今すぐ逃げちゃえばいいじゃんっ!
「レントミア、来てくれたのか」
「もちろんっ!」
ガレージの入り口に現れた人物は、魔法使いレントミアだった。
深い翡翠色の瞳に、緑がかったさらさらのショートボブ風の髪。
やぁ――、とごく普通の調子で近づいてくる姿を見て、俺は息を呑んだ。
幾度か逢った時に着ていた学舎の「女子制服」ではなく、今日は年頃の男の子が着るような袖つきの服を着ていたからだ。
ひざ上までの長さの上着に半ズボン、そしてブーツを履いている。上着の上には級魔法使いであることを示す暗緑色の外套を羽織っている。
それはレントミアが、かつて一緒に旅をしていた時と同じ格好だ。
年齢は不詳だが、俺より一つ年下ぐらいだと思っている。
相変わらず可愛い顔をしているし、ちょっと見ただけでは女の子にしか見えないのだが、とりあえず服装だけでも女装モードは解除したようだ。
「どうしたんだ? レントミア『くん』に戻ったのか」
「やー、ちょっと考えるところがあってね」
「俺としてはその格好の方が有難いが……」
「やっぱりググレは女の子姿より、男の子なボクが好きだったんだね?」
レントミアがもじっと身をよじり、顔を赤くする。
「どうしてそうなる!? 語弊のある言い方をするな、普通に男の格好をしてろって意味だ」
「えー? ボクの女子制服……似合ってなかった?」
ぷく、と不満げに頬を膨らませる。
「い、いや……似合っ……てはいたが、って何の話をさせるんだ!?」
「あはは、ググレいぢりは面白いなぁ」
「ぐ、ぐぬぬ……」
友人としての関係はひとまず回復したのだが、性格の捻じ曲がりは直ってないのか。
それよりも……。
「出発は明日の朝だと伝えたはずだが、まだ昼過ぎだぞ。早いな」
俺の言葉にレントミアは急に表情を強張らせると、つかつかと歩み寄り、俺にその小さな顔を寄せた。そして息のかかりそうな程に近い耳元で、
「――良くない知らせだよググレ。『ひとつの清らかな世界』(クリスタニア)が動き出したよ」
すいっ、と俺の片頬に顔を寄せたまま小さな声で囁く。
「なんだと? 一体何が」
「今朝、魔力振動が検知されたんだ。……正確には大規模魔力探知網が『闇の波動』を捉えたんだ。王都のクリスタニア本部の魔法使い達がそれに感づいて、上層部や関連メンバーに報告したようだね」
「お前も、そこに居たのか?」
レントミアは俺から身を離し、ふるふるっと首を振った。新緑色の髪が揺れる。
「ボクには王都の高等魔法学舎に自由に使える個室があるからね。昨日ググレとマニュの店で別れてからはずっとその部屋で本を堪能……」
「そこから先は言わんでいい」
「だけど、魔力探知網はボクの魔力糸に繋がっているからね。情報はある程度送信されてくるんだ」
「そうか……。で、その闇の波動とやらは、やはり……ここからか?」
自分で言いかけた言葉が重く、冷たく圧し掛かった。
追い討ちをかけるように、レントミアが真剣な顔で、コクリと頷く。
「そう。間違いなくこの賢者の館からさ。時間は早朝、前回よりも微弱だったけれど、今度は村中に配置した護符による位相検知のおかげで、正確に割り出せたみたい」
――早朝……!
「しかもこの情報はさっきも言ったけれど、ボク以外にも、クリスタニアに所属する魔法使い達や、一部メンバーが知ってしまったよ」
「なっ……!」
まるで楽しんでいるかのようなレントミアの飄々とした口調が、燥感を煽る。
なんてことだ……想定の、最悪の方向だ。
早朝といえば、俺が薬を完成させ、そしてプラムに飲ませた時間帯だ。
『闇の波動』は、薬の製造工程の最終段階の『竜人の血』を混ぜ込んだタイミングか、もしくはプラムが薬を飲んだ時に発生したのかもしれない。
時間も場所も特定されたとなれば、「世界を闇の脅威から救う」事を目標に掲げている『ひとつの清らかな世界』(クリスタニア)の連中が手柄をあげるために、「容疑者」である俺とプラムの身柄を確保しに動く可能性もある。
そうなれば、一番最初に仕向けるのは、当然――
「お前……、俺達を捕まえに来たのか? レントミア」
自分で言っておきながら、俺はそのまま気持ちが暗く沈んでいくのを感じていた。
また……敵になるのか。
魔法の師匠であり友人の、この可愛らしい顔のハーフエルフは。
レントミアは『ひとつの清らかな世界』(クリスタニア)の魔術顧問として迎えられ、大規模魔力探知網の構築に力を貸し、半ば趣味で俺に攻撃を仕掛けてきた張本人だ。
レントミアと「友人回復宣言」をしたとはいえ、ヤツにも社会的地位というものがあるだろう。闇の波動の発生源である俺やプラムを逃がすはずがあろうか……。
――ググレは友達だけど、……殺すね。
そんな言葉が、形のいい唇から発せられるのを俺は半ば覚悟した。
だが。
「もー、そんな顔しないでよググレ。ボクが何の為に来たと思ってるの?」
「……え?」
「旅に出るんでしょ? 今すぐ逃げちゃえばいいじゃんっ!」
切れ長の瞳を細めて俺を窺っているかのようにエルフ耳をぴこんっと動かして、口元には悪戯っぽい笑みを浮かべている。
これはレントミアの「楽しんでいる」時に見せる顔だ。
「……お前……本気か?」
「もちろん! だってググレは昨日、真剣に告白してくれたよね?」
「いや、告白ってか、友達になってくれと……」
「そう! ボクはもうググレと『特別な友達』なんだ。それに……」
レントミアは俺の話を遮って、フラフラと動き回っている魔法の馬、「スターリングスライムエンジン」にぱちんと手を載せて、片目をつぶる。
「ボクは、クリスタニアのお仕事はもう、辞めたのさ!」
「おまっ! …………いいのか!? それで!」
「えー、別にもう飽きたし、なんかあの人たち真面目すぎてツマンないし……。ググレ達と冒険したほうが、絶対に楽しいし!」
なんていい加減な……。
だが、この気まぐれ感は本物だ。本当のレントミアだ。
風の精霊なんて言われるエルフ特有の気質、振り回されるのはいつもの事だが、もう慣れっこだ。
「お前らしいが、途中で気が変わって……俺を襲撃したりしないだろうな?」
俺は半眼でレントミアを睨む。
「ググレが優しくしてくれなきゃ、する」
「おまえなー!?」
「あはは、冗談だよっ! さぁ出発を急がないと、連中の『刺客』が来ちゃうかもよ」
「お、あぁ!」
俺は弾かれたように最終準備を急いだ。
明日の朝、屋敷で合流し出発! と言って帰してしまったイオラとリオラには申し訳ないが、こうなったら置いていくしかない。
『ひとつの清らかな世界』(クリスタニア)が俺とプラムを拘束する為に、刺客……いやそれは言い過ぎだが、「追っ手」を差し向けるとするならば、面倒事に彼らを巻き込むわけにはいかない。
純粋に「プラムを救う薬の材料を見つけに行く冒険」であれば楽なのだが、今クリスタニアと面倒を起こして時間を取られるわけにはいかない。
逃亡する形になってしまうが、今は急いでここを離れるのが上策だ。
楽しみにしていたイオラトリオラはガッカリするだろうが……仕方ないな。
俺とレントミア、そしてプラムを載せて馬車で全力で駆け抜ければ追っ手も振り切れるだろう。
森でのモンスター遭遇戦対策には仕方ないが、金で傭兵を雇うしか……
「……む?」
そこで俺の魔力糸が屋敷への侵入者を検知した。
一瞬緊張が走るが、すぐに別の意味の驚きに変わる。何故ならそれは俺がついさっき帰したばかりの双子の兄妹だったからだ。
「――おい! 賢者っ! 無事か!?」
「賢者さまっ!」
物凄い勢いで、二つの影が飛び込んできた。
イオラとリオラは玄関に飛び込んで、荷物を纏めていたプラムと遭遇、ガレージに居ますよー? と言われて馬車のあるガレージに跳んできたらしい。
「お前達!? ……出発は明日と……言ったはずだが」
俺は驚いて尋ねた。手紙を持たせ、セシリーさんに冒険の許可を得て、明日の朝ここに来てくれと……。
「セシリーさんが、急いで賢者様のところに行って力になって、って言ったんだ」
「賢者様と、プラムちゃんのところにすぐに行けって」
双子の兄妹ははぁはぁと肩で息をしながら顔を見合わせた。兄のイオラは例の『錆びた短剣』を抱えている。妹のリオラは身の回りの物が入ったらしいバッグを抱えている。
本当に最低限の準備だけで飛び出してきたようだった。
「セシリー……さんが?」
俺は信じられない気持ちで、目を瞬かせた。
そうか、大規模魔力探知網が捕らえた闇の波動の情報を聞いたクリスタニアのメンバーには、セシリーさんも含まれていたのだ。
そして……刺客どころか、頼りになる二人の『助っ人』を送り込んでくれたのだ。
「あれ……? レントミア……ちゃん?」
「えっ? どうしてお前がここに?」
リオラとイオラがレントミアの姿をみて驚き目を丸くしている。
それはそうだろう。
レントミアは学舎に通う「普通の女子生徒」として紛れ込んで、プラムやヘムペローザを監視していたのだ。
今は男の格好をして、おまけに魔法使い特有のローブを羽織っている。
そもそも性別と、『ディカマランの六英雄』である事をも隠していたのだ。
さて、どう説明しようか……、と俺が眼鏡をくいっと持ち上げながら、思いをめぐらせた、その時。
「あ! 君達が……イオラくんと、リオラさんだね? 妹がいつもお世話になってるね」
「なっ!?」
――なにいいい!? たっ、他人のふり!? そんな手でいいのか!?
「え? あれ……? レントミアさん? じゃない?」
「男……の子?」
イオラとリオラが目を白黒させて、けれど少し納得したように顔を見合わせる。
「あ、ごめんね、よく間違われちゃうけど、学者に通ってる、ミーシャ・レントミアはボクの妹なんだ。ボクはブラムス・レントミア、双子の兄」
「あ、あぁ! そうか! ……オレはイオラ」
「私はリオラです。凄い……可愛い! 妹さんとそっくりなんですね!」
二人は同じ色の瞳を輝かせて、可愛らしいハーフエルフの「兄」を見つめている。
「えへへ、よく間違われちゃうんだ。ボクと君達は、同じ双子の兄妹なんだね! 一緒に旅をすることになるけど……よろしくね!」
にこっ、と微笑むレントミア。
「お、おぉ!」「はいっっ!」
なんてやつだ……。学舎に通う自分の女装姿を「妹」で収めるとは、恐るべき図太さだ。
俺のジト目に気がついたのか、レントミアが小さく舌を出して俺にウィンクしている。
――神をも恐れぬ役者ぶりに、感服するよ……。
俺は思わず苦笑いしながら小さく肩をすくめた。
<つづく>




