★天国の馬車――グラン・タートル号
時刻は午後の四時。
大地と空を隔てる山脈の上で黄色い光を放つ太陽が、遥か遠方に望む王都メタノシュタットの白亜の城を照らしている。
雲ひとつ無い空は吸い込まれるように高く澄んでいるが、太陽と反対側の地平線は徐々に光を失って陰に覆われつつあった。
空に目を向ければ空高くトンボが舞っている。その姿は元の世界と同じだが、尻尾の異様に長い小型の翼竜じみた生き物が、時折トンボを空中で捕食している光景が見られるのが、異世界の秋ならではだ。
「では、出発するぞ!」
俺は背後の荷台を振り返り、手を振り上げてみせた。
馬車『グラン・タートル号』の荷台には四人が乗り込んでいる。
「前方よし、しゅっぱーつ!」
荷台の屋根の一番前に陣取って俺の頭の上で脚をぶらぶらさせているのは、師であり友人のハーフエルフ魔法使い、レントミア。
「うぉお! 早く前衛になりたーい!」
「……少し落ち着いて、イオ」
荷台に乗り込んでいるのは勇者志望の双子のイオラとリオラ。元気が有り余っている様子の兄のイオラに、冷静な妹のリオラ。栗色の髪と瞳を持つ二人はいつも仲良しで羨ましい。
二人の胸には『勇者の試練』を乗り越えた印として授けたペンダントが光っている。『勇気の証』と『慈愛の滴』――。
これは俺が二人に与えたお守りで、二つのペンダントが離れた時は、互いの場所を光で指し示すという効果がある魔法の品だ。
「ググレさま! みんなと、みんなと一緒の旅なのですねー!」
「にょはは、無料で旅行とは賢者め、気前がいいにょ!」
病み上がりなんて事を忘れさせるほどにわくわくと瞳を輝かせているプラム。それと、見舞いに来たどさくさで同行すると言って聞かないヘムペローザもちゃっかり乗っている。
ヘムペローザの施設には数日旅行する旨の手紙を送る手間が増えたが、プラムもコイツが居た方が楽しいようだし、致し方ない。
嘆息しつつも俺の頭の片隅には、――下手をすると最後の旅になるかもしれない。という一抹の不安があるのは正直なところだ。
無論――、そうならないようにする為の旅なのだ。
馬車の荷台には、「竜人の血」を混ぜるだけでプラムの延命を可能とする薬になるように調合済みの原料も積み込んである。
屋敷で複雑な工程を最終工程まで終えた材料なので、血を現地調達できれば、そこですぐにでも命を繋ぐことが出来るからだ。根本的な「治療薬」は屋敷に帰ってからの研究になるが当面はしのげるだろう。
四人の隙間には旅に必要な水や食料に毛布と、お菓子がぎっしり詰め込まれている。
もはや冒険のパーティというよりは、遠足バス状態だ。
「お前ら……もう少し緊張感を持てよ」
呆れ顔で半笑で言う俺だが、もちろん不安の方が大きかった。
目的地はティティヲ大陸のはるか西、カンリューン公国の版図に位置するパルノメキア山脈の懐に広がる太古の森、キョディッテル大森林。
ここから馬車で五日の行程だ。
プラムの薬が持つかという不安は勿論のこと、『竜人の里』に赴き、血を、プラムの命を救う為の血を手に入れられるかが問題だ。
相手は人間と同じ知性を宿した存在だ。
方法は話し合いと説得――頼み込んで手に入れるしかないのだ。
高い魔法力と無限とも言われる生命力を持つ種族は、人間嫌いで交流を嫌う事でも知られている。
――だが、望みは……あるはずだ。
馬車の後ろでヘムペローザと肩を並べ、空のトンボを指差しているプラムを見て、俺はすっと目を細めた。
俺はそのまま視線を右に向ける。そこには住みなれた俺の「賢者の館」が見えた。
――静かに本を読んでいた生活とは……しばらくの間お別れか。
程よい広さと静けさに沢山の本、広い庭には季節の花が咲いていて、蜜を吸いに来たチョウをプラムが追いかける。
また、そんな生活に戻れるだろうかと、思わず思いを馳せてしまう。
早いところ面倒ごとは片付けて、平穏な生活に戻りたいなんて、出発前からホームシックな俺は、どうも旅には向かないのかもしれない。
そんな気持ちを振り切るように、握った手綱を思い切り振った。ビシッとこぎみよい空気を切り裂く音と共に、馬達は無言で動き出した。
俺は馬車『グラン・タートル号』の操縦席にあたる、御者の席に腰かけている。
馬車を動かす為の馬――四足ロボットのような魔法の馬、スターリング・スライムエンジンを操る為だ。
魔法の馬は、方向と出力の操作に魔力糸が必要となる。従って操作できる人間は限られる。俺か魔法使いレントミア、あるいは魔力を持った僧侶だ。
俺はワイン樽に四本の足が生えただけという、まるで幼児の描いた絵のような意匠の馬から伸びる手綱を握っている。見た目は普通の手綱だが、少ない魔力消費で魔力糸で接続したまま操作できるように工夫した特別なものだ。
ギシッという軋み音を一瞬鳴らし、馬車の車輪がゆっくりと転がりはじめた。
「動いたのですー!」
「プラム、あんまり身を乗り出していると落ちるから、注意しろよ」
「はいなのですー!」
足回りのサスペンションに金をつぎ込んだディカマランの六英雄仕様の馬車は、石畳や郊外の未舗装の不整地でも乗り心地がいいのが自慢だ。
本当は僧侶マニュフェルノも乗るはずだったが、指定の時間である四時を過ぎても姿を現さなかった。
「予定が変わって急に出発する」旨の手紙を改めて送ってはみたが、急な変更では間に合わなかったのだろう。仕方なしに今回マニュフェルノは置いてゆく事にする。
俺は半ば諦め気味に、出発を宣言したのだ。
少しでも早く国境に到着したかったのだ。
屋敷から西に延びる街道をひた走り、夜通し走り続ける「物流キャラバン隊」に紛れてしまえば、翌日の昼には国境の宿場町、ヴァース・クリンに着けるからだ。
今のところ、『ひとつの清らかな世界』(クリスタニア)の人間も、王政府の役人も屋敷に近づいてくる気配は無い。
単に政治的な手続きに手間取っているのか、そもそも俺たちを捕らえたり尋問する気がないのか……?
だが、検索魔法では今この瞬間、起こっている事までは知る由も無いのだ。
誰かが議事録や記録簿に書きとめて「書籍」になれば、あるいは検索魔法で見つけられるかもしれないが、今のところその気配はない。
秘密結社である以上、記録と残さないように口頭のみで会議をしている可能性もあるだろうし、彼らの実体についても情報は入手困難だ。
とにかく、先を急ぐ意味でも追手からの距離を確保する意味でも、今夜は馬車を止めずに走り続けるつもりだった。
夜の街道で馬車を止めれば、狂狼属などの魔物に囲まれてしまう危険もあるからだ。
国同士を繋ぐ「物流キャラバン隊」は、四頭立ての重装甲の馬車を走らせ、魔物の襲撃を受けないようにして隊列を組んで夜通し走ってゆく。
不急の場合以外は行わない危険な「夜間移動」を個人の冒険者や商人の馬車が行う場合は、物流キャラバン隊についてひた走り安全を確保するのが一般的なのだ。
俺たちにそんな芸当が出来るのは、魔法と鉄とスライムで作られた機械の馬、――スターリング・スライムエンジンがあればこそだ。
ワイン樽に金属の四肢がついただけの首なしの魔法の馬はタフさが売りで、生身の馬とは違って、魔法力さえ続けば夜だろうがなんだろうがお構いなしに走り続けられる。
これは、キャラバン隊が使う特殊な訓練を受けた最高級の馬に引けを取らない性能だ。
問題点としては俺とレントミア、どちらかが魔力糸で操る必要があるのだが。
ガッチョ、ガッチョと馬が出力を上げ始めた、その時――。
「乗車。乗車きぼんぬー!」
はぁはぁ、と弱弱しい少女の声が後ろから聞こえてきた。馬の制御に気をとられて、魔力糸の対人結界の反応に気がつかなかったのは俺の失態だ。
「一寸。ちょっとまってくださいー! ググレ君ー!」
「――ググレ! マニュが来た!」
馬車の屋根で、物見担当をしていたレントミアが颯爽と後ろを指さして声を上げた。
俺は思わず手綱を引き、馬をとめる。
振り返ると、長い影を引きずった人影が、よろよろと走りながら駆け寄ってくるのが見えた。
「マニュフェルノ、来てくれたのか!」
「勿論。私も……旅につれてってくださいよぉおお!」
はぁ、はぁ、と息を切らせて走るたびに、僧侶服で包まれた窮屈そうな胸の上で、銀髪の長いゆる編みの髪が踊る。
だが、背中に背負っているものは……何だ?
マニュフェルノがようやく馬車の荷台にたどり着き、手をつけてはぁはぁと荒い息を整える。背中に背負った重そうな荷物をドサリと降ろすと、中から本が零れ落ちた。
「安堵。なんとか……間に合った」
「お、おいマニュ、その……荷物まさか?」
「嗚呼。お願い、これも載せて、今度発売する新刊」
それは魔法印刷されたばかりの「薄い本」だった。
ちらりと見えた表紙は、どう見てもマニュフェルノ手描きの俺とレントミアだ。一見しただけでも上半身裸で見つめ合っているのが判った。
「だっ、ダメだ! この馬車は未成年率が高いんだぞ!?」
「哀願。さっき王政府の役人が押し入ってきて強制捜査、何とか新刊だけを持って逃亡中……」
「なぁっ!?」
どうやらマニュフェルノの店に、遂に強制捜査の手が入ったらしかった。
まぁ、あの品揃えなら仕方ないよな、とジト目で銀髪の僧侶を眺める。
「マニュー、おまえ……お尋ね者になったのか?」
「否定。わたしは作家。捜査対象は店のオーナーさん」
あの店のレジにいた女店員か。
だが、そのうち口を割ったらマニュフェルノにも捜査の手が及ぶのでは……?
クリスタニアに追われるかもしれない俺と、王政府に(しかもかなり恥ずかしい容疑で)追われるかもしれないマニュフェルノ。
二人の逃亡劇がここから始まる――なんて嫌過ぎるぞ。
更に言えば、レントミアだってクリスタニアの魔法顧問を放り投げてきたわけで、「裏切り者」とか言われていなければいいが……。
「いかん……なんだか妙な方向になってきた」
と、気がつけばマニュフェルノが口元をあわあわとさせながら、馬車の中を覗き込んでいた。
「驚愕。なに……このメンバー」
僧侶が馬車の中を覗き込んで、ごきゅんっ、と生唾を飲み込んだ目線の先――。
馬車の中には顔立ちの整った双子の兄妹、目を丸くする赤毛の美少女、そして褐色の黒髪少女が乗っていたのだ。
おまけに屋根には風に揺れる緑色の髪を押さえるハーフエルフの美少年――。
マニュフェルノの眼鏡が一瞬で白く曇る。それは体温で蒸発した、汗だ。
「天国。きッたぁああああああああああ!?」
マニュフェルノが両の拳を握り締めて天に向かって吼えた。
その瞬間俺は馬に向かって手綱をムチのように撃ちつけていた。
「すまん定員オーバーだ。ありがとうございました」
「嗚呼。――!? 酷いよググレくんっ!」
ダメだ、呼んでおいてなんだが、今回のメンバーにマニュは危険すぎる。
ギャリッと車輪が勢いよく地面を転がり始めた瞬間、マニュフェルノは、魔力強化外装でも使ってるんじゃないかという勢いで、荷台に飛び乗っていた。
まるで水に飛び込むみたいな格好で、空中放物線を描いてダイブ――。
「うわー!?」「上玉。みんな……上玉ですねっ!?」
イオラの声にマニュフェルノの上ずった声が続く。
あぁ……ホントに大丈夫か、このメンバーで。
<つづく>