狡猾、狂狼属(バブレス・ウォルフ)の王(ロード)
襲撃を終わらせる最短の方法は、頭を潰すことだ。
だが、『狂狼属の王』は、俺達の馬車から二百メルテ以内に近づく事も無く、後方で手下共に攻撃の指示を出し続けている。
高い知能を持ち、数十頭の狂狼属を統率する狼の王は狡猾だ。
「ふん、そこに隠れていれば安全というわけか……ならば」
俺は戦術情報表示で拡大表示した狼の群れの最後尾にいる王に向け、魔力糸を幾本も伸ばした。
――直接脳に認識撹乱用の逆浸透型自律駆動術式を感染させてやる。
しかし、『狂狼属の王』に魔力糸が接触した途端、まるで溶けるように糸が拡散し、本来の機能を果たさない。
「くっ!? こいつ、表皮に防呪を纏っているのか!」
恐らくは重金属を多く含んだ土や泥を全身の毛に付着させ、魔法力の減衰効果を狙った天然の魔法シールド、防呪を形成しているらしい。
一瞬触れただけで不確かな情報だが、おそらく最大火力の火炎魔法でも致命傷には至らない魔法防御を誇るだろう。
何よりも二百メルテも離れていては魔法はおろか、大型の矢でも届かない。
――こいつは……やっかいだな。
馬車の後方を警戒していたイオラとリオラは、不安げに暗闇の向うを凝視し続けている。
周囲は陽が落ちてから大分時間がたち、薄明かりの中、襲撃のスキを狙う狼達の姿が僅かに見えるばかりだ。
「くそ、ぜんぜん見えないぞ!」
「イオ、あまり顔を出さないで、飛び掛ってくる!」
狼は馬車の後方で飛び乗る機会を窺っている。敵を示す赤い光点が十体ほど、ピッタリと真後ろにつけている。
イオラが剣を抜き放ち威嚇しているお陰で、プラム達のいる荷台への飛び込みという最悪の状況は阻止できている。
「燐光。ウィル・オー・スプライト! 持続時間は……五分」
僧侶マニュフェルノが御者の席に立ち呪文を詠唱し終えた。
途端に、馬車の周囲の空気がオーロラのような黄緑色の淡い光を放ち、ぼんやりと馬車の周囲十メルテほどの範囲を照らし始める。暗闇に慣れた目にはこれでも十分だ。
俺の指示でマニュフェルノが一分ほどかけて詠唱していた魔法が、今ようやく効果を発揮しはじめたのだ。一般的に僧侶の魔法は、レントミアのような魔法使いよりも更に詠唱時間が必要となる。
俺が暗い街道を走り続けていられるのは、魔力糸による前方警戒を行っているからだ。レーダーやソナーの要領で路面や障害物を検知している。
とはいえ、肉眼による目視ほどの効果は無いので、やはり照明魔法はありがたい。
「マニュの僧侶呪文、役に立つじゃないか!」
「賢者。ググレ君もかなりがんばってる、私わかるよ」
「マニュ、お前……」
俺は、おもわず笑みを零した。
何故なら俺は馬車のエンジンである魔法の馬の制御、前方路面警戒、戦術情報表示による戦況分析、後方の『王』への対処と、同時並行で多くの術式を励起して対処しているのだ。
これこそが、並みの魔法使いには真似の出来ない「賢者の魔法」というわけだ。
とはいえ、地味なのでいまいち働きを理解して貰えない場合が多いのだが。
――オギャゥオオオオオオオオン!
馬車の後方から、人間の赤子と野獣の声を混ぜたような不気味な遠吠えが響いた。
「な、なんだ!?」
「この声……この狼達に命令してる……!」
イオラとリオラの顔に緊張が走る。『王』が新たなる指示を手下の獣達に出したのだ。
周囲の方位陣形を狭めていた狼の赤い瞳が、一層ギラリと攻撃的な光を帯びる。
狼たちが陣形を変え、前方と後方に集まり始める。何かを仕掛けてくる気だ。
「マニュ、今回ばかりは手が足りない、アレを唱えてくれないか?」
「不幸。みんな不幸になればいい……的な魔法?」
「そうだ。マニュの幸福消失魔法。今回は前方の群れにぶちかましてくれ」
「了解。狼さんたち、不幸になればいい」
僧侶の魔法と言えば『祝福』や『治癒』を思い浮かべるが、マニュフェルノは特別だ。
『不幸』『腐朽』と、ネガティブで使いどころに困る魔法が使えるのだ。
と、前方に集まった魔物の一団が、馬車を引く馬めがけて突進を仕掛けてきた。体当たりを受けた魔法の馬、スターリング・スライムエンジンがぐらりとよろめき、馬車の速度が更に落ちる。
「はわわー!」「こら賢者! 揺れすぎだにょ!」
「くっ……こいつら!」
俺は呻いた。前方に集まった魔物が行く手を遮り速度を落とさせ、後方から馬車の荷台を狙うつもりなのだ。魔物のリーダーはよほど頭の回る獣らしい。
既に数匹の狂狼属が荷台へ飛び乗ろうと、徐々に速度をあげながら接近していた。後方にはおよそ十匹ほどがひしめいている。
「イオラ! 後方警戒! 馬車に飛び乗らせるな!」
「まかせと、けえええっ!」
バチィイン! と、早速飛び掛ってきた狼の鼻っ面に短剣の一撃を叩き込む。振り抜いた短剣の一撃に、狼が悲鳴をあげながら暗闇の向うへと消えてゆく。
「イオ兄ぃ!」「イオラ気をつけるにょ!」
怯えていたプラムとヘムペロだったが、憧れの『イオ兄』の活躍に一気に元気を取り戻したようだ。
「チョロイもんだぜ! ――おらよっ!」
馬車の後方には腰の高さの落下防止の板がある。それを噛み砕こうと喰らいついた狼の脳天を、イオラは思い切り短剣で殴りつけた。
と、剣を振り下ろした隙を突いて、後方のもう一匹がイオラめがけて飛び掛った。
「! やべっ――」
「はああっ!」
すかさすリオラの前蹴りが、狼の鼻っ面を蹴り飛ばす。見事にヒットした蹴りに、狼は空中に投げ出された。
「さ、さんきゅ、リオ」「油断しない」「あぁ!」
息のピッタリあった二人がいる限り、しばらくは持ちこたえられそうだ。
「ここは一匹も通さなねーぞおっ!」
イオラは荷台の最後尾にガシッと片足を乗せて魔物の群れに大声で吼えた。
鋭い視線で魔物の群れを睨みつけ短剣をすらりとかざしてみせると、狼達は怯んだように見えた。
その瞬間ドウッ! と左右で火柱が立ち上った。レントミアの火球攻撃で、馬車に接近したきた狼は今のところ討ち払われている。
「ググレ、でもこれキリがないよ!」
レントミアが弱音めいた悲鳴をあげる。だがそれは本気ではない。
別の何かを狙っている声色だ。
髪をなびかせて振り返るハーフエルフの瞳は、俄かに悪戯っぽい光を帯びていた。
「仕方ない。こいつ等のボスを狙う。……一撃で決めるぞ」
にっ、と口元を曲げたハーフエルフが腕を天に掲げた。
「円環の錫杖、――!」
レントミアは手のひらに光を集めた。光の粒子は一瞬で杖の形に収斂し、杖の先に大きな円形の虫眼鏡をつけたような不思議な杖を形作った。
それは、魔法使いブラムス・レントミアの必殺魔法、円環魔法を発動させる杖、『円環の錫杖』と呼ばれるものだ。
「ググレ、ボクは今から円環魔法を発動する。だけど正確に狙うには『狂狼属の王』は遠すぎる」
ハーフエルフの少年が、目を細めて頬にかかる長い髪を耳にかきあげた。
「あぁ。レントミアが撃って……俺が狙う」
レントミアが頷き、俺の瞳を見つめかえす。考えていることは同じらしかった。
――大火力の円環魔法による超遠距離射撃で、『王』を仕留める!
狡猾な頭脳、低レベル魔法は全て弾き返す防御力を誇る『狂狼属の王』を倒せば群は崩壊し、戦いは終わる。
その為にはレントミアの強大な破壊力を誇る必殺魔法、円環魔法による攻撃が必要となる。
だがそれは、通常よりも長い呪文詠唱時間と、他の魔法を同時励起できないという弱点を抱えることになる。
「そういうコト。じゃググレ、ボクをちゃんと抱きかかえてね」
「……それが狙いか」
「だって仕方ないじゃん? 魔力強化外装も切れちゃうし、落ちたら食べられちゃうよ?」
可愛らしく微笑んで舌先を出すレントミアに、俺は苦々しい視線を返す。
だが、レントミアとの久しぶりのコンボ攻撃に、俺は全身が高揚してくるのを感じていた。
<つづく>




