不幸。絶賛上昇中……うふふ、みんな不幸になればいい」
「いつ見ても嫌な魔法だな……。ていうか下降中の間違いだろ」
俺は僧侶マニュフェルの放った魔法、幸福消失に俺は改めて戦慄する。
炎や氷、雷といった魔法使いの魔法とはまったく異なる系統、相手の「幸運値」を奪い取る「腐神」の顕現だ。
普通、僧侶の魔法といえば、神の力で魔法防御力を高めたり、攻撃に対しての耐性を高めたりと前向きなものをイメージするが、マニュの魔法は真逆で後ろ向きだ。相手の幸福値を奪い去り、こちらの攻撃の命中率を高めたり、相手が勝手に自爆したりと、相対的にこちらには有利には働くのだが……。
恐ろしいのは効果がどれくらい続くのかマニュ本人も判らない事だ。
俺が鉄壁の対魔法防御を持っているとは言え、絶対に浴びたくない魔法だ。
「だが、マニュのお陰で前方はだいぶ掃除できた。あとは、王だ」
前方の狼は大分追い払ったが、後方で荷台を狙う狂狼属の群れは増える一方だ。狼どもの『王』を仕留めるしかない。
「このやろっ!」
「はあっ!」
イオラとリオラが飛び掛ってくる狼を叩き落せているのも、馬車が速度を維持しているからだ。
「もう少しだけがんばってくれ、今終わらせる!」
と俺は二人に声をかけ、御者席に立ち上がった。
「――レントミア! 準備は?」
俺は屋根の上の魔法使いに向かって叫んだ。
「いいよ、来て! ググレ」
マニュフェルノが前方の「露払い」をしている間、レントミアは円環魔法励起の準備を終えていた。
ハーフエルフの魔法使いが、馬車の屋根の上で『円環の錫杖』を掲げたまま、俺に向けて細い腕を差し出した。
「すまないマニュ、少しの間手綱を頼む。魔力糸は馬に繋いだままだ、お前の魔力を流し込めば馬は言う事を聞く」
「困惑。この速度では自信がない……」
「大丈夫だ、とにかく前を見て速度を維持、道はしばらく真っ直ぐだ」
俺はマニュに手綱を手渡し、その白くて小さな手を包み込むように握り、そして魔力糸を移譲した。中身はどうあれ女の子の柔らかな手にちょっとドキリとする。
「体温。指先で感じるググレ君の体温、ハァハ……」
「いいから前をみてろ!」
頬を染めてニヘラァと口元を緩ませる僧侶の頭を掴み、ぐりんと前を向かせる。
俺はそのまま馬車の屋根に飛び乗った。
思った以上に屋根の上は振動が激しく、魔力強化外装無しでは立つことすら難しい。
「待たせたな、いくぞレントミア!」
「うんっ!」
ハーフエルフの美少年が微笑み、頭上にいくつもの火球を発生させた。
それは爆炎弾の魔法だ。
だが、今それは円環魔法の材料でしかない。
レントミアは俺の腰に左腕を回してしがみついた。俺はレントミアの細い身体を右手で支えながら、戦術情報表示で目標である狂狼属の王の位置座標を把握する。そして魔力糸を二百メルテ後方の『王』めがけて大量に放出する。
糸の先端は『王』の身体に触れた瞬間溶けて消えてしまうが、それでも構わない。座標さえ正確に把握していればいいのだ。
「目標座標固定よし、撃て! レントミア!」
俺が叫ぶと同時に、レントミアは右腕で『円環の錫杖』を回転させ、頭上で舞っていた魔法の炎を掬い取った。
それはまるで虫取り編みでチョウを捕らえるかのような動きだ。
と、炎の魔法を絡めとった錫杖杖の先端が、眩い輝きを宿しはじめた。
ギィイイン、と甲高い音を奏でながら、赤い火球はやがて、小さな小指の先ほどに凝縮され、輝きを増してゆく。それはもはや直視できないほどに眩しい。
レントミアの魔力はサイクロアに集中し、脚部に展開していた魔力強化外装が途切れた。
支え無しでは立つことすらままならないレントミアの身体を、俺は後ろからぎゅっと抱きしめた。
「爆炎――円環魔法ッ!」
レントミアが凛とした声を上げて、錫杖を振り抜いた。
――ビシュンッ!
空中を切り裂く弾丸のような速度で、小さな光の粒が夜空に消えてゆく。
それはあっという間に闇に飲まれ見えなくなった。
「いっけぇええ! ググレっ!」
「あぁ!」
俺の左手に繋がっている魔力糸は、確かにその大熱量のエネルギー体を捕らえていた。
僅か――、一秒。
「ここだぁあああっ!」
狂狼属の王の頭上に『光点』が達した瞬間、俺は裂ぱくの気合と共に、左手を振り降ろした。
レントミアが放った光の弾丸は、俺の魔力糸の誘導に合わせ鋭角的に急降下し、狼の王の背中を捕らえた。
直上からの急降下爆撃のような一撃。
次の瞬間、まるで陽が昇ったかのような輝きが馬車の背後の地平から噴出した。火球は見る間に膨れ上がり、辺り一面の草原をまるで昼のように照らし出した。
遅れて、重々しい地響きと衝撃波が、馬車と周囲の狼達を揺さぶった。
「うわぁああ!?」
「な、あれはっ!」
「きゃわわわー!?」
「にょぉおお!?」
眩んだ目が慣れてきた俺達が見たものは、キノコの形をした赤黒い爆炎が、天に立ち登ってゆく光景だった。
レントミアの必殺魔法、円環魔法は炎や氷などの魔法力を集め、円形の錫杖で加速圧縮、エネルギーを何乗倍にも増大させて撃ち出すものだ。その圧倒的な破壊力の前では如何なる魔法防御も無効だ。
俺とて直撃を受ければ防ぎ切れる自信は……無い。
戦術情報表示に狂狼属の王の反応は影も形も残っていなかった。視界の隅では爆発の残照に照らされた草原を、他の狼たちが尻尾を巻いて散り散りに逃げ去ってゆくところだった。
「えへへ、やったね!」
「道路に大穴を開けてしまったかな。……ていうか、離れろレントミア」
「んっ……ダメ、足に力が入んないもん」
ますますぎゅむっと腰にしがみつく美少年ハーフエルフをぐいぐいと引き剥がしながら俺は、ようやく安堵のため息をついた。
<つづく>




